新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月16日の経験

2013-10-18 07:44:15 | コラム
石原慎太郎君老いたり:

午後になって何気なく1チャンネルというのかNHKを見ると、国会の中継で石原慎太郎君が質問に立っていた。脳梗塞を患ったという噂も聞いたが、上から撮った画像では頭髪が薄くなっていたのが見え、何とも言いようがない悲しさのようなものを感じた。それだけではない、以前の語り口とは異なって、つかえてばかりだっただけではなく声にも全く張りがなく「(中・高の同期である)石原老いたり」の感を禁じ得なかった。

それは、私自身が去る8月29日の退院後に悲しいほど自覚している衰えが、懸命に声を張り上げて横田の返還を政府に迫っている彼にも、病後と年齢による老化が余りにも明らかだったのだ。軽い脳梗塞が事実か否かは知る由もないが、あの質問振りを見せられては、果たしてと知事の職を辞して再び国会に打って出たことが得策であったかどうかの結論がそこにあるように見えた。何故に、橋下徹と組んだのかと残念に思えてならなかった。

その後、一大決心?の下に、16:30頃からある会合に参加すべく新大久保駅前のバス停に向かった。何故「決心」などと言うかと言えば、帰宅が夜になるという夜間の外出は退院以来初めてのことであるだけではなく、これ以前に夜間に外出したのが7月24日だったという生活状態である。元々、夜遊びをするタイプではなく、家の中は勿論、外で飲酒することが全くない習慣でもあり、もう何年間も余程のことがない限りというか、月例の会合以外に夜間に出ていくことがなかったのだ。

そこに、小心者の当方は気象病などと言う要らざる知識ないしは知恵がついたために、今年の猛暑による家の中と外との温度差を恐れる余り、夜間の外出などは考えても見なかったのだった。だが、「何事も試みようとしなければ前進がない」と悟りを開き、16日夜の会合には会長のS氏の激励もあって「やってみよう」と決意するに至ったのだった。実際には、会場に到着した時には「やったぞ」と快哉を叫びたい思いだった。

「何だ、たったそれだけのことの何処が一大決心か」などと仰らないようにお願いしたい。あの恐怖を7年間に二度も経験し、「君の病み上がりの体力が弱った状態で風邪でも引けば肺炎になって、生命の危機が」などと助言して頂ければ、「迂闊に夜風に当たったらどうなるか」と縮み上がっていたという情けない次第だった。

しかし、幸いにも台風一過の晴天で往路は快調だったしバスも乗り心地良く、帰路も心地良い夜風に吹かれて無事帰宅して、こうしてここに昨日の出来事を語っていられる次第だ。実は、23日の水曜日にも18:15からの会合が待っている。二度目は平常心で、決心などしないで臨めるだろうと希望的に考えている。