新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

中国とその環境保護対策を考える

2013-10-08 08:25:36 | コラム
中国と環境保護とその投資の問題を考える:

私のような長い間環境保護とそのコストへの対策に腐心してきた紙パルプ業界の出身者として環境問題について言わせて貰えば「もし、中国がこれから先に、他の先進工業国と同水準に達するような環境保護対策を全産業で講じ始めれば、確実に、経済がと言うべきか国家がと言うべきか知らないが、苦難の道を進むことになりはしないか」なのです。

余り昔のことで何年前のことか記憶もありませんが、静岡県の富士市の田子の浦港で製紙工場から排出されただろう「ヘドロ」の滞積が大問題となり、一帯の製紙工場が汚染源であるとして世間というか報道というか世論というか、多方面からの大批判と非難の対象となりました。非は確かに製紙業界にあり、その後必死の努力で対策を打って改善しました。その投資への資金負担は巨額でした。

私が常に採り上げてきた例に「ある製紙メーカーが都内の工場の土地の一部を売却した後に建ったアパートの住民から、製紙工場は臭気等の公害を垂れ流していると批判されて、工場を閉鎖せざるを得なかった」という、泣くに泣けない物語があります。周囲が開発されて人口が増えれば、元々は人里離れた場所だったはずの(製紙以外でも)工場の立地も環境保護対策も問題になります。我が国では産業界が業界の発展に伴ってキチンと環境保護の対策を立てて実行しました。

メーカーでの経験を申し上げれば「環境対策に投じた資金を、コストとして製品単価に直ちに反映させて、ユーザーや消費者に転嫁することは極めて難しく、先ず受け入れて頂けない」のです。遺憾ながら、環境対策の投資は製造業者にとっての“must”であっても、需要者がそのコストを負担するのは“must”とはならないのです。だが、環境は如何なる事情があっても保護しなければなりません。

ヘドロを海に流しても問題にならないような規模だったから、垂れ流していたから利益が挙がっていたかも知れません。だが、あれは「環境は破壊してはならない」という誠に痛くて厳しい学習の機会でした。

ダイオキシン問題をご記憶でしょうか。発がん性ありとして大きな問題となりました。あの時にアメリカでは「ダイオキシンは自然界に存在せず、何か製造工程中で発生する個ともある」という認識でした。

しかし、紙パルプ産業も発生源ではないか疑われて、食品関係の容器も紙に含まれているかも知れないダイオキシンが内容物に流れ込んでくる」と言われました。業界は懸命に「それは誤解であり誤認識である」と懸命に説明しましたが、完全なる理解を得られませんでした。そして、多額の投資をして、如何なることがあっても発生しないように対応して事態を何とか乗り切りました。

私の経験範囲内でも牛乳パックの紙も疑いをかけられました。W社では「もしもダイオキシンが紙に含まれていたとしても、それが牛乳パック紙の裏面(表面にもあります)にラミネートされているポリエチレンのフィルムに存在するという顕微鏡でも見えない極々小さいピンホールを通ってミルクに入っていく確率は3万年分の1秒である」とユーザーにも消費者にも説明しました。それを立証する試験器だけでも数百万円(円換算)かかり、我々はそれを使ってユーザーや消費者の目の前で牛乳パックの紙をテストしてご覧に入れました。結果は何回繰り返しても「検知不能」であって、ダイオキシンは存在しなかったのでした。お客様は「あ、ホントだ」で終わりました。

泣き言ばかりで済みませんでした。PM2.5の事態に至っても中国にはさしたる反省の色もなく、具体的な改善策も聞こえてきません。この点では東南アジア諸国で都会を離れた地域を観光ではなく歩いてみれば、環境の汚染度は見られますが、聞かされている中国ほどではないと思って安心していられます。

しかし、中国の大気汚染は並外れています。アメリカ政府の大気汚染に対する規制は非常に厳格で、遠からず煙突に対しても施行されるので、製紙業界は「対策に要する投資の法外な負担に耐えられない」と公式に政府に再考を請願しています。

私は中国が環境保護策に本格的に(製紙産業界では一定の年数を経た旧式のマシンの廃棄や、藁や草などを原料とする古い形のマシンの撤廃等を決めましたが)に乗り出して投資をして、そのコストを製品価格に転嫁すると、国際市場での競争力が著しく低下することになる確率が極めて高いと見ています。

中国はある程度の対策を講じるでしょう。しかも彼らは紙類では輸出奨励で助成金を交付しているとアメリカが非難しています。そういう問題も抱えているのですから、私は中国が国全体としてか、各業界別にと言うか、総合的な環境保護対策を早急に講じてくるか否かは中国の判断であり、我々はその成り行きを見守っていく他かないと思っています。