死亡率75%:
25日夜のTBSの番組では脳内出血という深刻な大病を「死亡率75%」と表現した。この数字を見て生存率25%の二度の心筋梗塞を経て、お陰様で生きながらえさせて頂いている私は大きな衝撃を感じた。感覚的には「これではほとんど生存できる確率がないのではないか」と思わせられたからだ。だが、良く考えれば「生存率は25%」と同じことなのだ。または「4人に1人しか生存できない」とも解釈できる。
私が「25%の生存率」を言い出した理由は、2006年1月に第一回目の強烈な痛さで失神した際に救急車で送られた国立国際医療センター(当時の名称)での病棟での主治医だった女医さんが「心筋梗塞は発症後救急車での輸送を依頼する等の間に50%の方が死亡し、また救急病院に到着しても『遺憾ながら手遅れでした』となる確率がまた50%で、その患者さんの究極的には25%の生存率である」と教えて下さったのである。私は発症した患者の75%が亡くなることとは思わずに承っていた。
昨夜のテレビにヴィデオに収録された形で出られたのは女優のJMさんで、脳内出血、二度の心不全(実は、「何が原因で」がなかったので何の説明にもなっていないと懸念するが)、動脈瘤という大病を経験され、半身の麻痺と言語障害を懸命にリハビリで克服に努められた後、車椅子で登場されたのだった。6.25%の生存率を持つ私は「偉いな」と尊敬したくなったと同時に「凄く且つ素晴らしい精神力をお持ちだな」と畏敬の念を持って眺めていた。
脳内出血や脳梗塞と心筋梗塞はやや病後の形が異なっているようで、私の場合は二度目の今回は主治医の先生に22日に「元の身体に戻せたからお返しした。以前の通りに行動して貰わねば」と穏やか且つ強烈に諭された。私は幸運であると自覚している。実は退院以降、精神的だったと当人が自覚しているが、そのショックによる鬱ぎ方を見た久し振りに会った愚息に「何を恐れているのか」と質されて「その何かが解らないので」と答えたように、見えざる「敵」と戦っていたという遠回りをしていたのだった。
実は、現職時代は「体力が強く、年に6~7回も日米間を往復し、日本国内を飛び回っているビジネスマンで健康状態には何の憂いもない」かの如くに見事に誤認識されていた。現実は知らぬ間に限度一杯だったのだった。2005年10月まではフットサルなどを何事もなくこなして楽しんでいた。結果的にはこれが2006年1月の心筋梗塞に始まって今年の2度目、前立腺肥大症、皮膚ガン切除、消化器系の問題、年齢的なものがあるとは言え白内障の手術、2種類の血液サラサラの薬を服用している状態での痔からの出血等々、病気の小規模小売店の如き有様を招いたとも言えるのである。
困ったことにと言うか有り難いことにと言うべきか、今回の心筋梗塞から復活できた後でも精神面とは別に、私の顔付きに余り弱った跡が見えないらしいのである。だから「暫く見かけなかったが、またアメリカにでも行っていたのか」等と言って下さった方が何人かおられた。実際には「もう少し遠いところに75%の確率で行きかけたが幸運に飛行機は成田だった羽田だったかに引き返した」のだった。
このようにして、私は国立国際医療研究センター等々の病院で過ごす時間が増えてきた。そこには早朝から多くの患者さんが順番待ちされているし、機械による治療に順番待ちをされている方もおられるし、リハビリ室等は何時も多くの患者さんで賑わっている。皆高齢者である。後期高齢者医療制度の下にある私から見れば、年齢を経ればそれまでの活動と活躍も原因となって抵抗力も落ちて、難しい病気になるのを防ぐのは大変難しいと思う。
しかし、政府は何かと言えば高齢者の医療費が嵩むので高齢者の負担を増やしたいと言う。「それを下の年齢層に負担させるのは如何なものか」との世論という名のマスコミ論調もある。私はそれに抵抗できる立場にはいない。健康状態の維持には出来る限り努力してきた。だが、一般論的にはそれでも防止しきれなかった病もあるのではないだろうか。
安倍総理も田村厚労相も、一度でも大病院や開業医院等を実際に視察する時間を作って、官僚から上がってくる負担増案が如何なる結果をもたらすかを検討されたらどうだろう、野党議員も同行させて。同時に、オバマケアが何故あれほどの騒ぎになるかを、ジックリと検討されたらどうだろう。我が国にはアメリカのように国民の7人に1人が貧困層という状態ではないが、生活保護は増加傾向にあったのではないのか。
25日夜のTBSの番組では脳内出血という深刻な大病を「死亡率75%」と表現した。この数字を見て生存率25%の二度の心筋梗塞を経て、お陰様で生きながらえさせて頂いている私は大きな衝撃を感じた。感覚的には「これではほとんど生存できる確率がないのではないか」と思わせられたからだ。だが、良く考えれば「生存率は25%」と同じことなのだ。または「4人に1人しか生存できない」とも解釈できる。
私が「25%の生存率」を言い出した理由は、2006年1月に第一回目の強烈な痛さで失神した際に救急車で送られた国立国際医療センター(当時の名称)での病棟での主治医だった女医さんが「心筋梗塞は発症後救急車での輸送を依頼する等の間に50%の方が死亡し、また救急病院に到着しても『遺憾ながら手遅れでした』となる確率がまた50%で、その患者さんの究極的には25%の生存率である」と教えて下さったのである。私は発症した患者の75%が亡くなることとは思わずに承っていた。
昨夜のテレビにヴィデオに収録された形で出られたのは女優のJMさんで、脳内出血、二度の心不全(実は、「何が原因で」がなかったので何の説明にもなっていないと懸念するが)、動脈瘤という大病を経験され、半身の麻痺と言語障害を懸命にリハビリで克服に努められた後、車椅子で登場されたのだった。6.25%の生存率を持つ私は「偉いな」と尊敬したくなったと同時に「凄く且つ素晴らしい精神力をお持ちだな」と畏敬の念を持って眺めていた。
脳内出血や脳梗塞と心筋梗塞はやや病後の形が異なっているようで、私の場合は二度目の今回は主治医の先生に22日に「元の身体に戻せたからお返しした。以前の通りに行動して貰わねば」と穏やか且つ強烈に諭された。私は幸運であると自覚している。実は退院以降、精神的だったと当人が自覚しているが、そのショックによる鬱ぎ方を見た久し振りに会った愚息に「何を恐れているのか」と質されて「その何かが解らないので」と答えたように、見えざる「敵」と戦っていたという遠回りをしていたのだった。
実は、現職時代は「体力が強く、年に6~7回も日米間を往復し、日本国内を飛び回っているビジネスマンで健康状態には何の憂いもない」かの如くに見事に誤認識されていた。現実は知らぬ間に限度一杯だったのだった。2005年10月まではフットサルなどを何事もなくこなして楽しんでいた。結果的にはこれが2006年1月の心筋梗塞に始まって今年の2度目、前立腺肥大症、皮膚ガン切除、消化器系の問題、年齢的なものがあるとは言え白内障の手術、2種類の血液サラサラの薬を服用している状態での痔からの出血等々、病気の小規模小売店の如き有様を招いたとも言えるのである。
困ったことにと言うか有り難いことにと言うべきか、今回の心筋梗塞から復活できた後でも精神面とは別に、私の顔付きに余り弱った跡が見えないらしいのである。だから「暫く見かけなかったが、またアメリカにでも行っていたのか」等と言って下さった方が何人かおられた。実際には「もう少し遠いところに75%の確率で行きかけたが幸運に飛行機は成田だった羽田だったかに引き返した」のだった。
このようにして、私は国立国際医療研究センター等々の病院で過ごす時間が増えてきた。そこには早朝から多くの患者さんが順番待ちされているし、機械による治療に順番待ちをされている方もおられるし、リハビリ室等は何時も多くの患者さんで賑わっている。皆高齢者である。後期高齢者医療制度の下にある私から見れば、年齢を経ればそれまでの活動と活躍も原因となって抵抗力も落ちて、難しい病気になるのを防ぐのは大変難しいと思う。
しかし、政府は何かと言えば高齢者の医療費が嵩むので高齢者の負担を増やしたいと言う。「それを下の年齢層に負担させるのは如何なものか」との世論という名のマスコミ論調もある。私はそれに抵抗できる立場にはいない。健康状態の維持には出来る限り努力してきた。だが、一般論的にはそれでも防止しきれなかった病もあるのではないだろうか。
安倍総理も田村厚労相も、一度でも大病院や開業医院等を実際に視察する時間を作って、官僚から上がってくる負担増案が如何なる結果をもたらすかを検討されたらどうだろう、野党議員も同行させて。同時に、オバマケアが何故あれほどの騒ぎになるかを、ジックリと検討されたらどうだろう。我が国にはアメリカのように国民の7人に1人が貧困層という状態ではないが、生活保護は増加傾向にあったのではないのか。