新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

スポーツの適性を考える

2013-11-10 14:56:00 | コラム
「女子が強いのは相撲とプロ野球がないからだ」:

上記は20数年以上も前に聞いたことで、W社時代に別な事業部にいたスポーツ通のK氏が「何故我が国の女子の競技(例えばヴァレーボール、レスリング等)が世界的レベルに達するのだろうか」と語り合った際に、彼が出した結論である。私にはかなり説得力を感じさせた主張だったので未だに覚えている。

この週末にはテレビでNHK杯のフィギュア-・スケートのグランプリやテニスの日本女子選手権の決勝などを見て、この主張を思い出していた。しかし、今では時移り人変わって、女子のサッカーがW杯で優勝して世界の強豪となったし、オリンピックで優勝した荒川静香も出たし、安藤美姫は世界選手権を取ったことがあるし、浅田真央も今年のグランプリ・ファイナルの有力な優勝候補である。

確かに嘗てはK氏が指摘した通り、体格も良く身体能力に優れた男子の逸材は野球というかプロ野球を目指すか、相撲界に勧誘されていたものだったと言えるだろう。高野連に登録していた高校の数も遙かにサッカーを凌いでいた。だが、我が国でサッカーの水準が上がり実力が向上しW杯にも出られるようになってからは、最早野球とサッカーの高校の数は拮抗してきた。当方の感覚では最高の素材は先ず野球部に入り、それと同等ないしは二番手がサッカーを選んでいると見える。

その他にはヴァレーボール、バスケットボール、ラグビー・フットボール、(アメリカン)フットボール等の球技に優れた素材が指向していると思っているのだ。陸上競技(トラックとフィールド)や体操を目指す素材と球技系とは、やや趣を異に運動神経が求められている気がする。しかし、我が国ではオリンピックの全種目に選手を派遣するので、何となく素材的には全体が希釈されているとも感じている。ではあっても、テニスやゴルフ等に加えてスピード・スケートとフィギュア-・スケートには世界水準に達した者が出てきた。

私はアイスホッケーは国内でもカナダでも観戦したことがあるが、サッカーやバスケットボールにも似たゲーム運びも兎も角、カナダではその格闘技的な凄まじさには、寧ろ呆れ返ったほどだった。だが、カナダではホッケーであれほど凄い人材が出ても、現在では中国系のパトリック・チャン以外はフィギュア-・スケートには有力な選手が出ていないのは何故だろう。

ところで、フィギュア-・スケートである。解説者が常に言うことは「体力云々」である。即ち、4分だったか4分半の間の演技に体力を維持出来る練習を積んでいるかということ。しかし、男女ともに凄い身体能力と体格を持つ人が滑っているのを余り見たことがない。要するに男子ならば1メーター90センチで体重90キロ等という者が出ないし、昨日2位になったロシアの14歳の女子などは「あれしか筋肉がなくて、よくぞあれだけの滑りとジャンプが出来るものだ」と感心させられた。

NHKは親切にも、このラジオノアの練習振りを見せてくれた。その厳しさと量は誠に凄いもので、全身のバネと跳躍力を鍛え上げていたのには驚嘆させられた。(当たり前か?)床の上での回転の練習などは、そのまま体操の床運動の選手になっても通用するのではと思わせる能力があると解った。私には野球もフットボールも相撲もないロシアでは、優れた身体能力能力を持つ少女がフィギュア-・スケートを目指すのかと考えさせてくれた。

テニスの日本選手権だが、決勝戦に出た二人はテニスの技術そのものは高いのだろうと思わせたが、決して優れた体格でも身体能力の持ち主でもないと見た。即ち、何故かサッカーその他に優れた素材が指向してテニスまでには回ってきていないのか?などとふと考えてしまった。言いたいことは、「国内で沢山の種目を盛り上げるのも結構だが、何か男女共に選ばれる種目に優先順位があり、折角の素材が過当競争でその質を十分に活かせないままに埋もれてしまうことがないのか」ということだ。

嘗て、甲子園の野球で何度も優勝したことがあった有名校で補欠だった者が、大学ではフットボールに転向してその優れた見抜かれていなかった素質を活かし手大学のスター選手となり、遂には欧州リーグでも活躍した。更に、TBSの体力を競う番組「筋肉番付」に出たほどのアスリートぶりを発揮した例があった。各人の向き不向きを発見するのはコーチや監督の仕事の一部ではあるが、当人が何を選ぶかでその将来が大きく変わってくるものだと、私は考えている。

そう考える時、浅田真央がどれほど練習を指摘かも想像がつくし、ブランクがあった安藤美姫の復活などは容易ではあるまいと思うのだ。また、高橋大輔等が何か球技を目指していれば、果たしてあそこまで成功するような人材かな等とも考えてみていた。練習を積んだのだろうが、指導者も恵まれたかとも思うのだ。