新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

紙需要回復の兆し無し

2013-11-15 16:27:26 | コラム
商社マンと懇談した:

先日話を聞いた専門商社の輸出入担当者と同じで、この毎度お馴染み?の商社マンの市場の見方は本15日の天気のように暗く且つ悲観的だった。実際の市場とは離れて久しいものがある当方の捉え方と同じだったのは、誠に悲しいことである。

即ち、アベノミクスの紙市場への効果というか波及は未だしということ。特に、本日のように99円台から100円に振れた為替では、中国方面の対日輸出に注力しているメーカーは筋では少なからず慌てていたとか。これは、同時にアジアでは未だに我が国は活気がある市場と見なされていることでもあるようだ!?

紙の需要の辛い点は「3.11で東北地方の大型の工場が数軒停止した際に、顕著な紙不足を来さなかったにも拘わらず、現在ではそれらの工場のほとんど全部が再稼働している辺り」にある。それでもアジアの新興勢力からは現在の為替レートでも、我が国は世界のどの市場よりも魅力的に見えるのは、世界的に紙需要というか、印刷媒体の不調が慢性化したということだろう。

他に、彼ともある程度意見が一致したことは、未だ街を歩けば大小を問わず「安売り」を標榜している小売店が多く、レストランや雑貨等の小売店が消えていたり、他の業種の店に変わっている例が多い点だった。

彼は最近マンションの売れ行きが好調だという裏には、消費税率の引き上げ前の需要も兎も角、実際にそこに居住する人がいるのではなく投機的な買いが入っていると見立てていた。

また、香港辺りの紙の相場を見れば、印刷用紙類は我が国の低価格とそれほど変わらず、アジアでも景気回復は未だしだという事実を実証しているのだった。「この不調から脱出する方法が何処にあるのか、いや解らない」を結論として懇談を終わった。再三述べてきたが、紙市場は自力では立ち直れないという宿命がある。

アマゾンのKindle

2013-11-15 07:30:36 | コラム
Kindle Paper WhiteのCMに思う:

目下、テレビにはこの端末のCMが流されている。現在は休業中(だと勝手に思い込んでいるだけか)の海外ニュースの和訳に、「アマゾンがKindleなる"Electronic Book Reader"の販売を開始した」事を取り扱ったのが何時だったか、記憶などなかった。そこでWikipediaのお世話になると、最初にKindle 1が出たのは2007年11月だったと解った。

丁度6年前だったようだ。その訳語を「電子書籍端末」とすることを漸く覚えたかと思った頃には、Blackberryだったか、スマートホンが出てきたように感じた。そう思った頃には電子書籍端末は携帯用PCと化した如くで、名称もただ単に「タブレット」になっているようだ。

そして、そうこうする間に、スマートホンなるものはタブレットを更に小型化したような携帯用PCと言うか、ゲーム機のようになってしまった。この間に進歩・発展というか変化の激しさは、後期高齢者でなくとも「住みにくく且つ何処なく劣化した時代が到来したのか」と疑わせるものがある。

劣化と言う根拠は「いい若い者がところ嫌わずにゲームなるものに熱中し、歩き回っている有様が果たして進歩・発展と言えるのか」という意味である。JRでも何でも乗ってみれば良い。若者が下うつむいて指を動かすことに熱中し、耳にはヘッドセットかイアホーンか知らぬが入っており、全く周囲を見ようとしない。今や、これは正常として受け入れられているようだ。私に言わせれば「世も末」だ。

そこに、アマゾンが「Kindleが目にも優しい電子書籍端末として」のCMを流すとは、何となく時代が反対方向に戻ったのかと錯覚させられた。この機器を買いたいとも買おうとも思わないのが悲しいような気もするが、今後とも出来るだけ長生きして、時代の変化だけでも見守っていきたいものだ。