新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

待つことの不安に耐える

2013-11-21 13:24:35 | コラム
待たねばならない不安と戦う日々:

19日(火)は8月29日の退院以後に、10週間置きだった国立国際医療研究センター(NCGM)での定期検診が5週間毎に短縮された通院日だった。未だ精神的な不安感を完全に一掃できていない身には、この日は何度も何度も待たねばならないことの繰り返しだった。これは決して好ましいことではないが仕方がない。

先ずは新大久保駅前からの都バス。これは直ぐ近くの小滝橋車庫から来る割りには時刻表通りのことは少ないので、先ず待たされる。NCGMでは診察は全て当然予約制だが、06年2月から通院が始まって以降、循環器科の外来で定刻に呼ばれたことは数回で、最長の待ち時間は90分などということもあった。

この待ち時間は悲観論者で神経質(と他人様は言うのだが)の私を限りない不安に陥れてくれる。「もしかして手違いで予約が入っていない」とか、「呼ばれたのを聞き漏らしたか」という具合である。これでは手洗いにも行けないのだと落ち込む。

更に会計でも混み具合によっては30~40分も待たねばならないことがある。即ち、先ずカウンターで会計票と処方箋と保険証を提出して呼ばれるのを待つ。その次が「機械による支払いの準備が整ったから機械へ」という呼び出しだ。私にとっては不安材料ばかりだ。最悪の場合には1時間も「待ち」の不安に苛まれる。

次は調剤薬局で処方箋と「お薬手帳」を渡して呼び出しを待つのだ。これが現在は朝6、夜3の錠剤が分包になっている処方箋では、通常60分待ちである。そうとは解っていても後から来た人たちがドンドン帰っていくのを見ているのは、それほど気持ちが良いものではない。仕舞いには「何をやっているのか」と苛立ってくる「待ち時間」である。

薬が出てもこれで終わりではない。次はまたバス待ちである。これには運不運があって、あの今年の暑さの中で15分も待つことあれば、寒風吹きすさぶ冬もあるのだから不安定な精神状態で待つのは辛いのだ。特に、8~10月は「この炎天下、何時まで待てば終わるのか」と、見えざる恐怖に悩んでいた私を大いに不安にさせてくれたのだった。

実は、NCGMの他にも普通の開業医の先生にも色々と診て頂かねばならないことがあった。ここでは言うなれば「先入れ、先出し」(="First come, first serve.")だから、我慢強く「自分が何時呼ばれるか」を待たねばならないのが、何の根拠もなく辛かった。こういう根拠に乏しい不安をずっと抱えていたのだった。

そこで、この状態から脱出すべく、去る17日夜から処方されている直接循環期用ではないある薬の副作用で不安を生ずるのだろうからと、それを飲まないとどうなるかと、一か八かの賭に出てみた。ずるとどうだろう、19日にはかなり改善の兆しが出てきた。そこで主治医にそれを訴えると、「患者がそう簡単に決め付けてはいけない。今後は状態を見極めて調整するように」と諭されてしまった。だが、気分はかなり爽快に近くなった。

その勢いをかって、20日には畏友S君主催の水曜会に参加して冒頭に心筋梗塞と気象病について簡単に語った後、ほぼ終わりまで席を立つことなく過ごせた。要するに不安感の原因は医学的なものではなく、精神的な要素が濃いと思っている。

しかし、石岡荘十氏が「stentを入れた付近で梗塞が起きることあり」と言われていたのも、既に全冠動脈に合計6本のstentが入っていれば他の2本にも梗塞が発生しないかと怖れていたのだ。これが、これまで誰にも言わなかった(言えなかった?)不安材料だった。だが、それが起きるかと待っている訳ではないのは言うまでもないこと。