新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

謝罪評論家

2013-11-08 08:27:24 | コラム
心の籠もった謝り方をせよ:

今週の週刊文春の漫画に「謝罪評論家」という人が描かれていた。早速、一連の偽装問題を採り上げていたのだった。テレビのニュースを見る限りでは「心の底から悪う御座いました」と言っていた人は少ないとしか見えなかった。本当にそう思っていても、余程経験を積んでいないと、誠意を込めた謝り方が出来るものではないのだ。この点は(残念だが)経験上から申し上げている。

記憶は定かではないが、おそらく1980年代前半までは単独か、あるいは急遽アメリカないしは出張中の外国から飛んできたテクニカル・サーヴィス・マネージャーと、実に頻繁に得意先の本社、営業所と工場に不良品による事故をお詫びするために回っていたものだった。誤解なきように申し上げておけば、クレームはアメリカの労働力のせいためだけでつけられるのではなく、そこには歴とした日米間の文化の違いがあったのだ。しかし、我が国では「お客様は神様です」という観念がある。

文化の違いとは「アメリカでは消費者の受け入れ基準も大らかで、印刷加工業者も製造業者も実質的な製品であれば良く、現場での効率が高ければ良しとする、言うなれば"practical"な製品が求められていて、製品には芸術性など追求されずまた求められていない」のだ。即ち、紙は印刷出来て、その印刷が読めれば良いじゃないか」と精密な芸術性など求められていないと言えるだろう。

一方、我が国では生産現場での効率を追求することは同じだが、何処の段階でも細かい点までゆるがせにないアメリカでは考えられないような厳格且つ厳密な受け入れ基準が設けられて最終製品にも最高の品質が求められている。「読めれば良いじゃないか」などと言う理屈が通用しない世界である。それ故に、このような文化の違いにアメリカ側は戸惑い、悩み且つ苦しめられるのだった。

以前に述べたことがあったが、「アメリカ市場では先ず受け入れないような些末なクレームを受けいれ、尚且つ謝罪せねばならないのが日本市場」とまで言っていたアメリカのメーカーがあった。これが日米相互の事業社会の文化の違いを良く表していると思う。

そこでアメリカ側からは頻繁に謝罪するために得意先を訪問せねばならなくなるのだ。しかし、アメリカには謝罪の文化はなく、問題が自社の製品にあると解っていても最大限の謝罪が"We regret ~."までだ。これは和学の文化から見れば潔くないし不誠実且つ傲慢に見える嫌いがある。これでは得意先に多少以上英語が解る方おられた場合には通用しない。結果的には通訳である当方の日本語で別途お詫びすることで決着していた。

お詫びする当方も初期には心中密かに「またかよ」と思いつつ、深々とお辞儀をしながら「何とかお許しを」と願い出ていた。しかし、これでは動もすると信用を失墜し、信頼関係を樹立出来ないのだ。また、その頃はマネージャーには文化の違いを説いて「貴方は適当に思い付く謝罪の意を表すことを言っていてくれれば、(即ち、"I am sorry."以外である)後は俺が日本語でお詫びしておく。我が国では潔く自社の非を認めてお詫びすれば、そこから先に本格的に事故の補償の交渉に入れる」と教えていたものだった。

しかし、こういう適当なことを繰り返す間に、本当の信頼関係を構築するためにはこのようなその場しのぎな謝罪ではなく、「心のそこからのお詫びをすべきで、貴方も謝罪の必要性を認識しただろうから、本気でお詫びするようにしよう」とマネージャーを説得した。そして、先ず私から謝罪の姿勢に心を込めるように努力した。結果的には品質が向上して謝罪の技術など不要になったのだが、信頼関係を築き上げるためには有効な努力だった。

ある時、最大の得意先の現場の課長さんにお詫びした後で、「今までに貴方ほど心底から謝ってくれる人を見たことがない。我が社の営業部員はその点が誠に稚拙で困っている。是非我が社に転進して貰いたいものだ」との冗談トとも本気とも取れることを言われたことがあった。愚かにも当方は、一瞬、褒められたのかと錯覚した。良く考えないでもお褒めの言葉ではないと解る。

この辺りに副社長兼事業部長以下本社事業部員が工場の労働組合員に「品質なくして成功無し。君らの職の安全も品質改善によって確保される」と時間をかけて繰り返し言って聞かせて、品質面で全世界の得意先との信頼関係を謝罪無しで確立した大元があったのだ。

余談だが、上記のお褒めの言葉を賜ったと聞いた副社長からは私に"I apologize"と正面に5段ほど書かれたTシャツを贈られていた。ほとんど着ることなく今でも大切に保存してある。