新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

円安でも輸出が不振

2014-02-01 14:24:56 | コラム
中央大学大学院・野村修也教授が:

1日朝の4チャンネルだったかで、多くのテレビ番組常連のコメンテーター・野村教授が我が国の貿易赤字に触れて、輸出の不振は未だ企業側の努力不足のようなことを言っていた。違うと思う、全面的にではないまでも。現在の世界諸国、特に欧米の先進国のみならず東南アジアでも皆不況から立ち直っておらず、輸入するよりも輸出に懸命に注力しているのである。

しかも、当方が再三再四指摘してきたように、アジアの新興輸出国から見れば我が国では未だ々経済活動が欧米よりも活発であり、狙い目であると認識されているのだ。現にこれも何度か指摘したが、アメリカ等は中国、インドネシア、韓国、ドイツからの輸入紙を閉め出して、国内産業を振興させようと高率の関税を賦課しているのだ。

このような情勢下では、迂闊に輸出に励めば過当競争に巻き込まれて利益が出るも出ないも、戦後間もなくの状況にような飢餓輸出的な価格で新興勢力は言うに及ばず、欧米諸国の輸出とも競合する危険な事態に立ち至るのだ。私は現在の我が国の経営陣がそこまで踏み切る時が来るのかと見ているのだが。

言いたいことは「野村教授はそこまで海外市場の動向に精通されての批判だったのか、あるいは常識的な視点から言われたのか、大いに疑問だと思っている。テレビに出る権威者?が何か言えば、知らない人はそれが本当だと思ってしまう。よもや大学院で教鞭を執っておられる方がその点をご存じでないとは思いたくないが。

韓国論

2014-02-01 13:13:44 | コラム
1970年代の韓国の思い出:

渡部亮次郎氏の「頂門の一針」3204号の加瀬英明氏の「反日が募る韓国をどうする」を大いなる興味を持って読みしました。そこで私の1970年の韓国での経験談を。

実は、私も1970年に当時の日本の会社での仕事だった韓国のメーカーにライセンスを下ろすことと原材料の開発輸入で、ソウルに行っています。その頃では反日的な目に遭ったことはなく、日本統治時代に育った取引先の幹部には丁重に扱われました。彼等は直接的な表現はしませんでしたが、統治時代の意義を認識していたことは明瞭でした。但し、礼儀作法と言葉遣いには気を遣いました。

当時の零れ話的な思い出に、こういったことがありました。それはかの国の規制で持ち込み禁止だった我が国の出版物(この際は週刊誌でした)を税関も見落としたのか没収されず、持ち込んでしまった形になりました。それを見つけた取引先の社長が喜んで引取り「そっと皆に回覧して楽しみます」と言ったのが印象的でした。彼等は自由世界の出版物に憧れていたのです。

その頃から昵懇にして頂いていたライセンス先の中規模財閥のオウナーには、当時の世界とアメリカの経済情勢を聞きたいと、リタイヤー後の1990年代に観光で出かけた際にも多忙な時間を割いて、私との懇談の機会を作ってくれました。

だが、思い起こせば70年に未だソウルの街には、「イルボン、ペクエン、ジュセヨ」(日本の百円硬貨をくれ)と手を出してくる浮浪児が溢れていましたし、レストランに洋モクを抱えて売りに来る子供もいました。その風景を写真に撮ろうとした日本人が、居合わせた老人に「なんということをする。お前らだった終戦直後はこういう状態だったことを忘れたか」と怒鳴られて店全体がシーンとしたことも例外的にありました。

私は現在の韓国人は統治時代と我が国からの戦後の援助等を忘れていながら(97年にはIMFに救われた成長発展であるのも忘れ)、歴史認識などと言って我が国を批判している矛盾に気付かないという、寧ろ哀れむべき存在であるかとすら思います。極論的に言えば忘恩だと思うのです。現在の朴大統領の言動を見れば、彼等は英語にすれば"They don’t know what they are doing and where they are heading for."だと思っています。

因みに、ライセンスィングは無事成功しましたが、原料輸入は後刻生産現場にまで出張して検品し承認とした物と、最初にテスト輸出されてきた製品とに違いがあってこじれて仕舞い、テスト輸入だけに終わったのは残念でした。

通訳とは

2014-02-01 08:10:59 | コラム
驚き呆れた総理の通訳者の所業:

安倍総理のダボス会議での通訳を担当した者が総理が言われなかったことを勝手に?追加したと報じられているのには、驚く前に呆れてしまった。考えられない過ちである。私にはこれまでの報道ではその同時通訳者の性別は解らない。

これは通訳者のあり得ない大失態であると断じる。私は職業として通訳をやっておられる方々の「職務ないしは服務規程」を詳細に知らないが、通訳する際に発言者が言っていないことを言うなどはあり得ないと、経験的に理解している。そう言う根拠は「普通には実際に講演なりプリゼンテーションをする前に、発言する人と入念に原稿を検討して如何に表現するかを通訳者に徹底するものである」と認識しているからだ。

あの場合は一国の総理の発言であれば、事前の打ち合わせがあって当然であるから、総理の発言の意図を承知していたはずである。一介の職業通訳者か否かは知らぬが、総理の心中を勝手に推察して補足するなどは、絶対にあってはならない越権行為であると思っている。まさか、その通訳者がそう言う認識か感覚を持っていなかったことなどもあり得ないと思っている。だから驚いたのだ。

私自身が1988年に通訳を職業とする有能な女性2人と約2週間、日本国内を回った経験がある。私はそのW社の訪日団体の一員だったので「通訳とは」を学ぶ絶好の機会となった。彼女らは当日の訪問先の企業との会談(と会話)で当面するだろう業種の特徴と専門語とを、事前に徹底的に叩き込むべく最短でも1時間をかけていた。

更に彼女らの英語能力はこの私が評価するほど立派なもので、報酬に十二分に見合っていたものだった。彼女らは絶対にダボスでのような越権行為はしなかった。但し、日本的な「有無相通ず」的な発言は時と場合によってはアメリカ側を「?」とさせることもあったが。時には私に「これをそのまま英語にして良いのですか」と問い掛けたほど過激な発言があった場合もあったが、そのまま訳して貰った。

また、私はW社の社長が東京で投資家に対して会社の説明を行った際に、通訳を担当した同時通訳のプロと事前に発言内容を約1時間かけて打ち合わせしているのを見ていた。故に、会場では全くおかしな通訳はなくお客様に十分にご理解願えたと思っている。そう言う根拠は、その後の質疑応答の内容からも察知出来て解ったのだが。

私は長い間、私自身の職責を「通訳も出来る当事者」と定義付けて、アメリカ側の発言の内容の意図、背景、理由等を(私の判断で)必要に応じて補足してきた。これ即ち、会社の利益を守るべき担当者としての仕事であるから、許されるものと認識していた。また、日本の取引先にも納得して貰っていることも確認してあった。

だが、私の「通訳も出来る当事者」の概念は今回の総理の通訳を担当した者には適用出来ないし、また当て嵌めてはなるまい。産経は同時通訳者の育成を云々していたが、これも少し見当違いであると思う。私は総理の周辺に「総理のものの考え方、国を思う情熱、政治信念と信条等を十分に理解した通訳も出来る側近を配置すべき時が来た」と認識すべきだと言いたい。だからこそ、先ほど通訳者の性別を問うたのである。

ここで私の理想を言えば、かかる事態を未然に防ぐためには、「我が国の英語教育の改革であり、その目指すところは自分が思うことを自由に外国語で表現出来るように持っていくことと、何処かの時点で外国との文化の違いを教えるまでに水準を高めよ」という主張でもあるのだ。また「外国語能力がそこまでの次元に達している当事者を、総理の周辺に置くこと」と言いたいのだ。

私はその人とその人となり、言葉の使い方、癖等を熟知し、当日の顔色というかご機嫌ないしは気分等までを、言われないでも直ちに読み切れる者が通訳を務めるのが最上だと信じている。換言すれば、重大な場面での通訳を一見の者に任せるべきではないのだ、譬えその通訳を職業とする者の練達熟練度が高くても。

私的なことを申し上げれば、私はリタイヤー後には如何に簡単な通訳の仕事でも、良く存じ上げていない方はお引き受けしたくないし、ましてや私にとって経済的なメリットがない場合はお断りすることもあると(「あの人はお金に執着する」と批判されようとも)敢えて言ってきた。それは「通訳することにはそれだけの大きな責任を伴うのであり、単なるペラペラであってはならない」という意味である。