新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

カタカナ語排斥論者の弁

2014-02-02 14:46:26 | コラム
カタカナ語排斥論者の弁:

長年、耳から入ってくる言葉の影響力の強さを採り上げてきた。それ即ちテレビでアナウンサー、ゲスト、芸人、解説者等々が恣意的に使っている怪しげなカタカナ語を指して言っているのだ。それらを聞いた罪なき一般の方々が、ついつい影響されて英語なのかと思われていると確信している。その中で特にイヤだなと思わせられ、かなり広範囲に使われているものを採り上げておきたい。

文法的誤り:
誤っているというべきなのだろう、最早カタカナ語として戸籍を得てしまっている例から。こういう使い方をするのは学校で正しく習ったはずの英文法が全く身についていないために、このような奇妙なカタカナ語となって新聞までが堂々と使っていると思っているもの。
ノミネート(する)=nominate:
解説)日本語の文章の中では「XX氏が芥川賞にノミネート」のようになっている例が多い。普通の英文では"XX was nominated for the Akutagawa Prize.”のように受け身にして使うものだ。しかも、通常は過去形になってしまうはずだが、日本文では正々堂々と現在形だ。英語のような現在形と過去形がないのだから仕方がないが、こんな事をしていて「国際語としての英語を学ぼう」もないものだ。英語は文法的に正しく使えるように努力されたい。
さらに「XXをノミネートする」となれば、行為の当事者となる主語が先行しなければならない。推薦したのが出版社なのか新聞社なのか、あるいは読者なのかをハッキリさせねば文法的におかしくなる。それとも"they"で逃げておくかだが、「主語+述語」の形を採らないと正確な英文にならないとチャンと教えておくべきだ。誰が?
~をゲット=get:
解説)テレビで毎度お馴染みの語法だ。99%の場合既に~を手に入れた後で「~をゲット」と表現している。こんな奇妙なことを言わずに「~を入手」か「~を獲得」か「~を購入」で良いと思うのだが、何故か「ゲット」(=get)を使いたがる。これは過去のことだから、文法的には「ガット」(~をgot)としたい。揚げ足取りだと言いたい方は言ってくれ。こういうことから文法的に正していかないと、下層の英語になってしまうと知れ。
嘗て故・大沢親分は外野手の中間に上がったフライを「俺が捕る」と声をかけるべきで、その時は「アイガリと言え」とテレビで教えていた。これを英語にしてみれば"I got it."で過去形になってしまう。「恐らく"I get it."か"I’ll get it."だったのだろうが、彼に何処かで先輩がそう教えたのだろうから、親分の責任ではない」と好意的に解釈している。

造語:
ワンコイン=one coin:
解説)全く意味も体も成していないというか、何ものも特定しない一見英語風の造語だ。だが、テレビではほぼ間違いなく「レストラン等で500円で食べられる食事、特に昼食」を意味すると、視聴者の90%が認識すると疑っている、というか戸籍を得ている悪い例だろう。
何がいけないかと言って、我が国に流通するはコインが1円、10円、50円、100円、500円がある。それなのに「ワンコイン」とだけ言ったのでは、それらの何れに当たるかを特定しない。しかし、有無相通じる腹芸がある我が国では「500円」と思って貰える。英語というしつこく理屈っぽい言語で重要な点は「言わなくとも解ってくれるだろう」は通用しないのだ。
これも言ってきたことで、「それで通用しているからそれで良いじゃないか」説は尊重する。しかし、繰り返しだが、「それは英語ではないこと」と「英語にはそういう思考体系がないこと」を覚えておいて貰えれば、これを書いた意図は達成出来るのだ。
*ブレークする     もしかしてbreakthrough、
解説)嘗て故岡田眞澄が誰かがテレビ番組で「大躍進」ないしは「劇的に売れて流行した」と言う意味で「ブレークした」と言ったのを聞いて、「何でそんな言葉を使うの。それは壊れるという意味だよ」と言ったのが忘れられない。
その頃だったか、当方は光栄にも当マンションの有志のご意向を受けて「高級な英会話」とでも言いたい講座を続けていた。その受講者の一人でシニア会(=老人クラブ)の副会長の奥方が「ブレークする」に疑問を呈されたので、「強いて言えばbreakthroughに『躍進』か『進展』や『突破』という意味があるが」と答えた。すると彼女は「それ、頂きで、そのまま“breakする”になっているではないか」と言われて、一同大爆笑で終わったものだった。
*オーダーメード       custom or tailor made、
解説)誂えの服などのことをいうようだが、如何にも英語っぽい造語である。注文生産をそのまま英語にしてみたのだろう。made- to- orderという言い方もあるし、tailor madeという特別のお好みに合わせて等という表現もある。
*オッケー OK、
解説)「オーケー」が何故「オッケー」になったか不思議だ。しかも、この方が多用されている。OKの語源は“oll korrect”だとの説と“all correct”の誤記だとの意見と二つある。余り上品な表現ではなく、何としても使いたければ“all right”と言えと教えられた記憶もある。アメリカ人はOKを動詞に使って“OK’d”等とすることがある。即ち“~ has been OK’d.”という具合だ。
*ハイヒール         high-heeled shoes、
解説)この英語の表現は「こうすれば良いかな」と思っただけで、本当に欧米人が使っているかどうかは保証の限りではない。(失礼)ハイヒールと聞けば誰でも「ハイヒール」を思い浮かべるだろう。しかし、high heelだけでは意味を成さないと思う。
*フロントガラス windshield、
解説)見事な造語である。前にあるガラスと単語を並べたのだ。自動車の用語も野球用語度と同様に99%は英語ではないのだ。故に採り上げていけば切りがないので、典型的なものを幾つか挙げておくにとどめる。
*ハンドル      steering wheel、
解説)steerとは操縦するとの意味で、そのための輪であり自動車にはハンドルは使わない。自転車ならばハンドルで良いようだが。なお、steering committeeと言えば運営委員会になる。
*バックミラー rearview mirror、
解説)「後ろを見らー」と語呂合わせになっている辺りに先人の限りない知恵を見出す。リヤカーも同工異曲であれはbicycle trailerかbicycle-drawn cart等と言うらしいが。
*ベビーカー baby carriage (アメリカ式)、baby buggy (英国式)、
解説)何でもcarにすれば良いってもんじゃない。乳母車という古来の日本語は何処に行ったのだろう。

カタカナ語と和製英語

2014-02-02 14:43:54 | コラム
排斥論者の弁:

私はこの手の言葉が余りにも数多く日常的に日本語に登場するのが不思議であった。だが、よく観察してみると漢字・平仮名・片仮名・ローマ字とともに和製英語やカタカナ語が使われている日本語に融通無碍であるという素晴らしさを見出した。それだけに止まらず、新たな言葉を創造してきた先人と現代人の優れた知恵と創造性を見る思いがするのだ。

このような言葉を「外来語」と呼んだり「和製英語」と称したりするようだが、その多くはすでに日本語として戸籍を得てしまい、今更外国人登録をせよと迫るのは遅すぎるのである。先頃、他人様のメールマガジンでこのことを取り上げたところ、かなり厳しい反論および反対に出会った。すなわち「今更それを否定することはない。このまま使い続けよう」という方が多かった。私の論旨は「これらを使うのは各人の好みと自由裁量であるし、日常会話の中で使っても構わないと思う。だが、実態は純粋な日本製の言葉であり、英語とは全く無関係であるという認識だけは持っていて欲しい。

私はこれらの言葉を英語にしてみればこうなると知って貰いたかっただけである。何故この主張をするかと言えば、「言葉は耳から入った場合の影響が強いので、テレビなどに登場するコメンテーター、有識者、学者、スポーツ等の解説者、議員等の社会的に認知されるかあるいは尊敬されている人たちが、無意識に使うかあるいは誤用すると、一般人はそれを素直に受け止めて英語として使ってしまう結果になる点を好ましくないと考えているからである。この際、何も知らずに使っているテレビ・タレント(これも造語だろうと思うが)たちの悪影響も無視できないことも言っておきたい」であった。

そこで、本題に入る前に「和製英語(=造語)とカタカナ語」の生い立ちを論ずることにする。そこには英語のように「表音文字」を使っている言語と、漢字のような「表意文字」も使っている日本語との違いがある。そこに文法の違いが加わるのである。さらに日本の学校教育で英語を科学として取り扱い、しかも「生徒を5段階で評価するために教えて、話せるようにすることはその目的ではない」とする方針があることを申し添えておきたい。

さて、具体例を挙げてみよう。先ずは「文法無視」で、その昔にテレビ漫画に「エイトマン」というのがあった。無理矢理英語でスペルすれば”Eight man”となる。これを見たアメリカ人が「8人ならば”men”ではないか?」と疑問を呈した。すると作者は「8番目の男」という意味であると答えた。アメリカ人は「それならば”8th またはEighth man”ではないか?」と追いかけてきた。すると作者は「もう、これで十分通用しているのだから、どうでも良い」と答えて終わったそうである。

次が「単語を並べた」で、具体例は「ヒーローインタビュー」である。これはテレビのプロ野球中継に屡々出てくる言葉である。これは私の考えでは良く聞く「英語は話せないが、兎に角単語を並べたら何とか通じた」の例に分類したい。同時に文法無視でもある。だが、日本人で野球中継を見ていて、これが何のことか解らない人はいないだろうと言いたいほど日本語に「戸籍」を得てしまった。

堅苦しい文法を言えば「目的語であるヒーローが先に出て来る日本語の語順で言葉を並べてしまった例である。強いて英語にすれば”interviewing the hero”辺りだろう」となる。ここには漢字を幾つか重ねて熟語を作り出す感覚が応用されていないか。

次が「ローマ字読み」である。いやその問題点である。あるメールマガジンや自分のブログで「ローマ字の功罪」、特に「罪」を論じた際の反響は凄まじかった。「ウルトラマン」という有名なテレビ漫画がある。スペルすれば”Ultra man”である。英語では間違っても「ウルトラ」とは読まずに「アルトゥラ」に近い。

そして恐ろしい「言葉の誤用」である。多くの方は何ら躊躇わすに「無邪気か純真」を「ナイーブ」と言われる。これは向かい合っている相手に”You are naïve.”等と言えば、殴られても仕方がないくらいの誤用である。

最後に「発音」の問題を。”Sit down, please.”を絶対に「シット・ダウン」のように発音しないことである。「シット」を素直にスペルすれば”shit”となる。これは松本清張が誤解・誤認識していた「スラング」ではなく「汚い言葉」=”swearword”に分類されて、教養ある人が絶対に公共の場では使わない言葉の代表的なものの一つである。こういう発音を教える学校の先生方の猛省を促したい。”shit”が何を意味するかはここには書かないことにする。