羽生結弦の気迫に圧倒された:
昨夜は中継なのか録画なのかも弁えないままに、羽生の演技(という表現で良いとは思わないのだが)を見ていた。上手いとか下手とかとの議論の前に、その溢れ出る気迫と闘志が真っ向から表に出た滑り方と跳躍に凄さすら感じていた。
いやな言い方をすれば、これで良い点が出なければオリンピックとは何だろうかと思っていた。それは、既に上村愛子の例に見られた審判の判定の基準には、我々の希望的観測を超えた何かがあって差別ではないのかと疑いたくなっていたから言うのである。彼は既に団体という種目で97点を取っているので、それ以上の評価があってしかるべきだと信じていた。
だが。上記のような考え方をしていたので、判定を見ないでチャンネルを変えてしまった。そしてニュースで世界最高だったとかの101.45で、カナダのパトリック・チャンの97点台を引き離していたと知って一安心だった。
私はこの冬季オリンピックでは時間の速さだけではなく審判の判定に大きく左右される種目が多いのに寧ろ感心している。人事評価でも「人が他人を評価する場合の不公平さの如きものが出てくる嫌いがある」と言われている。それと同日には論じられないだろうが、あの物凄い速さで動く試技を人の目で見てしかも主観を入れて判定するのは難しすぎると思っている。しかし、フットボールのようにヴィデオ判定を採り入れるのはもっと難しいだろうと思うのだ。
羽生君がフリーの試技でも高得点を挙げて優勝することを期待したいものだ。余談だが、あのような選ばれ方をした高橋大輔の場合は好結果が出にくいと危惧している。それは彼には目に見え尚且つ見えない負担が大きすぎると懸念するからだ。その過大な負担は彼を選んでしまった境界がかけているのだ。
昨夜は中継なのか録画なのかも弁えないままに、羽生の演技(という表現で良いとは思わないのだが)を見ていた。上手いとか下手とかとの議論の前に、その溢れ出る気迫と闘志が真っ向から表に出た滑り方と跳躍に凄さすら感じていた。
いやな言い方をすれば、これで良い点が出なければオリンピックとは何だろうかと思っていた。それは、既に上村愛子の例に見られた審判の判定の基準には、我々の希望的観測を超えた何かがあって差別ではないのかと疑いたくなっていたから言うのである。彼は既に団体という種目で97点を取っているので、それ以上の評価があってしかるべきだと信じていた。
だが。上記のような考え方をしていたので、判定を見ないでチャンネルを変えてしまった。そしてニュースで世界最高だったとかの101.45で、カナダのパトリック・チャンの97点台を引き離していたと知って一安心だった。
私はこの冬季オリンピックでは時間の速さだけではなく審判の判定に大きく左右される種目が多いのに寧ろ感心している。人事評価でも「人が他人を評価する場合の不公平さの如きものが出てくる嫌いがある」と言われている。それと同日には論じられないだろうが、あの物凄い速さで動く試技を人の目で見てしかも主観を入れて判定するのは難しすぎると思っている。しかし、フットボールのようにヴィデオ判定を採り入れるのはもっと難しいだろうと思うのだ。
羽生君がフリーの試技でも高得点を挙げて優勝することを期待したいものだ。余談だが、あのような選ばれ方をした高橋大輔の場合は好結果が出にくいと危惧している。それは彼には目に見え尚且つ見えない負担が大きすぎると懸念するからだ。その過大な負担は彼を選んでしまった境界がかけているのだ。