ここが違う日米の企業社会:
以下はここ数日の間にO氏とS氏との間で交換した掲題の件についての意見を纏めてみたものである。
私からの問題提起:
私が見るアメリカの労働力の質には問題があって容易に貿易相手国の市場の要求に順応出来ないのではないかと危惧します。兎に角、1994年7月に元USTR代表のカーラ・ヒルズ大使が指摘されたように「識字率の向上と初等教育の充実」に取り組む必要があるのですから。
S氏の反応:
確かにそうですね。分厚い作業指導書があっても読めないのでは何にもなりません。また、あまりにも厚すぎて、字が読めたとしても読む気にもなれません。しかし、その作業書の有無がISOの合否を左右するのですから笑えます。
やはり、品質はマニュアルに書かれたものではなく、経験と勘に体で覚えるものではないでしょうか。
私の意見:
私は実際にヘルメットと安全靴を着用で製紙の現場に何度も入って組合員と語り合っています。さらには全ての直開けの組合員を集めて「品質改善が君らの職の安全(確保)に繋がっていく」との主旨で語ったことも数回ありました。
そして解ったことが「英語が良く解らないアジアからの流入者もいれば、識字率に問題があるのかと疑う者が混じっている」ことでした。彼等の意識を纏めるのが星条旗であり、読むのかどうか解らない気がすることもあるマニュアルだったりするのです。
そういう連中を何年かかけて教育し、時には褒めて、場合によっては叱っても「日本の市場で受け入れられる品質を達成すると、世界中何処の市場に行っても最高級品として通用する。それこそが君らの職の安全なのだ。頼りにしているぜ」と解説してきました。そして、気が付けば19年経って、当人がリタイヤーする時が来ていました。しかし、その甲斐あって日本市場の45%を占める最大のサプライヤーになっていました。
書けば簡単なようですが、大変な試みであり経験で「これほどうるさい日本市場では事業を続ける気を失った」と諦めて出ていくメーカーがあったのは仕方がないことでしょう。私は偉そうに自慢しているのではなく、W社は太平洋西北部に立地するので、輸出して生きるか、ロッキー山脈の向こう側まで高い内陸運賃をかけて売りに行くかの選択を迫られている会社でした。だから、小うるさい日本市場の要求に耐えていこうと決意したのです。私だって職がかかっていましたしね。
そういう条件下にないアメリカの他の地区の日本市場の要求に馴れていない労働力のメーカーが、簡単に耐えていけることとは思えません。初めてここまで言いましたが、外から見る日本市場は輸出入業務、税関、輸入業者、中間の流通業者、印刷加工会社、最終需要家がうるさいだけではなくスーパーや協同組合等の流通業者の細かさは凄いのです。実は、消費者にも対応が難しい方もおられるのです。
そういう仕事を業界と海外と末端のユーザー等の全ての実態を知り、しかも英語が解るような(アメリカから来るならば日本語が出来る)外国の会社が求めるような人材が何処にでも余っている訳ではないのです。何時かはその理由を語りますが、アメリカの大手紙パルプメーカーは商社の原料部門から人材を引き抜いて余り良い結果が出ませんでした。そして、何故か、製紙業界やその流通からは取らなかったのです。
O氏からの問題提起→アメリカの本社機構と労働組合の関係:
私の意見:
O氏が別途指摘されたことですが、会社側と組合との関係は日米間の顕著な相違点であり、我が国で直ぐには理解されないことがあります。それは、アメリカの大手製造業では労働組合は会社とは別個の存在だという事実です。極端な表現をすれば、労組員は会社に所属するのではなく法律で保護された業界横断の職能別の組合に属しています。私が知る限りでは組合員は"union card"を持ち、それが身分を保証するものですし、彼等は別個の組織である会社側に転進することは原則としてあり得ません。
組合員は時間給であり仕事の難易度というか労働者の地位は年功序列で上がっていくのです。断言はしませんが、4年制であろうと院卒であろうと大学出身者はいないでしょう。即ち、日本のように新卒で定期採用されて入社した者が、先ず工場に配属されてそこから事務所に上がり、本社機構に登っていくのとは訳が違います。組合に入れば一生組合員で終わるのが普通でしょう。しかし、50歳台の組合員はかなりの高給ですし、現場での勤務はなく検査室等で働く例があります。本社には原則的に組合員はいません。
一方、製造業では大学の新卒者を本社機構には採用しません。手っ取り早く言えば、事業本部長が私の例が示すように即戦力を必要に応じて中途採用していきます。中途採用されるためには、新卒は何処かに就職して実戦で腕を磨いて誘いが来るのを待つか、これと思う会社の事業部に履歴書を送って声がかかるのを期待しているのです。「しかし」と言うか「故に」と言うか、本社機構には工場の現場から上がってくることはあり得ないのです。Ivy Leagueの年間に500万円もの学費がかかる私立大学のMBAならば、入社していきなりマネージャー職ということもあります。
我が生涯の最高の上司だった優れた頭脳の持ち主は大学では会計学の専攻で、新卒で地方の工場の経理係に現地採用されたノンキャリヤー組。だが、そこで頭角を現して本社に誘われてきました。しかし、その類い希な頭脳で、39歳で本部長に昇進するや製造部門の責任者として現場の技術者と比べても遜色ないほど「製紙学」と「パルプ学」のみならず、営業、総務、人事をマスターしました。そして経理をも統括して事業部の成績を飛躍的に向上させて見せました。彼はMBAではなくて副社長に昇進した珍しい例でした。
これだけでは説明不足でしょうが、アメリカ(の製造業)では我が国とは余りにも企業の文化が違い過ぎます。労組員の家に生まれれば、容易にそこから抜け出せないでしょうが、そこにいてもかなり優雅な生活が保証されるのがアメリカの組合制度かと思うのです。
O氏の指摘:
銀行ではクラークとオフィサーに別れていて、クラークは事務方のことで、言われたことをやればいいだけにことです。一方、オフィサーは夫々専門分野の責務を負い、目標を達成出来なければクビになります。オフィサーには組合もありません。
私の意見:
全くその通りだと思います。この点は重要です。製造業では本社機構に例えば営業第一戦に即戦力として採用された者は「契約した年俸に見合う実績を挙げられなければ最悪の場合には馘首されることは常識」でしょう。勿論、仰せの通り本社機構にいる者の組合などありません。
極端な表現をすれば「自らの職の安全というか雇用を確保して望み通りの収入を確保してリタイヤーの年齢まで懸命に働いて、安定したリタイヤー後の生活が出来るようなペンション(年金と訳して良いでしょう)を取るために、自分のために働くのであって、会社のためなどは二の次でしょう。会社だって、我が国のような福利厚生施設など用意していません。
私はアメリカ人とは「会社は生活の糧を稼ぎ出す手段と心得ているのではないか」とすら思うのです。しかし、一定以上の収入がある者たちの仕事と労働の量は凄まじいものがあります。私の直属の上司だった者の数名は子供たちが大学に入った頃に離婚しています。何とか努力して家庭を顧みているつもりでも、そうではないと見なされてしまうことになってしまうのです。
私が「我が生涯の最高の上司」と形容する副社長兼事業本部長は朝の7時前に出勤し、夜は8~9時までは会社に残っていることがあれば、土日を問わず世界中を飛び回って事業の成績を飛躍的に向上させました。だが、結局は離婚しましたし、仕事が出来すぎることを敬遠されて上級副社長と折り合わず、50歳で辞めてしまいました。
以下はここ数日の間にO氏とS氏との間で交換した掲題の件についての意見を纏めてみたものである。
私からの問題提起:
私が見るアメリカの労働力の質には問題があって容易に貿易相手国の市場の要求に順応出来ないのではないかと危惧します。兎に角、1994年7月に元USTR代表のカーラ・ヒルズ大使が指摘されたように「識字率の向上と初等教育の充実」に取り組む必要があるのですから。
S氏の反応:
確かにそうですね。分厚い作業指導書があっても読めないのでは何にもなりません。また、あまりにも厚すぎて、字が読めたとしても読む気にもなれません。しかし、その作業書の有無がISOの合否を左右するのですから笑えます。
やはり、品質はマニュアルに書かれたものではなく、経験と勘に体で覚えるものではないでしょうか。
私の意見:
私は実際にヘルメットと安全靴を着用で製紙の現場に何度も入って組合員と語り合っています。さらには全ての直開けの組合員を集めて「品質改善が君らの職の安全(確保)に繋がっていく」との主旨で語ったことも数回ありました。
そして解ったことが「英語が良く解らないアジアからの流入者もいれば、識字率に問題があるのかと疑う者が混じっている」ことでした。彼等の意識を纏めるのが星条旗であり、読むのかどうか解らない気がすることもあるマニュアルだったりするのです。
そういう連中を何年かかけて教育し、時には褒めて、場合によっては叱っても「日本の市場で受け入れられる品質を達成すると、世界中何処の市場に行っても最高級品として通用する。それこそが君らの職の安全なのだ。頼りにしているぜ」と解説してきました。そして、気が付けば19年経って、当人がリタイヤーする時が来ていました。しかし、その甲斐あって日本市場の45%を占める最大のサプライヤーになっていました。
書けば簡単なようですが、大変な試みであり経験で「これほどうるさい日本市場では事業を続ける気を失った」と諦めて出ていくメーカーがあったのは仕方がないことでしょう。私は偉そうに自慢しているのではなく、W社は太平洋西北部に立地するので、輸出して生きるか、ロッキー山脈の向こう側まで高い内陸運賃をかけて売りに行くかの選択を迫られている会社でした。だから、小うるさい日本市場の要求に耐えていこうと決意したのです。私だって職がかかっていましたしね。
そういう条件下にないアメリカの他の地区の日本市場の要求に馴れていない労働力のメーカーが、簡単に耐えていけることとは思えません。初めてここまで言いましたが、外から見る日本市場は輸出入業務、税関、輸入業者、中間の流通業者、印刷加工会社、最終需要家がうるさいだけではなくスーパーや協同組合等の流通業者の細かさは凄いのです。実は、消費者にも対応が難しい方もおられるのです。
そういう仕事を業界と海外と末端のユーザー等の全ての実態を知り、しかも英語が解るような(アメリカから来るならば日本語が出来る)外国の会社が求めるような人材が何処にでも余っている訳ではないのです。何時かはその理由を語りますが、アメリカの大手紙パルプメーカーは商社の原料部門から人材を引き抜いて余り良い結果が出ませんでした。そして、何故か、製紙業界やその流通からは取らなかったのです。
O氏からの問題提起→アメリカの本社機構と労働組合の関係:
私の意見:
O氏が別途指摘されたことですが、会社側と組合との関係は日米間の顕著な相違点であり、我が国で直ぐには理解されないことがあります。それは、アメリカの大手製造業では労働組合は会社とは別個の存在だという事実です。極端な表現をすれば、労組員は会社に所属するのではなく法律で保護された業界横断の職能別の組合に属しています。私が知る限りでは組合員は"union card"を持ち、それが身分を保証するものですし、彼等は別個の組織である会社側に転進することは原則としてあり得ません。
組合員は時間給であり仕事の難易度というか労働者の地位は年功序列で上がっていくのです。断言はしませんが、4年制であろうと院卒であろうと大学出身者はいないでしょう。即ち、日本のように新卒で定期採用されて入社した者が、先ず工場に配属されてそこから事務所に上がり、本社機構に登っていくのとは訳が違います。組合に入れば一生組合員で終わるのが普通でしょう。しかし、50歳台の組合員はかなりの高給ですし、現場での勤務はなく検査室等で働く例があります。本社には原則的に組合員はいません。
一方、製造業では大学の新卒者を本社機構には採用しません。手っ取り早く言えば、事業本部長が私の例が示すように即戦力を必要に応じて中途採用していきます。中途採用されるためには、新卒は何処かに就職して実戦で腕を磨いて誘いが来るのを待つか、これと思う会社の事業部に履歴書を送って声がかかるのを期待しているのです。「しかし」と言うか「故に」と言うか、本社機構には工場の現場から上がってくることはあり得ないのです。Ivy Leagueの年間に500万円もの学費がかかる私立大学のMBAならば、入社していきなりマネージャー職ということもあります。
我が生涯の最高の上司だった優れた頭脳の持ち主は大学では会計学の専攻で、新卒で地方の工場の経理係に現地採用されたノンキャリヤー組。だが、そこで頭角を現して本社に誘われてきました。しかし、その類い希な頭脳で、39歳で本部長に昇進するや製造部門の責任者として現場の技術者と比べても遜色ないほど「製紙学」と「パルプ学」のみならず、営業、総務、人事をマスターしました。そして経理をも統括して事業部の成績を飛躍的に向上させて見せました。彼はMBAではなくて副社長に昇進した珍しい例でした。
これだけでは説明不足でしょうが、アメリカ(の製造業)では我が国とは余りにも企業の文化が違い過ぎます。労組員の家に生まれれば、容易にそこから抜け出せないでしょうが、そこにいてもかなり優雅な生活が保証されるのがアメリカの組合制度かと思うのです。
O氏の指摘:
銀行ではクラークとオフィサーに別れていて、クラークは事務方のことで、言われたことをやればいいだけにことです。一方、オフィサーは夫々専門分野の責務を負い、目標を達成出来なければクビになります。オフィサーには組合もありません。
私の意見:
全くその通りだと思います。この点は重要です。製造業では本社機構に例えば営業第一戦に即戦力として採用された者は「契約した年俸に見合う実績を挙げられなければ最悪の場合には馘首されることは常識」でしょう。勿論、仰せの通り本社機構にいる者の組合などありません。
極端な表現をすれば「自らの職の安全というか雇用を確保して望み通りの収入を確保してリタイヤーの年齢まで懸命に働いて、安定したリタイヤー後の生活が出来るようなペンション(年金と訳して良いでしょう)を取るために、自分のために働くのであって、会社のためなどは二の次でしょう。会社だって、我が国のような福利厚生施設など用意していません。
私はアメリカ人とは「会社は生活の糧を稼ぎ出す手段と心得ているのではないか」とすら思うのです。しかし、一定以上の収入がある者たちの仕事と労働の量は凄まじいものがあります。私の直属の上司だった者の数名は子供たちが大学に入った頃に離婚しています。何とか努力して家庭を顧みているつもりでも、そうではないと見なされてしまうことになってしまうのです。
私が「我が生涯の最高の上司」と形容する副社長兼事業本部長は朝の7時前に出勤し、夜は8~9時までは会社に残っていることがあれば、土日を問わず世界中を飛び回って事業の成績を飛躍的に向上させました。だが、結局は離婚しましたし、仕事が出来すぎることを敬遠されて上級副社長と折り合わず、50歳で辞めてしまいました。