新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

ソチオリンピック選手団に思う

2014-02-12 13:49:08 | コラム
TBSの“ひるおび”を見て:

これは近頃最も左巻き的傾向が強まった局だが、選手団の構成を報じていたのを12日の昼過ぎから興味深く見ていた。どうでも良いが、選手よりも役員の数が多いのは矢張りかと思った。しかし、役員の中には医師やトレーナー等も含まれている由だった。だが、医師が3人とは少なくて酷すぎると呆れた。しかも、最近まで外科医だけで内科医は今回からというのも凄いと思った。それは選手にストレスを感じる者が多いので内科医を入れたそうだが、それでも見当が違うのではないのかな。

私が常に気になっているのが食事である。多くの選手が実際にそう言うのかどうか知らないが、日本食でないと駄目だとか、米飯のために電気釜を持参するというのを聞けば、外国の食べ物に自分を慣らすことを一所懸命に実行して身には、何となく違和感を覚える。外国に長期間遠征して試合をすることが視野に入っていれば、何でも食べられるような訓練くらいしておけばどうかと言いたくなってしまう。無理な話か?

そう言う前に、我々世代は戦時中から戦後にかけては「食べられるものがあれば何でも」と、それそれは酷いものを食べて育ってきた経験がある。玄米を一升瓶に入れて棒で突いて白くして食べてきたこともあったし、これでなければ食べないなどと言ってはいられなかった。だから、外国に行ってどんなに馴れていない食事でも平気で食べることが出来たし、言いたくはないが多くの同胞が「不味い」と嫌うアメリカの食事でも何と言うことなく食べてきた。兎に角、先ずは馴れよだ。

確かに試合前には炭水化物が必要だろう。だからと言って栄養価やカロリーの点から見てもそれほど悪くはない外国の食事に馴れておく準備はして置いても良くはないのか。例えば、ハーフパイプとやらの高校生と中学生は学校に十分に行けないほど海外遠征をしていると聞いたが、遠征先では何でも馴れようとはしていなかったのかなと思ってしまう。彼等が馴れているのだったら、そのコツを聞いておけば如何か。

極論を言えば、パック旅行などすれば、先ず「美味だ」と感心するような食事には出会えないものと考えて置いて良いだろう。ある編集長さんは「あれは餌だとでも思って食べておかないと身体が保つまい」と喝破された。その通りだと思う。だから平気で食べた。選手団にも栄養士が帯同しているのだから和食を供給されるのだろうが、あるアメリカ人が言った「口の国際化」の時代に最早入ったのではないだろうか。

因みに、当方の場合は強行日程のアメリカ国内出張中に疲労感を覚えた時には、決して不味いとは思っていないアメリカのステーキ、それも1ポンド(=453.6グラム)を食べて回復を図ったものだった。確かに我が国の肉よりも噛み応えがあるが(因みに、chewyと言う)、「食べてやった」という征服感を味わっていたものだった。それもある程度以上名が通ったレストランに行けばの話しで、フリの旅行者には良い店の発見は難しいかも知れないが。

高梨沙羅を褒めてやろう

2014-02-12 07:20:25 | コラム
優勝ではなかったのは誠に残念且つ可哀想だった:

私は1月中に高梨沙羅危うしと思うことを書いていた。結果が残念ながらマスコミが囃し立てる「メダル獲得」にはならなかったが、高梨自身が「出来るだけのことをやった」と言っている以上「よくぞそこまでやったね」と心から褒めてやって良いと思う。だが、褒められたものではないのが散々金だの何のと要らざると言うか目に見える圧力をかけていたマスコミだ。極論を言えば連中が高校生を押しつぶしたとすら思っている。

私の試合の結果についての持論は「普段の練習と全く同じ心境で試合に臨み、ごく普通の精神状態を維持して、平生と同じ結果を出せれば最善である」というものだ。これは言うほど簡単でもなく易しいことでもないのだが、そこまで持って行けるように練習を重ねていくことが肝要であるということ。

ここに敢えて1月27日にブログに載せた一部を抜粋する。

>引用開始
関心は高梨沙羅にのみ:

マスコミが懸命にソチ五輪を盛り上げようとしているさまは涙ぐましいとすら感じる。遺憾ながらここで展開されるウインタースポーツには関心は乏しいし知識も経験もないのである。個人的に振り返れば、最後にスキーを経験したのが高校1年だったから1948年。アイススケートは記憶すらないが、1947年頃だったかに諏訪湖で地元では当たり前という下駄スケートを初めて経験。いきなり氷の上に出されて立てたと拍手喝采されたのを覚えている。それでも、烏滸がましく少し論じていく。

その程度で云々する資格はないかも知れないが、最も気懸かりなのが高梨沙羅。17連勝だったかしてきたのは大変偉いことだと褒めるべきだろうが、私はあの体格で折角それほど強いのは結構だが、五輪本戦前にそれほど勝ってしまってはソチに着いた時には勝ち運を使い果たしてしまわないかと心配している。勝ち続けるのは非常に難しいとある程度経験したし、20に近い数字などは夢のようなものかも知れないと思うからだ。

現実には目前に迫った五輪前になって2戦続けて2位になってしまったのはかえって良いことかも知れないとすら考えている。何れにせよ、高梨沙羅が運を確保して腕で(身体全体で?)五輪でも好成績を残せれば良いがと祈っている。当方はマスコミではないから、何とか言うメダルの色を取れなどと言って無用な圧力をかけないようにしたい。高梨には年齢的にも未だ成長の余地が残っていると思って期待する。だが、身体の大きさがねー。
>引用終わる

といった次第だが、懸念が現実になったと言うよりも気の毒であったと思うとともに、オリンピックなどでは何時何処から見たことも聞いたこともないような強敵が現れるものだという事が遺憾ながら実証されてしまったと思っている。あの4位という結果は「実力を発揮出来ず」ではなく「持てる力を全部出し切ったのだから」と褒めて上げるのが良いと思っている。