勝負運と高梨沙羅と浅田真央:
私は2月18日に浅田真央はせめて上位3位内に入ってくれ「一番になるのに優ることはないが、3位以内でも十分に立派な成績ではないのだろうか」と述べていた。冷静なる評論家を自称する悲観論者としては、正直なところ、またもや悲運の浅田真央となってしまわねば良いのだがと怖れていたのだ。浅田はあの気迫のこもったフリースケーティングの後では感情を露わにして見せたが、これが一層彼女を可哀想に見せた。
高梨沙羅については、1月27日に「はあの体格で折角それほど強いのは結構だが、五輪本戦前にそれほど勝ってしまってはソチに着いた時には勝ち運を使い果たしてしまわないかと心配している。」と危惧していた。私は「勝負の世界ではついているいないも腕のうち」で、運は自分から掴むものだと思っているが、高梨沙羅の場合には確かに運とは無情なもので、2回目のジャンプの時にだけ追い風だったと報じられていた。
高梨沙羅は4位に終わった後のインタビューでは淡々としていたが、その後で涙を流したと報じられたのは余計痛々しかった。かく申し私は国体の決勝戦で負けたのは高校1年だったから年齢的にはほぼ同条件なのでその辛さは察するに余りあるが、オリンピックと国体と比較するのは僭越だろうとは思っても、「勝負の怖さ」を経験させられたことが彼女の将来の運動選手としての活動に役立ってくれることを祈るだけだ。
浅田真央の場合はこのオリンピックを最後に辞めるとか報じられているが、あのままではさぞや寝覚めが悪いだろうし、心残りだろうと思う。一度は2位になったことを良しとして辞めるか続けるかは浅田が決めること。それは何れにせよそれが彼女の人生であるからだ。どうするかは自分で決めれば良いことだ。個人的には22歳や23歳で「引退」という言葉を使うのには違和感がある。
もし選手生活を辞める気ならば「これからは大きな大会に出ようとすることは辞めて、自分が好きなようにスケートを楽しむ」という辺りが適切な気がしてならない。または「プロのスケーターという方向を選ぶ」といった荒川静香のような道もあると思う。マスコミは軽々に「引退」等と言うな。
私は2月18日に浅田真央はせめて上位3位内に入ってくれ「一番になるのに優ることはないが、3位以内でも十分に立派な成績ではないのだろうか」と述べていた。冷静なる評論家を自称する悲観論者としては、正直なところ、またもや悲運の浅田真央となってしまわねば良いのだがと怖れていたのだ。浅田はあの気迫のこもったフリースケーティングの後では感情を露わにして見せたが、これが一層彼女を可哀想に見せた。
高梨沙羅については、1月27日に「はあの体格で折角それほど強いのは結構だが、五輪本戦前にそれほど勝ってしまってはソチに着いた時には勝ち運を使い果たしてしまわないかと心配している。」と危惧していた。私は「勝負の世界ではついているいないも腕のうち」で、運は自分から掴むものだと思っているが、高梨沙羅の場合には確かに運とは無情なもので、2回目のジャンプの時にだけ追い風だったと報じられていた。
高梨沙羅は4位に終わった後のインタビューでは淡々としていたが、その後で涙を流したと報じられたのは余計痛々しかった。かく申し私は国体の決勝戦で負けたのは高校1年だったから年齢的にはほぼ同条件なのでその辛さは察するに余りあるが、オリンピックと国体と比較するのは僭越だろうとは思っても、「勝負の怖さ」を経験させられたことが彼女の将来の運動選手としての活動に役立ってくれることを祈るだけだ。
浅田真央の場合はこのオリンピックを最後に辞めるとか報じられているが、あのままではさぞや寝覚めが悪いだろうし、心残りだろうと思う。一度は2位になったことを良しとして辞めるか続けるかは浅田が決めること。それは何れにせよそれが彼女の人生であるからだ。どうするかは自分で決めれば良いことだ。個人的には22歳や23歳で「引退」という言葉を使うのには違和感がある。
もし選手生活を辞める気ならば「これからは大きな大会に出ようとすることは辞めて、自分が好きなようにスケートを楽しむ」という辺りが適切な気がしてならない。または「プロのスケーターという方向を選ぶ」といった荒川静香のような道もあると思う。マスコミは軽々に「引退」等と言うな。