新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

運が強かったのか

2014-08-02 15:58:41 | コラム
何処で何か起きるか見通しは立たないもの:

昨日、帰京したが「無事に」と言うよりも遠回しな英語にすれば "uneventful" ではなかったという辺りになるだろうか。

東京を離れた正味3日間はPCにも触れず、新聞も読まず、テレビも夜だけ見ていただけで温泉につかって、昼間は涼しいところを歩き回る極めて健全な生活だった。

野球に思う:
その健全生活の中でヤクルトと阪神の野球を見た。そこに前夜初めて勝利投手になれたばかりの歳内宏明が、敗戦処理のような形で出来た。もうプロで3年目になるそうだが、福島聖光学院に在学中の2010と2011年に甲子園でかなりの活躍振りだったので、何れは何処かプロで出てくるかとは思っていた。だが、今頃お目にかかるとは意外だった。

しかし、忌憚のない批評をすれば「プロ野球か聖光学院か知らないが、一体彼をどのように教育してきたのか」と叱りつけたくなるような投手に育っていただった。あれでは打たれて当然だと思っていると、アウトを一つ取れただけで、被安打2、四球1、失点3であえなく交替させられる始末だった。兎に角、あの投球で何で一軍に上げたのかと阪神の監督・コーチの見識を疑いたくなった。

何が駄目だったかと言って「上体だけで腕の力に頼って投げており、腰が全然回転していない投げ方(投球フォームでも良いだろうが)なので、まるで球に力なく、しかもコントロールされていないのだった。もしかすると、聖光学院の監督さんがキチンと指導していなかったのかも知れない、折角兵庫県から福島県にまで連れてきたのに。

私の持論では高野連の加盟校が4,000を超え、その他にリトルリーグがあって日本の野球の頂点に立っており(決して勘違いしているのではない、念のため)、その他に大学野球リーグが全国に存在し、つい先日西濃運輸が優勝したばかりの社会人野球があれば、一体全体日本全国で何万人の指導者が求められているのかということだ。いえ、それほどの数の優れた指導者がいるのかとの疑問である。それに未だに「柳川事件」の余波を引きずってプロ経験者がアマチュアの指導を自由に出来ない規定が残されている。

しかも、甲子園野球が頂点にあれば、そのトーナメント方式の全国大会の勝ち抜くためには、未だ身体が出来ていない高校生にプロ野球と同じの数多くの球種を覚えさせて、所謂投げ込みという日に何百球という投球練習をさせる傾向がある。私はそれの是非を論じる気はない。何故ならば、甲子園まで勝ち上がるのが野球をやっている生徒たちの理想であり、そこを目指して練習に励むのは良いことだからだ。問題は方法論にある。

だが、一応の素材である歳内をあのような無様な投手に育て上げてしまっては、阪神は失うものは少ないかも知れない。だが、彼は3~4年間でプロ野球生活を終わらせられてしまうのではないか、後何十年かの人生を残して。私は本人の心がけにも疑問は残ると思うが、指導者たちの責任は重大だと思って、何時もプロ野球を見ている。あるいは、この理屈はJリーグの指導者たちにも通じるかも知れないなどとも考えているのだが。

この世では何時何が起きるか予測が付かないもの:
ここで漸く先は読めないものだという話しだ。1日の帰路の朝11時頃のことだった。高速道路に向かって所謂バイパスを走行していた時だった。幾らも行かないうちに前々日からやや不調の兆しがあったエンジンが言うことを聞かなくなって、坂道の途中で止まってえらいことになったと思わずにはいられなかった。実は、この「幾らも行かないうち」が幸運だったのだった由だ。

お断りして置くが、当方はアメリカで「何故レンタカーをして自分で運転して出勤してこないのか」と上司に尋ねられて "I can’t drive." と答えて「免停中か」と切り返されて、 "I don’t drive." と言えば「運転が嫌いなのか」と返されて困惑し "I don’t know how to drive." で漸く解放されたくらいで、運転免許は持っていない。

運転してくれていた愚息は慌ても騒ぎもせず、一昨日に一応連絡済みだった保険会社に電話をしてレッカー車の出動を依頼した。それ以外の危機脱出の方法はなかっただろう。後で知り得たことだが、幸運にも別件で近所にいたレッカー車は30分くらいで到着した。だが、運転者以外を同乗させる席がなく、当方は家内と共に保険会社に紹介されたタクシーを呼んで、最寄りの新幹線の駅まで戻ることで決着した。全てが1時間以内に終わった。アッという間のことだった。

新幹線の駅ではここでも幸運があって臨時列車が走っていた。お陰で家内と共に抱えていた大きな荷物を無事に持ち込める指定席を確保出来て1時間ほどで都内まで戻ることが出来た。これも後で知ったことだが、あの車が停まった場所以外では携帯電話が通じにくいのだそうで、それも幸運のうちだったのだそうだ。

当然のことなのだろうが、自動車には保険をかけておくと、あの何処かの会社のCMのように本当に直ちにレッカー車が駆けつけてくれるものだと知り得たのだった。後になって考えれば、あの炎天下で立ち往生したのは大変なことだったのだが、よくぞ無事に短時間で解決出来たという幸運(自分たちの「なるようにしかならない」という開き直りに近い落ち着きと、愚息の腕?)を噛みしめているところだ。