新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

24歳の日本人男性とは

2014-08-15 11:56:54 | コラム
ネット上では何処の誰かを:

諸兄は既にご承知のことか思うが、一応採り上げた。

事情通から「この件についてはネット上には何処の誰かが詳細に出ている」と聞かされて、早速検索してみた。ナルホド、関連する会社の名前を入れただけで十分過ぎるほどの情報が出て来るではないか。それでもマスコミ、特にテレビのニュースでは毎回「24歳の日本人男性」と報じ続け、DNAの検査では全部の赤子の父親は同一人だが、何処の誰かの特定は出来ていないと言う。

その点を質すと、倫理的には問題があるかも知れない行為でも犯罪ではないのだから、氏名は出さないのだろうとのことだった。そういうものかなと思うが、そういう問題かなとも思ってしまう。

我が国の文化を守れ

2014-08-15 08:03:37 | コラム
情けなやキラキラネーム:

連日時々甲子園野球の中継を見ている。矢張り気になるのが高校生たちの姓ではなく名前の方だ。話は違うかも知れないが、好い加減に誰が言い出したのか知らない「下の名前」という言い方を止めて貰いたいと思わせられている。

高校以下の子供たちの名前を見ていると、最早我が国では昔は、その家族と言うべきかどうか知らないが、一家独特の漢字を長い間受け継いできた命名をする習慣がなくなったのではないかと思わせられる。その代替として名前に流行が生じていると痛感させられる。

我々高齢者はあの当て字の名前が読めないというのは昔話で、重箱読みは当たり前で意味を持たない漢字を連ねたり、当たり前のように「翔」とその合成のものが出てくる。英語のニックネームをもじった名前も大流行だし、当方が現職の頃には大手販売店の社長さんにただ一人だけいた「雄大」も散見される。一体今時の親は子供の名前を何と認識しているのかと問い掛けたくなる。

私は何時までもこういう命名を続けていては「我が国の文化が崩れる日が来はしないか」と真剣に憂いている。「名は体を表す」という格言(また英語だが、"There goes an old saying ~." となる)を思う時、自分の名前が外国人のニックネームの模倣だと知って誇りに思えるだろうか等と考えている。

私は「何でもかんでも新たな息吹を吹き込んでいけば良いものではない」と思う。漢字を使っていくのは我が国の文化であり、命名はその表れであると信じている。我が家はさて措き、多くの伊東さんには「祐」の字が入った名前が多いと思っている。近隣の某国にはその一族の間で必ず入れるべき幾つかの漢字があるとも聞かされた。考え込まされる野球中継だった。

私的な回顧

2014-08-15 07:18:41 | コラム
昨14日で二度目の心筋梗塞から一年が経過:

思ってもいなかった二度目の極めて軽い発作から始まった心筋梗塞から一年が経過した。遠い昔のことであるような感があるが、昨日の出来事のような感覚もある。退院出来た後の9月の猛暑には本当に苦しめられた。正直に言えば、主治医の助手の立場にあったのだろう研修医の心なき言動に心理的な動揺が生じて、掛かりつけの開業の医師に「そこまで思い詰めると自分で鬱に追い込みかねない」と警告されたほどだった。

別の医師には「奇跡の生還である。その率は6.25%だった」と聞かされた。即ち、心筋梗塞の生存率は25%だから、二度目では6.25%になるという計算だった。国立国際医療研究センターでは私を担当されたほとんどの看護師さんたちに「二度目を生き延びた患者さんを見たことがない」と言われた。キリスト教信者ではないが、「神に感謝せねばならないのか」と考えていた。

その身心の苦しさで主治医に「貴方には睡眠が必要だ」と聞かされて、所謂眠剤の服用が長期にわたった。10月に退院後初めて地下鉄に30分も乗って専門商社を訪問した時には、地上に出てから小声で「やった」と唱えたほどだった。

あれから一年かと、昨日は午前中に重苦しい天候の中を約10分歩いて、大久保通りまで散歩に出掛けた。お盆であれば人出はまばらかと期待していたが、意外にもそこには多くの女性が歩いていたのだった。矢張り未だに韓国製の化粧品を買い求める常連客がいたのだと痛感させられた。

本日は69年目の8月15日である。産経は中国と韓国の総理大臣の靖国参拝を非難することに対する意見を述べていたが、彼等には何を言っても効き目はないのだろうと思わずにはいられない。だが、彼等に対してはその正当性を指摘する主張を繰り返しておくべきだし、論争を怖れていればつけ上がらせるだけだと痛感している。

実は、2006年1月の最初に発症日は15日だった。即ち、本日で8年7ヶ月だったのだ。2007年1月の皮膚ガンの摘出手術も15日だった。単なる偶然だと思うが、数字はこういうことになるものだと思っている。目下最大の恐怖のようなことは三回目の発作があるのかどうかだ。