新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

千葉県市原市東海大学付属望洋高校

2014-08-16 17:20:36 | コラム
その昔の精華学園だった:

甲子園野球を観戦すれば、思いがけないことも解ってくるものだった。

8月16日は天候も芳しからず、午前中に一度直ぐ近くに昼食の材料を買いに出たのみで、後は甲子園野球を楽しく批判しながらテレビ観戦をしていた。あの雨降りの中で、恐らく日程が詰まったためだろうか、試合を強行させられた高校生たちも気の毒なものだと、主催者の運営の仕方には賛成出来なかった。

第二試合に登場し、熊本の城北高校と対戦したのが東海大付属望洋高校だった。東海大学にはある程度詳しいものと自負していたが、この付属高は知らなかったので検索してみた。そこで知り得たことはこの学校は、何と嘗て美空ひばりが在学した新宿駅西口の近くにあったと記憶する精華学園だったのだ。

精華学園とは1883年に内村鑑三氏が設立した学校で、戦後の新宿駅西口開発事業で千葉県に移転して、1974年に東海大学と提携し、1986年に男女共学の付属望洋高校に改組されていたのだった。その言わば歴史の浅い高校の野球部が夏の甲子園に初めて出てきたものと解った。言うなれば、「あの芸能人と言うかアイドルが多く通っていた精華学園がこうなっていたのか」という一種の驚きである。

遺憾ながら、望洋高校は熊本勢に僅差で敗れ涙をのんだが、あの悪天候と水田のようなグラウンドで善戦健闘したと言っても良いだろう。月並みなことを言えば「折角初めて来たのだから、もっと良い条件でやらせてやりたかった」となるだろう。

第三試合も東海大参加の相模高校でここには「付属」は付いていない。この野球部は前評判も高く、盛岡大付属高を一蹴するかと期待して観戦した。条件の悪さは両校とも同じだと見えたが、その悪さを十分に活用した盛岡大付属高が初回に2点取ってリードした東海大相模を終盤にひっくり返して初戦敗退に追い込んでしまった。

この試合は前の二試合と比較すれば遙かに高校野球としての水準も高く見応えがあったが、矢張り焦った東海大相模が9回裏のチャンスをものに出来ず、1点差でこれまた初戦敗退に終わった次第だった。

東海大の高校二校の負け方は、共に焦って手を出してはならない時に打ちに出てしまったことと言うか、目一杯になって苦しんでいる相手投手の弱みにつけ込めずその心中を読み切れなかった辺りが敗因だった。その辺りに「勝った方が強いのだ」というか「負けに不思議なし」の大原則が現れていたことになってしまった。

参考資料: Wikipedia