新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月11日のスポーツ観戦

2015-03-12 10:11:49 | コラム
冷静な批評家は失望した:

昨11日は午後3時に外来での心臓リハビリテーションの予約があって、国立国際医療研究センター(NCGM)に出掛けていった。外出出来る範囲が限定されている身には、健全な身体での徒歩ならば30分ほどの距離にあるNCGMでの僅か1時間足らずの運動は最早楽しみでもある状態だ。

4時過ぎに帰宅した後のテレビ番組の期待は、午後7時からの男子 U-22 のサッカーとその裏番組となっていた侍ジャパン(という何とも時代感覚欠如の名前をつけた)NPB代表対欧州代表の野球、さらには世代交替に如何にも苦しみ抜いているかの如き「なでしこ」(この愛称も戦時を想起させられて嫌悪している)のアルガルペカップとやらの下位の順位決定戦だった。優勝争いにかすりもしなかったのだ!しかしながら、その全ての試合で懸念していた欠陥が余りにも極端に露呈されていたので失望落胆させられ、静かに怒り狂っていた。

手倉森監督率いる U-22のサッカー:
先ずは相手のミヤンマーが弱すぎた男子のサッカーから。何度も指摘し続けて来たことだが、仮令 U-22 の段階まででも来た連中は子供の頃から教え込まれた小さく纏めるというか、年齢の段階と中・高の学校の段階でのトーナメントに勝ち抜くためのサッカーしか出来なくなっているのだ。

換言すれば、一国の代表となるためか、欧州等のリーグに進出して一本目のポジションを取れるような身体能力というか技術というか大きさを知らずに育ってしまってきたのである。彼等はただひたすら「ティームの為に一丸となって」、「綺麗にパスを回して得点の機会を作り出そう」、「自分の力で突破しようなどという個人で目立とうなどするな」というサッカーをするのだ。「一丸となって」などは実に心地良く響く「社是」であり、「ティーム是」でもある。

だが、個人が目立とう、自分のためにやろうというような西欧の連中との文化と精神構造の違いの前には「一丸となっただけ」では戦いきれない場面が多過ぎはしないか。先頃のW杯予選敗退然り、WBCでも勝ち抜けられなかったのを如何に説明するか。

私は入院中にアジアカップのオーストラリア対韓国の「相手に当たって倒すことを厭わず、当たられるのを怖れず、自分の突破しようとする道を塞ぐ相手は倒すのが当然だ」とでも形容したいほど、その当たり方がルール内なのかと思わせるほどの乱暴と形容したいサッカーを見て、彼等はどういう環境でサッカーを教えられて今日まで育ってきたのかを知って、大変興味深いものを学んだのだった。

言うなれば「フェアープレー賞」獲得の常連の我が国のサッカーとの相違点だ。綺麗事では何もサッカーだけではなく、国際政治でもタジタジとなってしまう例が多いのではないのか。いわれのないことを言われれば、怖めず臆せず言い返す度胸と場慣れが必要ではないのか。

昨日の U-22 の連中は弱小国相手に9点も取った。だが、飽くまでもフェアーに綺麗に点を取っただけで、「ここ一番俺が目に物見せてやろう」という気迫を感じ取れなかった。相手の弱さから見れば個人技で何とでもなると見える場面でも「綺麗なパス回し」が優先されるし、一寸前が詰まっていれば、弱敵相手に「見事にピッチを広く使う後方へのパス展開」という弱気というか積極性の欠落だった。

しかも、前半で7点取れながら、掛け持ちしていた野球からチャンネルを変えてみれば後半には2点しか取れていなかった。アナウンサー(青島とかいったが)の歯の浮くようなタイコモチ的な褒め言葉が虚しい勝利だった。あの年齢層であの綺麗事のサッカーでは世界の荒さに耐えきれる訳がないと諦めの境地で眺めていた。

小久保監督率いる野球:
解説者だった衣笠は心優しき広島OBで、しきりにシーズン前だからとかばい立てしていたのが痛々しかった敗戦だった。ここでは各個撃破で選手を批判しよう。先ずは小久保が4番に推す中田翔。素質はあると見るが打ちやすい球を遠くに打つだけで、難しい球種やコースには投手の期待通りに倒れてくれる粗雑な打者で、小久保のお眼鏡違いだろう。往年の失投打ちの名手・原辰徳を想起させてくれるもろさがある雑な打者だ。

私は彼のあの染め上げた頭髪に嫌悪感を持たせられて好みではない。そういう事に気が回っているようでは、その精神状態では大きく育ちにくいと思っている。

山田哲人は昨年大いなる実績を残した。当方は彼が目立ってくる前から将来何かになって化けてくるかも知れないかな程度の期待を持たせて貰っていた「上の下」の素質の若手かと思っていた。今回の2試合ではある程度は打って見せてくれた。だが、何となく大振りの傾向が見えて一寸不安だった。

今年は大方のティームから昨年の倍以上の警戒をされるだろうから、変な言い方だが折角あそこまで育っていながら大振りなどしていては正念場になりはしないか。

筒香嘉智も横浜高校の頃から見ていたが、打ちやすい球を遠くに打つ素質を持っていたので、マスコミが囃し立てたがるのだろう素材とだけ評価していた。果たせるかな、良い指導者がいない横浜(DeNA)では時間がかかっている。一昨日はここぞという時に安打が出たし、得点圏打率最上位の力と賞賛された。私はどういう場面で打てかが不明な打率では未だ彼を評価出来ない。何分にも下位の球団の打者なのだから、相手投手だって気楽ではないのか。

広島の菊池涼介のように「守備が良いな」と秘かに評価してきた野球有名校出身でない者があそこまで多くの識者や有象無象に評価されて、日本代表に上り詰めてきたのは好ましい。私は今回は球団が肯んじなかったのか、出ていなかった楽天の藤田一也の守備力は高く評価してきた。彼は打者と球種毎に守備位置を変えて投手を助けてきたと見たし、野球説明者(解説などしていない者が多い)もそう評価してみせるようになった。菊池と交代で使って見せて欲しかったよ、小久保さん。

個人別はこれくらいに止めて、小久保監督の恐らく各選手たちの先を見据えての選択だっただろうティ-ムが案外に不揃いだったし、中田等のお眼鏡違いが散見されたのは、先行きに不安なものを見せられた。別な表現を使えば「誰が中心になって引っ張っていくのか」が見えなかったのだ。例えば、W杯を取った際の澤穂希のような存在がいない選手構成なのだ。それってもしかして小久保の問題かな。

女子のサッカー:
何度も言ってきたことだが、W杯獲得は素晴らしかったのだが、その後の発展が芳しくないのだ。なでしこリーグまで組織されたのは斯道奨励のためには誠に結構だったとは思う。だが、斯道奨励が何時の間にかリーグ戦で勝たんが為のサッカーになり、その下部組織の如き高校の段階でも全国大会のトーナメントに花が咲き、そこに水準を揃えて小さく纏まった選手が沢山育ってきた。

その結果が「男子顔負けの後ろと横へのパス回し」であり「パスのためのパス」であり「自分で眼前の相手を抜いて局面を打開して見せよう」としないと釜本が嘆いたような「皆で一丸サッカー」になってしまった若手が育ったことだ。昨夜のアイスランドなどはW杯獲得メンバーだけで試合をすれば、軽く5~6点は取れただろう弱敵だった。だが、前半はゼロに終わり、後半に宮間と大儀見が入って漸く1点取れた始末だった。

あのなでしこリーグ戦と高校全国大会で勝ちたい監督たちが育てだ選手を任されて、世代交替を何とかしなければならない佐々木監督はさぞや苦労しているのだろうとお察し申し上げている。昨日は久し振りに鮫島を見たが、あの黄金時代のメンバーの中での鮫島だったと、あらためて認識せざるを得なかったのは気の毒だった。反対側に近賀いて、岩清水と熊谷がいての存在感だったということ。

それに佐々木監督には澤を抜いた理由を訊きたい。中心を欠けばあんなことになると解っていたはずだ。宮間は名手だが、澤あっての存在であると再確認されたのは気の毒だとすら思ったのはひが目か。菅沢だの高瀬だのはなでしこリーグでは通用するが、余程心を入れ替えて練習をしないとW杯などには通用しないと当人たちが解ってきたのではないか。ここでも「フェアープレー賞」狙いにならないことを祈るだけだ。