マスコミの報道姿勢への疑問:
A. 「レキシニンシキ。レキシニンシキ」(手を叩きながらリズミカルに唱える)
B. 「ちょと待て、ちょと待て、王毅さん。レキシニンシキって何ですの。説明してよ」(これもリズムをとって唱える)
テレビを見ない方には「何のこと」と当惑されるかも知れないが、これは目下大当たりしている(カタカナ語では「大ブレーク」という”break”の意味を取り違えた言葉で表現されている)「8.6秒バス-カー」なる2名のコントをもじったもの。「レキシニンシキ」となっているところを、彼等は「ラッスンゴレライ」と言っているのだが。
私が言いたいことは、中国の王毅外相は日・中・韓外相会議で、例によって例の如くに「歴史認識」を持ち出して安倍総理が出すと見込まれている「70年記念談話」を牽制したと報じられている点だ。「あーあ、またか」くらいを言う勇気が彼等にはないのは百も承知で言ってはいるのだ。
マスコミ報道を見て(聞いてか)いると「中国や韓国との安倍総理の首脳会談は如何にも安倍総理というか日本側がその開催を我が国の方から懇願しているにも拘わらず、歴史認識やXX婦問題等が障害となって、容易に実現しないのだ」というようになってしまう。要するに「我が国が下座で上座の両国に請願する形」に仕上げたいという考えが露骨なのだ。
私は政府も外務省もマスコミも「論争と対立を怖れることなく」主張すべきは堂々と真正面から推し進めて、妄言を吐き続ける両国の姿勢を正すべきだと信じている。特にマスコミは我が国が如何にも誤っているが如きに報じる自虐的姿勢から一刻も早く脱して貰いたいと思うが、これは所詮は無い物ねだりに過ぎないかと危惧する。
しかし、一方では何事も詫びて水に流して済ます文化がある我が国との対比では、何時まで経っても根に持ってそれを前面に押し出して執拗に迫ってくる両国とのつきあい方を、もうそろそろ改めても良い時期ではないかと思う。彼等が「論争と対立」を仕掛けてくるのだから、怖めず臆せず対座する覚悟がないと、国際場裏では何時まで経っても後手を踏むだけだ。
A. 「レキシニンシキ。レキシニンシキ」(手を叩きながらリズミカルに唱える)
B. 「ちょと待て、ちょと待て、王毅さん。レキシニンシキって何ですの。説明してよ」(これもリズムをとって唱える)
テレビを見ない方には「何のこと」と当惑されるかも知れないが、これは目下大当たりしている(カタカナ語では「大ブレーク」という”break”の意味を取り違えた言葉で表現されている)「8.6秒バス-カー」なる2名のコントをもじったもの。「レキシニンシキ」となっているところを、彼等は「ラッスンゴレライ」と言っているのだが。
私が言いたいことは、中国の王毅外相は日・中・韓外相会議で、例によって例の如くに「歴史認識」を持ち出して安倍総理が出すと見込まれている「70年記念談話」を牽制したと報じられている点だ。「あーあ、またか」くらいを言う勇気が彼等にはないのは百も承知で言ってはいるのだ。
マスコミ報道を見て(聞いてか)いると「中国や韓国との安倍総理の首脳会談は如何にも安倍総理というか日本側がその開催を我が国の方から懇願しているにも拘わらず、歴史認識やXX婦問題等が障害となって、容易に実現しないのだ」というようになってしまう。要するに「我が国が下座で上座の両国に請願する形」に仕上げたいという考えが露骨なのだ。
私は政府も外務省もマスコミも「論争と対立を怖れることなく」主張すべきは堂々と真正面から推し進めて、妄言を吐き続ける両国の姿勢を正すべきだと信じている。特にマスコミは我が国が如何にも誤っているが如きに報じる自虐的姿勢から一刻も早く脱して貰いたいと思うが、これは所詮は無い物ねだりに過ぎないかと危惧する。
しかし、一方では何事も詫びて水に流して済ます文化がある我が国との対比では、何時まで経っても根に持ってそれを前面に押し出して執拗に迫ってくる両国とのつきあい方を、もうそろそろ改めても良い時期ではないかと思う。彼等が「論争と対立」を仕掛けてくるのだから、怖めず臆せず対座する覚悟がないと、国際場裏では何時まで経っても後手を踏むだけだ。