新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「下の名前」論

2015-03-24 15:30:30 | コラム
奇怪な命名を嘆く:

言うなれば何時まで続けねばならないか解らない自宅療養を続けている私は、予約がある日に通院する以外はボンヤリとテレビを見て過ごすことが多い。そこで、つい先日始まった甲子園の選抜高校野球も集中することもなく眺めている。そこで最も気になるのが、出てくる野球部の子供らの読み取れない名前である。即ち、今や何処の誰が(AHOが)言い出してここまで普及したのか知らない「下の名前」のことだ。キラキラネームとでも言えば良いのかな。

私にとっては、以前から慨嘆し批判してきたことだが、我が国の「名前の文化」は完全に破壊されたかと思わせてくれるのだ。最も目につくのが、ほとんどの学校に必ず一人は「翔」単独か他の漢字と組み合わされた二ないし三文字の名前の子供が出てくる現象だ。親の方々はこの流行語の如き名前をつけることに如何なる意義を見出しているのか尋ねてみたい衝動に駆られる。同じ組に「翔君」が3人もいたらどうする気かと。

検索すると何処かのテレビ局が”IDATEN翔”というアニメを流していたそうだが、それが切っ掛けとなって「翔」が流行りだしたかどうかまで見ることはしなかった。

名前の文化という根拠は、我々昭和一桁とその前後では名前をつける際には「その家族乃至は一家か一族に共通する一字を入れる」、「父親の名前の一字を取る」、「我が国の英雄とか著名人や有名人の名前の一字を貰う」、「二か三文字の名前に使う漢字が何かの意味を持つ、言わば熟語のような形になる」、「何番目の子供であるかを示す漢数字を入れる」というようなことである。重箱読みも禁じ手だったと理解している。

ところが今や「キラキラネーム」の時代とは相成って、平成の親どもにはこういう古き悪しき?時代の文化を破壊しようとでも思っているのか、全く判読出来ない漢字の組み合わせなどは当たり前で、当て字や重箱読みは花盛りだし、その漢字の意味を勝手に解釈したのかと考える以外ないと嘆かせてくれる名前ばかり。

しかも、往時はある程度武士から足軽からそれ以下身分を示す形となるような漢字を平気で使っている名前が多いのにも驚かされる。これぞ我が国ほど悪平等に近い平等が普及する国だという証だろうか。いや、民主的なのかも知れない。

私はこの現象と流行を「今の学校教育では国語と漢字を往年のようにあるべき形で教えていないことが原因ではないか」とすら疑いたくなってしまう。換言すれば「漢字の文化」を忘れ、我が国の伝統的命名等は完全に棄て去られたのかと思っている。その背景には核家族化で祖父・祖父母と同居しない時代となっては「我が家の伝統的名前」等は継承されないのかとも考えた。

午後になって二つの科での定期検診を終え病院から帰ってテレビをつければ、東貴博なる芸人に長女が生まれ、萩本欽一に命名して貰った女児の名前が「詩歌」と書いて「ウタ」と読ませると報じていた。これなどは今となってお手柔らかな方で、プロゴルファーには穴井詩という女性がいる。彼女の場合は「詩」と書いて「ララ」と読むのだそうだ。ここまで抵抗出来ず素直に降参だ。

国語教育に問題があるのかとは言ったが、「下の名前」という奇妙な言葉を流行らせテレビの影響が甚大時代では「キラキラネーム」の横行を嘆いたり、批判する私が時代遅れなのかも知れないと、秘かに反省する今日この頃だ。あーあ。