新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私の英語論

2015-03-27 06:52:34 | コラム
頭の中のギアの切り替えで対応する:

私の持論である「英語では頭の中のギアの切り替えが必要」論に対して、頂門の一針の読者の方が以下のように質問してきました。言うなれば”That’s a good question!”であって、難問なのです。即ち、私の英語論からここだけ採りだして訊かれても困った質問なのです。

>引用開始
”<そして、「英語で話す時には頭の中のギアを切り替えて英語だけで考えるようにせねば、話すことなどの上達は望めない」とも主張してきた。>とありますが、この英語で考えるということは、実際にはどうすればできるのでしょうか。言い方を変えればければ、日本の英語教育の中ではどのような教え方をすればいいのでしょうか。”
>引用終わる

私は下記のようにお答えしておきました。

私にとってはこれにお答えするのは極めて簡単なようで難問です。その背景には「私の主張は容易にお解り頂けない点が多々あるからと感じました」と言えるからです。

私の主張の基本には1945年にGHQの秘書の方(勿論女性ですが)に厳しく指導された「英語で聞いたことはそのまま受け入れること」があります。これは「日本語に直して考えるか覚えることをせずに、こういう場合は英語ではこう言うのか」と記憶せよという意味です。論旨の飛躍があるかも知れぬ換言の仕方をすれば「英文和訳」の作業をしないで、英語のままで覚えておく」ということ。

この点をご理解願うために、これまで私が例に挙げた表現に「あの当時その秘書の方とスキーに行った草津の旅館の一室で、着替え中の彼女が我々子供たちに向かって”Turn around the other way, boys!”と言われた瞬間には何のことか解らず、ボンヤリとしていました」だ。だが、2~3回言われてその状況から考えて『向こうを向いて』が正解だった」があります。これで「あっちを向け」を覚え、「こっちを向け」は”this way”を使えば良いのだと覚えられたのです。

このようにして覚えた表現の例を幾つか挙げておけば「直ぐにそっちに(貴方のところに)行くよ」が”I’ll be right with you.”であり、「一寸これを持っていて」が”Hold this for me a minute. Will you?”で、「そこの本を取ってよ」が”Get me that book over for me. Thanks.”という具合でした。後の二つの例文にある”for me”が曲者で、これを言わないと「誰のためにそうするのか」が表現出来ないのが英語の落とし穴なのです。

次は「これから言いたいことを先ず日本文で思い浮かべ、それを逐語訳的に訳していく作業をせずに、蓄積しておいた数多くの(限られた?)表現の中からこれと思うものを呼び出して並べていくようにする」です。ここではいきなり正解が出来るとは限りませんが、私の先生は正解でない場合は反応してくれないので、出来るまで繰り返していくというやり方でした。聞き取れない場合も解るまで繰り返していって貰えました。

表現を変えれば、「英語を話すか、英語を聞くか、英語で考える時には、頭の中を空白にして英語を受け入れるように訓練していくこと」かと思います。だが、これは簡単ではない勉強法で、一朝一夕に成るものとは思えません。もしも簡単にそれができる方法をお尋ねならば、それはあり得ないことで、私如きでは切り替えが自動的に出来ていると思うようになったのは中学3年の頃だったかと記憶します。努力だけでした。

また、私は単にギアの切り替えだけで英語が出来るようにならず、再三採り上げてきた「繰り返しての音読」、「暗記」、「暗誦」を最大の重要な勉強法として旧制中学から高校3年までの間、これしかやらなかったと言っても誤りではないほど、「音読」に執着していました。申し上げておきたいことは、特に「会話」を心掛けたことはなく、話すことは頭の中のギアの切り替えで十分間に合っていました。

極めて極論的に言えば、私の英語勉強法は我が国の現在の「科学としての英語」の教育法には不向きなので、TOEICだの英検だのというテストに直接的に効果を発揮しませんし、学校の試験や大学入試に速効を表さないでしょうから。故に、万人に「頭の中もギアの切り替え方式」をお薦めはしません。でも「成功に王道無し」ですから、この方式でやってみたいと思われる短期的な成功を目指さない方が出てこられれば、それで私は分に満足なのです。