北アジア諸国の国際的観念と我が国:
5月1だったかに開催された韓国の提案によると聞く「北朝鮮の人権問題」を採り上げた会議の席上で、北朝鮮の代表は議長の指名もないままに発言の順番を無視して、議題とは無関係のアメリカ批判を展開した様を報じたニュースを家人とともに見ていた。彼女には直ちには北朝鮮代表が何を始めたかが理解出来なかったのだった。
思うに、あの北朝鮮の代表者は上層部の以降を十二分に理解し忖度して「命じられて通りをあの国際会議の場でもひたすら忠実に実行した功労者として帰国後には評価されるのだろう」と私は解釈していた。彼には国際会議での切れなどは第一書記の命令と比較すれば「軽い、軽い」だったのだろう。根本的に文化が違うので、彼等を批判しても無駄なのではないか。
私はこの北朝鮮の国際的な会議での儀礼、仕来り、乃至は決め事か秩序をいとも簡単に無視した発言を聞いて、この国は未だに「外国」というか”International”というものが何であるかを全く知らず、如何なる場においても自国の文化の許すままに恣意的に振る舞っても何ら問題ないというか、そういう行動が何らかの問題を引き起こすかとは考えてもおらず、上層部に指示された通りに行動しないと命令違反で大変なことになるとしか考えてないのだと思った。即ち、一族支配の恐怖だろう。
共産党一党支配の中国にしても大筋では同じことで、その支配者の命令の下に自国のためになることであれば何でも実行して行かざるを得ないような体制下にあるのだと思って、彼等の日常の言動を眺めている。そこにあるのは中華思想と言うよりも自国の経済的(お金のための)発展と権益拡大と軍備というか防衛のためには、他国の横槍のような介入などは一切無視して突き進むのだ。
北朝鮮は国こそ違え、文化的には中国のレプリカのような行動と発言が目立つのだ。同じ韓民族である韓国は大筋ではこれら二国と同じような「我こそが法律」と言いたいような無法さが時には目立つが、一応資本主義陣営の一国である以上、多少は国際法に準拠した行動をしているやに見える。だが、一皮むけば、その正体はこれらの二国と余り変わっていないような無法性というか非近代性が目立つ。
その非近代性は相手がこと我が国となると、理屈も理論も超越した感情的な無法性と非国際性が際立ってくる。アメリカにおけるマイクホンダのような下院議員までを巻き込んで展開するXX婦問題の運動や、ワシントンDCでの過剰と言いたいロビー活動などは一見愛国心の発露の如くだが、日本を蹴落とすためには手段を選ばない無法さと理屈と理論を超越して激化した感情の発露と故なき敵意が私には見えてくる。
このような自国の文化と仕来りだけに基づいた無法と且つ出鱈目と言いたい動きに対して、何時まで経ってもフェアープレーと筋を通したつもりの穏やかなとしか思えない反論と抵抗だけしかしていないでいれば、それこそ彼等の思う壺だろう。「朝日新聞があの程度でもお詫びの記事を載せたからXX婦問題の誤認識は正され、韓国は少しで軟化して姿勢を変えるだろう」とでも思っているのだったならば誤りであると思う。
私はどれほど大変な作業であろうとも、我が国は出るべきところに出て彼等と対峙して世界の諸国にも解らせるように真っ向から反論して我が国が正しいことを主張していると理解させ納得させない限り「安倍総理はアメリカ議会の演説で謝罪しなかった」等という戯言を言い続ける根拠にするだろう。何分にも我が国の識者の方々の中にも同様な迷言を吐く方がおられるくらいだから。
かの三国は「論争と対立」を怖れていない。一方の我が国の当事者である官庁や政治家は「論争」を得手としておられないようだし、「対立」を極力回避する文化を持つ村の中で育ったこれたので、「後が怖い」との妄想から敢えて出ていけないのではないかと思っている。早く国際慣れして感情論に陥らない議論というか論争に馴れておかないと、上記の三国以外にも「日本与しやすし」と舐められ続けてしまうのではないのか。
5月1だったかに開催された韓国の提案によると聞く「北朝鮮の人権問題」を採り上げた会議の席上で、北朝鮮の代表は議長の指名もないままに発言の順番を無視して、議題とは無関係のアメリカ批判を展開した様を報じたニュースを家人とともに見ていた。彼女には直ちには北朝鮮代表が何を始めたかが理解出来なかったのだった。
思うに、あの北朝鮮の代表者は上層部の以降を十二分に理解し忖度して「命じられて通りをあの国際会議の場でもひたすら忠実に実行した功労者として帰国後には評価されるのだろう」と私は解釈していた。彼には国際会議での切れなどは第一書記の命令と比較すれば「軽い、軽い」だったのだろう。根本的に文化が違うので、彼等を批判しても無駄なのではないか。
私はこの北朝鮮の国際的な会議での儀礼、仕来り、乃至は決め事か秩序をいとも簡単に無視した発言を聞いて、この国は未だに「外国」というか”International”というものが何であるかを全く知らず、如何なる場においても自国の文化の許すままに恣意的に振る舞っても何ら問題ないというか、そういう行動が何らかの問題を引き起こすかとは考えてもおらず、上層部に指示された通りに行動しないと命令違反で大変なことになるとしか考えてないのだと思った。即ち、一族支配の恐怖だろう。
共産党一党支配の中国にしても大筋では同じことで、その支配者の命令の下に自国のためになることであれば何でも実行して行かざるを得ないような体制下にあるのだと思って、彼等の日常の言動を眺めている。そこにあるのは中華思想と言うよりも自国の経済的(お金のための)発展と権益拡大と軍備というか防衛のためには、他国の横槍のような介入などは一切無視して突き進むのだ。
北朝鮮は国こそ違え、文化的には中国のレプリカのような行動と発言が目立つのだ。同じ韓民族である韓国は大筋ではこれら二国と同じような「我こそが法律」と言いたいような無法さが時には目立つが、一応資本主義陣営の一国である以上、多少は国際法に準拠した行動をしているやに見える。だが、一皮むけば、その正体はこれらの二国と余り変わっていないような無法性というか非近代性が目立つ。
その非近代性は相手がこと我が国となると、理屈も理論も超越した感情的な無法性と非国際性が際立ってくる。アメリカにおけるマイクホンダのような下院議員までを巻き込んで展開するXX婦問題の運動や、ワシントンDCでの過剰と言いたいロビー活動などは一見愛国心の発露の如くだが、日本を蹴落とすためには手段を選ばない無法さと理屈と理論を超越して激化した感情の発露と故なき敵意が私には見えてくる。
このような自国の文化と仕来りだけに基づいた無法と且つ出鱈目と言いたい動きに対して、何時まで経ってもフェアープレーと筋を通したつもりの穏やかなとしか思えない反論と抵抗だけしかしていないでいれば、それこそ彼等の思う壺だろう。「朝日新聞があの程度でもお詫びの記事を載せたからXX婦問題の誤認識は正され、韓国は少しで軟化して姿勢を変えるだろう」とでも思っているのだったならば誤りであると思う。
私はどれほど大変な作業であろうとも、我が国は出るべきところに出て彼等と対峙して世界の諸国にも解らせるように真っ向から反論して我が国が正しいことを主張していると理解させ納得させない限り「安倍総理はアメリカ議会の演説で謝罪しなかった」等という戯言を言い続ける根拠にするだろう。何分にも我が国の識者の方々の中にも同様な迷言を吐く方がおられるくらいだから。
かの三国は「論争と対立」を怖れていない。一方の我が国の当事者である官庁や政治家は「論争」を得手としておられないようだし、「対立」を極力回避する文化を持つ村の中で育ったこれたので、「後が怖い」との妄想から敢えて出ていけないのではないかと思っている。早く国際慣れして感情論に陥らない議論というか論争に馴れておかないと、上記の三国以外にも「日本与しやすし」と舐められ続けてしまうのではないのか。