新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本サッカーの女子代表に思う

2015-05-26 08:06:30 | コラム
彼女らは本当に弱くなったのか:

昨日「女子代表のサッカーは何となく年々弱くなっていったかの感がある」と題して、対ニュージーランド代表との試合の感想を述べた。私は「弱くなった」か「強くなった」かは相対的なことでもあり、何を基準として、何を対象にするかが明らかでないと「弱くなった」と決めつけるのはフェアーではないのかも知れないとすら考えている。

上記の「相対的」という点では、私は残念ながら2006年7月に73歳で亡くなられた日大フェニックスの監督だった篠竹幹夫氏が言われたことが忘れられない。言うまでもないとは思うが、故篠竹氏はフェニックスを44年率いた大監督で、未だに他大学が達成できていない社会人ティームを退けて、1988~1990年間にライスボウル(日本選手権である)の三連覇を達成されていた。

しかしながら、フェニックスの黄金時代も1990年で終わったかの感があり、それ以後は暫く大学選手権である甲子園ボウルへの出場もままならない時期があった。その不振の時期に篠竹氏の話を聞く機会があった。彼は「フェニックスが弱くなったという声があるがそれは正しい見方ではない。うちはずっと同じ場所に止まっているだけで、その間に他所の大学がうちより強くなってきただけだ」と言われたのだ。

意外だった。あの強気で闘争心溢れる篠竹氏の言とも思えなかったからだ。しかし、良く考えれば篠竹氏は冷静に客観的な情勢を把握しておられると思わずにはいられなかった。この頃には確かにそれまではフェニックスの敵ではないかと思われていた諸々の大学が法政大学・トマホークス等を中心にして続々と強化策を講じて、フェニックスを追い抜き始めていたのだった。

長い導入部となったが、ここまでで私が「日本の女子代表が弱くなってしまった」という論拠をお解り頂けたと思っている。即ち、澤や宮間に代表されるWは優勝組はあの頃以上には、数名の例外を除いては、成長した者が極めて少なく、混成代表ティームとしてはずっと同じ場所に止まっていた感があるのだ。言葉を換えれば、澤も宮間もディフェンスの4人も成長の頂点に達していたのではないかということだ。

一方、思いもかけなかったアジアの代表だった我が国の代表にW杯を獲られた欧州と南米勢は「これはいけない」と奮起し、アジアで何時でも我が国を不倶戴天の敵と見なす韓国勢も黙ってはおらず、オセアニアの強豪・オーストラリアとても思いは同じだったのではないか。そこで彼等は徹底的に我が代表のスカウティングと言うか分析を開始し、「出る杭を打とう」作戦に出てきたと私は見ている。

その端的な表れというか結果というか、あるいは成果というか、アルガルペ杯では何と彼女たちは私も予想できなかった9位という惨敗に終わったのだった。厳しい見方をすれば、最早成長しきった中心選手になでしこリーグでの優秀選手を加えたメンバーでは「優勝以来同じ場所に止まっていた」ことになっていたのだった。他国は3年半も経てば3歳相当分も成長していたのではなかったか。

私がここでこのようなことを論じるまでもなく、協会も佐々木監督も我が代表が如何なる危機に直面しているかは先刻ご承知だろう。私は佐々木監督が1年間澤を代表から外していたのは意図的であり、後進の奮起を期待していたのか、あるいは澤を外せばどうなるかをティーム内にも自覚させようとしていたのではと疑っている。

以上述べてきたことを綜合すれば、既にお気付きの方もおられると思うが、私は現在の女子代表ティームは余程二線級が奮起して短期間に急成長しない限り、W杯二連覇どころか16強以上に上がっていくのは簡単ではないと懸念せざるを得ない。それは、あの「11人」は既に研究し尽くされたので、諸国のそのスカウティング・ブックに詳細が載っていないかも知れぬ連中が動き回れば、欧州と南米勢を攪乱できる可能性が出てくると思うからだ。そこにチャンスが生まれる可能性を見出すのだ。