新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

新国立競技場建設問題

2015-05-22 16:53:47 | コラム
2020年オリンピック開催を前に不手際が多過ぎないか:

下村文科相が舛添都知事に500億円の協力を依頼したと報じられたと同時に、鳴り物入りの設計だった競技場の開閉可能な屋根は2020年のオリンピック終了後に設置されることも伝えられた。しかも、建設工事そのものが前年に開催されるラグビーのW杯開催に間に合うか否かも疑問だという声まである。その理由の一つに建設の要員が不足する見通しがあるというのも、何ともな抜けなことではないか。

そのような人員不足の事態は鳩山内閣が「コンクリートから人へ」というこれまた何ともピントが呆けた政策を打ち出して以来、土木建設業界では業者の数が大きく減少し熟練した人材の大いなる不足を来した上に3.11に襲われて、人手不足に拍車がかかったという辺りは、全くの門外漢の私でさえ承知している公知の事実だ。その最中に東京オリンピックの誘致に成功した辺りで、事情通が懸念していたことではないか。

私は何もスポーツ関連の団体だけに限ったことではないが、我が国ではこのようなある意味では国家の威信がかかったような大事業には不手際が多いのが気に懸かるのだ。事実、先頃のバスケットボール協会の世界に恥をさらしたような不始末を、サッカー界の川渕氏に救われた例があったし、ハンドボール界では多くの日本代表の者どもが禁煙の合宿所で喫煙したなどという恥をさらしている。指導能力の欠如だ。

このような上部団体の非常識さや不手際が多過ぎやしないか。以前にも指摘したが、その競技で優秀だった者たちをその優秀だったという事実を主な根拠にして協会の幹部に昇進させて運営を任せたための失態がこれまでに何件あったなどは、ここにあらためて私が指摘するまでもないことだ。サッカー協会が川渕氏は卓越した政治力と組織を活かす術を経験されたので、Jリーグを成功させたのは珍しい例だというのも、視点を変えれば決して褒められたことではないと懸念する。

今回の国立競技場の予算設定等に見せた世間知らずと先行きの見通しの甘さなども、そのスポーツ協会の運営の不首尾の延長線上にあるのではないかとすら疑いたくなる。これは単なる私の妄想かも知れないが、IOCに8万人終了との条件をつけられたために、我が国独特の傾斜が緩やかななスタンド(客席の建物とでも言うか)を設計させて、あのような広大な面積となるデザインを採用してしまったのではないかと。それが予算の再編成をせねばならなくなった一因でもあるのではないかと思わせられた。

私は(「またアメリカか」と言うだろうが)アメリカで多くの野球場やフットボール場に観戦に行った経験がある。ワシントン大学(UW)のハスキースタジアム(フットボール専用)は7万人収容だが、あれほど広いUWの敷地がありながらスタンドの傾斜は最上階から下を見下ろすと高所恐怖症になりそうなほど急勾配だ。その方がフィールド全体を広く見渡せるのだが。

毎年Rose Bowlが開催されるカリフォルニア州パサディナのスタジアムは9万人収容だが、同様に急勾配だ。それに引き換え例えば東京ドームの急勾配ではなかった緩勾配を見よ。迂闊に変な席に座ると、遙か遠くで競技が行われていて、観戦の興味を削がれること甚だしい。何か勘違いをしているのか、あるいはこういう施設建設のノーハウが余りにも乏しいのではないかと疑っている。

私は今からでも遅くはないから、新国立競技場の設計のコンペをやり直す必要がありはしないかとまで考えている。その理由はフィールドに陸上競技のトラックを設けると、サッカーなり何なりをするピッチがスタンドから一層遠くなって見にくくなるからだ。また、それなりに予算を再検討して、然るべき要因が集められるように増額する必要があるのではとまで思いつつニュースを聞いていた。だが、東京都に協力を要請するお国が予算に余裕があるとは思えない。

と言うような次第で、東京オリンピックを無事開催するだけではなく、主たる競技場を期限までに完成させるためにはかの川渕氏のような能力と経験を積まれた人材を今からでも広く野に求めて計画を練り直すことすら考えないと、IOCに云々される前に「獅子身中の虫」的なマスコミが「ご注進、ご注進」とばかりに国の内外に問題点を殊更に報じかねないと予測するのだ。

以上が妄想かも知れず、また取り越し苦労であることを願って終わる。