何となく年々弱くなっていったかの感がある:
昨24日夜には女子のサッカー代表がニュージーランド(NZ)代表と親善試合があったとは知らずに8チャンネルを観ていた。そう言えば、マスコミが何日振りだかで澤穂希が代表に復帰したと騒いでいたなと思い出さされた。
私は佐々木監督ともあろうお方があのまま澤を外しておいて良いとは思っていなかっただろうと考えていた。確かに世代交替は必要だろうが、何度も指摘したように、なでしこリーグだったかが発展してしまったお陰で(せいで?)「あのレベルでしか通用ない一見素晴らしい者が数多く育ってしまい、何時まで経ってもW杯獲得の11人を入れ替えることなどあり得ない状態」なのだ。即ち、未だに澤の存在は代表には欠くべからざるものなのだ。
嘗て岡田武史監督はW杯直前の合宿から三浦知良を外して、その決断振りを見せつけた。私は疑問に感じていた。それは代表として連れては行っても先ず試合には出して貰えない者が7~8名はいるのだから、その中に三浦を入れて選手団の精神的な支えか、陰の指導者的な存在としても使えるのではないかと思っていたからだ。澤穂希は既にしてその頃の三浦以上の存在になり得ていると評価している。
故に、佐々木監督が敢えて澤を選ばれたことはニュースでも何でもないと思うし、別な見方からすれば世代交替など未だ夢物語だということにもなりはしないか。実際にそうだったことは試合の内容が問わず語りをしてくれたのは大いに遺憾だった。
私は、女子代表がW杯で優勝したことは誠に偉業であり、後世に語り継がれて然るべきだとすら考えている。あの最後にアメリカとのPK戦で勝った11人の塁を摩する者は下部組織とでも言いたいなでしこリーグからは出てきていない。それどころか、あれ以降女子代表のサッカーを観ていて感じることは「その力はあの当時の11人が未だに中心であり、彼女らが年齢を加える毎にサッカーの質が劣化する方向にあるのではないか」という点だ。
それを実証するかのように昨夜の前半に起用された11人の9人があの代表メンバーだったのだ。申し訳ない次第だが、その新顔の2人の中で20番を付けていたものは顔も名前も知らなかった。GKの山根は何度が見ているが、身長が高いという以外は成長の跡が見えず、未だ未だ拙いGKであり、あれでは大きな外国人というか欧州勢が相手の試合には出せないなとの感が深かった。山根と20番が「後継者は未だし」という試合の内容を示すような結果だったのは残念だった。
我が代表はW杯を取りオリンピックでも2位だったから、世界各国に研究し尽くされた模様で、昨夜もNZは素早い寄せと後方への展開(バックワードパスのこと)の際の球のスピードが遅いところを狙ってそのパスをインターセプションに出て、何度も我が代表を危機に追い込んで見せた。しかも、苦しくなると縦一発の長いパスを蹴ることまで読み切っていて狙い撃ちにして長い足を伸ばして奪い取って見せた。
このように確かに苦しい試合展開となったが、流石に歴戦の雄であり「十分に合わせてある」澤と宮間の連携でCKから得点し、後は岩清水、近賀、熊谷、鮫島の熟練し卓越した守備力で守り切ってくれたのは流石と讃えても良いだろう。特に後半にGKが前に出過ぎた後の無人ゴールをカバーして一瞬「入ったか」と思わせられたシュートを蹴り出した岩清水は立派だった。しかし、積極的に攻めて出て我が代表を苦境に追い詰めたNZ側にはこれという決め手になる得点の形がなく、1点に泣かされた結果に終わった。
とは言え、佐々木監督も澤も宮間もこれから先にあらためて改善すべき点を再確認しただろうとは思うが、あの11人(昨夜は阪口が負傷欠場で大野は後半からの起用)と他の顔触れとの落差は如何ともしがたいだろう。例えば、なでしこリーグの得点女王だったという菅沢などは、何処までいってもあのリーグだけで通用する力であり、昨夜も未だ単なる「木偶の坊」的な存在でしかないところを見せていた。欧州で折角あそこまで成長した大儀見のトラッピングの悪さも要改善で、解説者の山郷の指摘を待つまでもないのが残念だった。
繰り返しにはなるが、あの11人と後進との差を埋めるのは至難の業であるし、6月には本戦が始まるのでは最早時間がない。結局は澤を使ってもあの前回の顔触れに依存するしか方法があるまいかと、私は危惧する。後進の育成方法は極めて難しいと思うが、協会も余程頭を使わないと、現状の教育制度では全国大会か国内リーグでの勝ち方的な指導というか、トーナメント勝ち抜き対策の育て方を改めさせるのは容易ではあるまい。
私にはもう一つ気懸かりなことがある。それは我が国の審判員の生真面目というか細かすぎる反則の取り方だ。あのように一寸当たっただけで「反則」とすれば、狩猟民族の欧州や南米勢の凄まじいばかりの当たり合いのサッカーに対応出来なくなる。いや、韓国やオーストラリアだってそういう種類の厳しい当たり方をする。昨夜の韓国人女性の審判も細かく反則を取り過ぎた。と言うか、意図的かと疑う瞬間もあったほど厳格だった。こういう審判の技術というか考え方は我が国のサッカーの一層の強化のためには考え物だと断じたい。
次は今週中の対イタリア戦があるそうだが、「11人」以外の奮起を望みたいものだ。
昨24日夜には女子のサッカー代表がニュージーランド(NZ)代表と親善試合があったとは知らずに8チャンネルを観ていた。そう言えば、マスコミが何日振りだかで澤穂希が代表に復帰したと騒いでいたなと思い出さされた。
私は佐々木監督ともあろうお方があのまま澤を外しておいて良いとは思っていなかっただろうと考えていた。確かに世代交替は必要だろうが、何度も指摘したように、なでしこリーグだったかが発展してしまったお陰で(せいで?)「あのレベルでしか通用ない一見素晴らしい者が数多く育ってしまい、何時まで経ってもW杯獲得の11人を入れ替えることなどあり得ない状態」なのだ。即ち、未だに澤の存在は代表には欠くべからざるものなのだ。
嘗て岡田武史監督はW杯直前の合宿から三浦知良を外して、その決断振りを見せつけた。私は疑問に感じていた。それは代表として連れては行っても先ず試合には出して貰えない者が7~8名はいるのだから、その中に三浦を入れて選手団の精神的な支えか、陰の指導者的な存在としても使えるのではないかと思っていたからだ。澤穂希は既にしてその頃の三浦以上の存在になり得ていると評価している。
故に、佐々木監督が敢えて澤を選ばれたことはニュースでも何でもないと思うし、別な見方からすれば世代交替など未だ夢物語だということにもなりはしないか。実際にそうだったことは試合の内容が問わず語りをしてくれたのは大いに遺憾だった。
私は、女子代表がW杯で優勝したことは誠に偉業であり、後世に語り継がれて然るべきだとすら考えている。あの最後にアメリカとのPK戦で勝った11人の塁を摩する者は下部組織とでも言いたいなでしこリーグからは出てきていない。それどころか、あれ以降女子代表のサッカーを観ていて感じることは「その力はあの当時の11人が未だに中心であり、彼女らが年齢を加える毎にサッカーの質が劣化する方向にあるのではないか」という点だ。
それを実証するかのように昨夜の前半に起用された11人の9人があの代表メンバーだったのだ。申し訳ない次第だが、その新顔の2人の中で20番を付けていたものは顔も名前も知らなかった。GKの山根は何度が見ているが、身長が高いという以外は成長の跡が見えず、未だ未だ拙いGKであり、あれでは大きな外国人というか欧州勢が相手の試合には出せないなとの感が深かった。山根と20番が「後継者は未だし」という試合の内容を示すような結果だったのは残念だった。
我が代表はW杯を取りオリンピックでも2位だったから、世界各国に研究し尽くされた模様で、昨夜もNZは素早い寄せと後方への展開(バックワードパスのこと)の際の球のスピードが遅いところを狙ってそのパスをインターセプションに出て、何度も我が代表を危機に追い込んで見せた。しかも、苦しくなると縦一発の長いパスを蹴ることまで読み切っていて狙い撃ちにして長い足を伸ばして奪い取って見せた。
このように確かに苦しい試合展開となったが、流石に歴戦の雄であり「十分に合わせてある」澤と宮間の連携でCKから得点し、後は岩清水、近賀、熊谷、鮫島の熟練し卓越した守備力で守り切ってくれたのは流石と讃えても良いだろう。特に後半にGKが前に出過ぎた後の無人ゴールをカバーして一瞬「入ったか」と思わせられたシュートを蹴り出した岩清水は立派だった。しかし、積極的に攻めて出て我が代表を苦境に追い詰めたNZ側にはこれという決め手になる得点の形がなく、1点に泣かされた結果に終わった。
とは言え、佐々木監督も澤も宮間もこれから先にあらためて改善すべき点を再確認しただろうとは思うが、あの11人(昨夜は阪口が負傷欠場で大野は後半からの起用)と他の顔触れとの落差は如何ともしがたいだろう。例えば、なでしこリーグの得点女王だったという菅沢などは、何処までいってもあのリーグだけで通用する力であり、昨夜も未だ単なる「木偶の坊」的な存在でしかないところを見せていた。欧州で折角あそこまで成長した大儀見のトラッピングの悪さも要改善で、解説者の山郷の指摘を待つまでもないのが残念だった。
繰り返しにはなるが、あの11人と後進との差を埋めるのは至難の業であるし、6月には本戦が始まるのでは最早時間がない。結局は澤を使ってもあの前回の顔触れに依存するしか方法があるまいかと、私は危惧する。後進の育成方法は極めて難しいと思うが、協会も余程頭を使わないと、現状の教育制度では全国大会か国内リーグでの勝ち方的な指導というか、トーナメント勝ち抜き対策の育て方を改めさせるのは容易ではあるまい。
私にはもう一つ気懸かりなことがある。それは我が国の審判員の生真面目というか細かすぎる反則の取り方だ。あのように一寸当たっただけで「反則」とすれば、狩猟民族の欧州や南米勢の凄まじいばかりの当たり合いのサッカーに対応出来なくなる。いや、韓国やオーストラリアだってそういう種類の厳しい当たり方をする。昨夜の韓国人女性の審判も細かく反則を取り過ぎた。と言うか、意図的かと疑う瞬間もあったほど厳格だった。こういう審判の技術というか考え方は我が国のサッカーの一層の強化のためには考え物だと断じたい。
次は今週中の対イタリア戦があるそうだが、「11人」以外の奮起を望みたいものだ。