新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

バトンはパスするのかタッチするのか

2015-05-04 16:37:13 | コラム
日本代表がリオ五輪のリレー種目出場権を獲得:

かの桐生祥秀君他3名の100 m走者がバハマのナッソーで開催された第2回世界リレー大会で3位に入賞し、オリンピック出場権を獲得したのは立派なことで賞賛に値するだろう。しかも1位がアメリカで第2位のジャマイカの第4走者はウサイン・ボルトというそうそうたる世界的走者の中での成績だったの凄いと思う。

私はこの成果もさることながら、カタカナ語排斥論者としては産経新聞がその関連の記事の小見出しに”伝統のバトンパス改良「最高の結果」”としたのも快挙?だったと一人静かに感動しているのだ。それは我が国では「バトン・タッチ」がカタカナ語として普及しているので、以前から本当の英語は”baton passing か baton pass”であると唱えてきたからである。我が国で書き物でも音声でも「バトンパスに出会ったのはこれが初めてなのだ。

私は「バトン・タッチでは触れただけで後続の走者に手渡したことにはならない」と指摘した来たのだった。産経がカタカナ語の不備をついて「バトンパス」としてくれたのだったならば、それも褒めてやらねばなるまいかと考えている。私には先人が何故「タッチ」としたのかは知る由もないが、カタカナ語にはこのような意味不明の英語の言葉を当てているものが多く見受けられる。使う前に辞書とご相談なさるのが良いだろう。

英連合王国の皇女誕生に思う

2015-05-04 08:21:55 | コラム
我が国のマスコミは騒ぎ過ぎでは:

私はこの話題での例によって例の如き恰も芸能ネタのような空騒ぎにウンザリしていたが、それも昨日だったかの王女誕生で一段落した模様だ。他国の慶事ではあるが何もあそこまで過剰な報道をするのに何の意味があるのかと、苦々しい思いしかない。英連合王国(UK)の人たちの中には病院の前で11日も待ち続けたというのは解らないでもない。だが、我が国でもそれに同調するのは私の理解を超越していた。

私は欧米の文化は我が国のそれとは大いに異なっており、屡々我々(で悪ければ私)には理解出来ないことが起きるものだ。今回のUKの女王のお孫さん誕生をあれほど国民が待ち焦がれ病院の前に詰めかけるかと思えば、名前をブックメーカーが採り上げて予想する等はおよそ我が国では考えられないことでは。見方を変えれば、私はUKの事情に疎いのだが、王室と国民の間の距離がそれほど近いという意味かも知れない。

私が面白い現象だと痛感したことは、名前の予想が成り立つことだ。それ即ち、我が国の漢字文化とは異なっている命名の仕方があるということだ。英語圏の名前(「下の名前」という愚かな流行り言葉が当てはまるが、first nameのこと)の付け方は数多くの実在する名前の中から選ばれるのが、我が国の親が懸命に考えて漢字を組み合わせる方式とは全く違うのだ。キラキラネームだって十分に考えた結果だろうか?

だからこそ、女児の場合には”Alice”が第1位で”Charlotte”がそれに続くなどという予想が成り立つのだ。私は寡聞にしてアメリカで既存の名前ではなく親などが工夫して新たなfirst nameを作り出したという話は聞いたことがない。だが、時々「珍しいfirst nameだな」と思わせられたことはあった。因みに、今朝どこかの局で解説していたが、「シャーロット」は父親である”Charles”皇太子の女性形だと。親切なことだ。

余談だが、私が気に入らないというか困ったなと思ったことがあった。それは我が国で王女誕生の件でテレビ局や街頭でインタビューされた人が「コングラチュレーション」と言ったことだ。”congratulation”は確かに「お目出度う」という意味だが、後ろに”s”を付けるべきものなのだ。これは弔意を表す”condolence”も通常複数にするのと同じである。この辺りが複数形がない日本語との違いで、我が同胞を悩ますことのようだ。

何れにせよ、UKの王室が早く命名されて我らがマスコミが過剰報道を止めて貰いたいと願っている今日この頃だ。