新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月18日 その2 平和を愛する諸国民の公正と信義に

2016-07-18 13:18:42 | コラム
隣国は平和を愛し公正で信義があるのだろうか:

上野の国立西洋美術館が世界遺産に登録されたのは誠に結構なことで、この方面に無知な私もお喜び申し上げたい平和なことである。本当に良かったではないか。

だが、世界の情勢を見れば、一向に平和を愛する気配を感じさせない諸国が方々で騒動を起こしているではないか。事態は決して諸国の公正にも信義に信頼していられるようなものではないのではないのか。特にかのお隣の大国は「日本は当事者ではないのから余計な介入はするな」と曰う始末である。九段線がダメだったとなれば、彼らに残る選択肢は東シナ海となったかの如くで、既に我が国のEEZ内に海警局だったかの船をこれまでよりも一層頻繁に航行させているではないか。

かの隣国にとっては国際法などはあってなきが如しであり、これまでも言いたい放題やりたい放題だった。そこで、この隣国がこれまでの方針を変えることなど考えられず、これからも従来通りの横暴な振る舞いを一層激しい調子で繰り返すだろうことは容易に想定出来る。既に軍の首脳部の一人は公式に「武力行使をも厭わない」ような発言をしていた。矢張り平和を愛してはおられなかったのだ。そんな時期になっても安保法制廃棄を言う政党があるのが、我が国の言論の自由の落ち着く先である。のんきなものだ。

目を欧州の方角に転ずれば、フランスでは繰り返しイスラム教徒が関与したテロ行為が発生している。UKは国民投票でEU離脱を決定して全世界の経済と治安に不安な状態を出現させてくれた。UKにはイスラム教は直接的な悪影響は見いだせないが、移民問題の深刻さがあらためて脚光を浴びた。少し西寄りになるが、バングラデシュでは我が同胞から7人の犠牲者が出てしまった。この悲しい出来事については「ISは日本国民をも標的にする」と言っていたではないかと解説する有識者がいた。イスラム教徒と言うべきかISと決めつけるべきかは定かではないが、世界中何処に行っても平和を一向に愛していない教徒がいる様子だ。

言いたかったことは「何時何時、宗教が絡もうと絡むまいと、我が国でもか、我が国に対してもか、テロ行為乃至はそれに準じるような武力または暴力がらみの事件が起きないという保証などなくなってしまった」なのだ。参議院選挙は終わってしまったが、自衛隊の存在を否定したり、戦争法案廃棄などと世迷い言を言っていられる政党の存在は許されるべきではないし、諸国の公正は信義などは雲散霧消したと認識した方が安全かも知れない事態が直ぐそこまで来てしまったと、私は密かに危惧しているのだ。そして、この個人的危惧が杞憂に終わってくれれば良いがと念ずるのだが、隣国は着々と牙を剥きだしてくる気がしてならない今日この頃だ。

言い方は悪いと承知だが、美術館が世界遺産に登録されても平和を守っては頂ける強力な援軍にはならないと恐れるのだ。

選挙の考察

2016-07-18 09:45:51 | コラム
公約、政策、政見が基準になるのか:

東京都知事選挙は未だ2週間も先のことだ。しかし、既に誰が一歩先んじたかというような記事が出始めている。私は昨日、選挙ポスターだけでは政見などを知りようがないとは言った。だが、これまであらゆる選挙戦を見てきた限りでは、誰でも良いが当選した後になってマスコミが「この議員は公約した通りのことをたった一人になっても議会で押し通した」などという報道に接した記憶がない。何が言いたいのかと言えば「候補者は聞こえが良いことを言うが、その公約を身を挺しても実現出来るように努力するか乃至はしたかを問われることは極めて希ではないのか」なのだ。私個人ではかかる追求をしたことなどない。

これでは自己矛盾になってしまうが、私は選挙運動中の公約や政策や政見などはどうでも良いような気がしてならない。それは、万人に都合が良いような政策、例えば「私が当選の暁には消費税率を5%に引き下げる」というようなものを何百人も議員がいる国会でたった一人で頑張ってみても実現の可能性はゼロに近いだろうというようなもので、私は公約等は言いたい放題のような気がしてならないのだ。勿論、公約等には候補者が真剣に考えて掲げた立派なものがあるが、個人が約束したところで実現しなかった例は数多くあったと思う。

現実には、就任後に現実に接してみて「こういう改革乃至は具体策を講ずれば、必ず目に見える効果がある」と知って実行に移した政策もある。こう言って直ちに思い付くのが、石原君の「烏退治」がある。これは実行して直ちに効果が表れた。更に「デイーゼル車の廃棄問題」もあった。これも効果が出たと思う。圏央道も記憶が正しければ彼の発案だったが、これも後になって実現している。東京都の会計制度改革も実現させた。だが、これらのどれが彼が選挙運動期間中に公約として掲げていたかは、圏央道を除けば全く記憶にない。いや、反省して言えば、彼が立ったことは承知していたが、公約などを真剣に見てはいなかった。見ずとも彼を選ぶことを躊躇う訳がなかったから。

さて、現実に立ち返ろう。自民党は分裂選挙になってしまったことは醜態だし、小池に対する意趣返しであるかのように増田を持ち出したことは得策だとは思えない。また、野党が何を血迷ったか組織を管理・運営した経験が皆無と言って良い高齢で且つ病み上がりの鳥越を担ぎ出した上に、彼に「公約はこれから考える」などと選挙民を愚弄するようなことを言わせただけで失格だが、知名度は高いなどと同業者を持ち上げた報道機関まであった。論外だろう。

1,000万人もいると言われる都内の有権者がこれらの候補者の中から誰をどのような基準で選ばれるかなどは知る由もない。一長一短などという熟語があるが、今回はあのお三方の何方を見ても一長一短ではなく一短ばかりに見えて、私にはこれという決め手を感じさせてくれる候補者が見当たらない。寧ろ残る判断の基準は「好きか、嫌いか」しかないのかとすら思わせてくれる。

それでは最終的な判断の基準を何処に求めるかと言えば、これから配布されてくるだろう選挙公報に掲げられるだろう公約の中から最も実現の可能性が高いかと認められ、我々の日常生活の利益に直結しそうなものが多い候補者を選ぼうかと考えてはいる。だが、その前にどうしても生理的に好きか嫌いかの判断も捨てがたいのだ。私は少なくとも行政というか組織運営の経験皆無と思う元ジャーリストは、あの鬱陶しい髪型とともに好きにはなれないのだが。