新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月19日 その2 多忙だった7月19日

2016-07-19 17:03:42 | コラム
高温・多湿をものともせず:

朝は新大久保駅前を08:07のバスで国立国際医療研究センター病院(NCGM)に向かう。バスの車内は空調が効いていて快調。08:20には再来の手続きを終えて3階の泌尿器科の外来に。そこで残尿量の検査を受けて呼び出しを待つ。このところ幸運が続き今朝も予約時刻前に呼び出された。診断の結果は薬効があって前立腺肥大症も落ち着いてきたので、もうこれ以上来ることはなく、そもそも紹介状を出して頂いた開業医のクリニックに戻ってそこで薬を出して貰うだけで十分とのことだった。誠に結構で、処方箋を貰ってNCGMを後にする。クリニック向けにはあらためて紹介状を出すので来週取りに来るようにと言われた。

そこで会計を終えてバス停に戻れば5分待ちだったのは幸運だった。予定では終わり次第ジムに回ることにしていたので、明治通りで乗り換えのバスを待てばここでも有り難いことに高田馬場駅行きが直ぐに来たではないか。そこで、ジムには09:35に到着して、着替えを終えてストレッチに取りかかったのが09:50だった。それからゆっくりとストレッチ、ウオーキング、エアロバイク、マッサージチェアの順で消化して、シャワーを浴びて着替えを終えても未だ12時前だった。

外に出てからポカリスエットの500 mlの瓶を買って水分を補給してから、リトルマーメードのパンを買って帰宅。と言いたいところだが、その前に調剤薬局に立ち寄って処方箋を置いてきた。この店のパンは気に入っているが、特に「ガーリックバターフランス」が好みだ。そこに買い物から帰ってきた家内とともに実質的にパン2個の昼食。飲み物はポカリスエットだ。

その後、食休みと短い時間の昼寝をした後に我が家から徒歩3分の調剤薬局に薬を受け取りに行く。だが、午後3時過ぎの外は日当たりがまぶしくサングラスを置いてきたのが悔やまれるほど。それからは我がアパートの地下にある歯医者さんに。治療は簡単なもので、終わって帰宅すればほぼ16時。多忙だった一日の予定を無事消化した。残された課題はブログの毎日更新。モーツアルトのCDで気を落ち着かせて2本仕上げて時計を見れば丁度17時だった。

街を歩けば

2016-07-19 16:30:17 | コラム
気に入らない風俗が見える:

妙な髪型が流行りだして久しいものがある。これは何も街を歩かないでもテレビを見ていれば幾らでも目に入ってくる。それは主に若者だが(青年男子という言い方もあるか?)頭の両脇を刈り上げて、てっぺんだけに長髪を残した言わば頭の上に「片側分け」とでも形容したような形の髪型(カタカナ語ならばヘヤースタイルか)である。私にはこの格好が特に芸人とスポーツ選手に多いように見える。昭和一桁生まれとしては誠に珍妙な刈り方で、みっともないとしか思えないのだが流行っている。ここまでの説明で如何なる形かお解り頂ければ幸いだが、未だ一寸自信がない。ここに写真を載せられないのが残念だ。

これは我が国においてだけの流行かと思っていたが、テレビの画面などに見る欧米人の芸人やスポーツ選手にも多く見かけるのだ。と言うことは、我が国のオリジナルではなく輸入品だったのかと思って些か幻滅だった。欧米人(=白人)が採り上げていたからといって直ぐに真似るのは早計で、彼らの顔の構造と我が国のそれとでは大きな違いがあるし、そういう髪型をする連中は決して何でもかんでも真似たいような輩ではないのだ。ズバリと言えば低層に属する連中だろう。それでも、彫り物をするのよりは未だましかと思って見逃してやっているが、決して好ましい流行ではないと決めつけたい。

次にこき下ろしたいのが、20年以上も前から体育会の学生たちの間などで流行始めていたワイシャツやスポーツシャツの類いの裾をズボンの外に出して着る風俗だ。これはアメリカ乃至は欧州が元であったかどうかには調査が行き届いていない。これを学生たちがやっていた時はそれなりに様になっていたが、時移り人変わり今や良い歳をした小父さんたちまでも嬉々としてシャツの裾外出しファッションで街を闊歩する時代になってしまった。私の感覚からすれば、あの場合のシャツの裾はそもそもの半楕円形のカットではなく、直線にカットされている方が自然だと思うのだが、現在の風俗はカットの形状とは無関係に外に出されているようだ。

アロハシャツやかりゆしならいざ知らず、外に出すのならば所謂ワイシャツの裾の円くなった形は辞めた方が良いと思うのだが、皆の衆如何でしょうか。実は、これをくさすのには個人的理由があるのだ。と言うのは、当方の身長ではシャツの裾を外に出すと、ズボンの半分くらいが隠れてしまうかと危惧して、どうしても外に出す勇気が出てこないのである。即ち、これは半ば長身者に嫉妬で貶しているのではないかと言われても、反論出来ない弱みがあるのが残念なのだ。

最後は近頃の若者の一部に多く見かけるツンツルテン(こんな言葉は死語かと一瞬ひるんだが)の上衣(カタカナ語と正規の英語ではジャケット)に、パチンパチンの股引のようなズボンのスーツを着て、しかもそれが所謂ダークスーツでありながら、飴色でつま先が魔法使いの靴のように尖った靴を履いているファッションが目立つ。これは後期高齢者の目には珍妙としか映らない。由緒正しきビジネスマンの服装学的見地からすればネイビーブルー乃至はチャコールグレーのスーツの際の靴の色は「黒」と決まっているし、ジョン・モロイ様の名著「出世する服装」(原題”A New Dress for Success”)にも明記されている。思うに、何処かの跳ねっ返りのデザイナーかコーデイネーターかが「綺麗に入ります」とでも言って薦めて流行らせたのだろう。

ここまでは未だ序の口で、スーツにストライプが入っている場合には、シャツにもネクタイにもストライプのものは合わせてはならないのがモロイ様も指摘された古典的な大原則だが、今やこれは完全に忘れ去られて、ビジネスマン、国会議員、芸人、アナウンサー等テレビに登場するタレント等々はストライプのスーツにシャツで飽き足らず、ネクタイまでストライプと来る。世も末だなどと、1993年末までのビジネスマンであり、方々で「ビジネスマンの服装学」を語ってきた身としては腹が立つを通り越して情けなくて言葉もないのである。ストライプの三重奏をおかしいと思わない感受性がおかしいのか、こちらの考えが古物化したのか、考え込まざるを得ない今日この頃だ。