英語は万人に強制すべきものか?:
先月だったか「私の英語の勉強法」のようなものを発表する機会があった。そこには文字数の制限があって思うところを全て盛り込めなかったので、その原稿とは関係なしに「私の思う英語論」をあらためて纏めてみた次第。
万人に強制するな:
「私は我が国では英語などを万人に強制すべきではない」と主張し続けてきた。それは「我が国は世界でも希な自国語で世界最新の技術であろうと文献であろうと何であろうとも学べる国であるから、何も英語を徹底的に学ぶかあるいは万人に学ばせる必要はないのでは」という意味である。英語は例えば、それを職業としてかあるいは学術研究の手段として絶対的に必要である人たちが極めていけば良いものだと、私は信じている。ましてや、我が国の人たちが、英語で外国人と本当の意味で意思の疎通を図る必要がある場面に出会う確率などは、極めて低いだろうと事は経験からも保証する。
支配階層の英語:
これは私の英語論を仏文学者のTK博士が批評して指摘して言った事。私は“アメリカでは良く言われる「1%の人たち云々」という層に属する人たちの世界では「文法を間違えてはならない」、「下品な言葉や表現を使ってはならない」というほぼ絶対的な必要性があるので、少なくともそういう水準にある英語を身につける必要がある”と主張するのだ。こういう水準にある人たちの世界でも通用するEnglishを目指さないと、品位と知性に欠けたと言うか下品な英語に成り下がってしまうのである。これは避けなければならない。即ち、英語を突き詰めて勉強しようとする際には「如何なる水準にある英語を目指すべきか」という意味である。
英語の品格:
これは何かおかしくて汚い言葉を使った表現であるとか、文法を誤った英語なり文章であるとか、そういう言葉を話す事等を指している。即ち、良く勉強してどれが下品な言葉かということを弁えよという意味である。最も注意すべきは「汚い言葉」と訳されている”swearword”で、これを使うと「社会的に下層階級」と見なさると知るべきだ。これは屡々”slang”と混同されているが、全く別な範疇にある言葉だ。その例を少しだけ挙げれば”God damn it.”であるとか、“Shit.”や、”Oh, my God.”といった言葉だが、そういう範疇にある言葉であるとは、我が国の教育では知らしめていないようだ。なお、”slang”は「隠語」や「符帳」の類いを指し、下品な言葉とは別物だとは既に別な機会に指摘してきた。
発音:
品格の問題で留意すべきことは「発音を正確にしようと心がける」がある。これは必ずしも綺麗なnative speaker並の発音にすることではなく、明確で相手が聞き取りやすいように発音することを意味する。極端な表現だが、我が国の英語の先生方に多く聞かれる例で、カタカナ語的というかローマ字の悪影響の下にある外国人離れした「英語」であって“English”ではない発音からは出来る限り離れた方が良いとまで考えている。
さらに具体的に言えば、同じEnglishでも英連合王国(UK)、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドにはそれぞれ独自の発音と訛りも方言もあるので、その中のどの国の英語の発音を選ぶかは慎重を期したいと言いたいが、我が国の学校教育だけで学んで英語の知識では「どれがどれだか俄に判断出来ない」のが難しいところだ。私は少なくとも、オーストラリアとニュージーランドの訛りは避けた方が無難だと言って良いと思っている。
しかし、私は全世界で最も広まっているのはアメリカ式の発音だとは考えているが、ヨーロッパでは地理的な条件もあってQueen’s Englishの発音が最も普及している。私はアメリカとの縁が最も深かったので、アメリカ式に準拠しているが、実際にはそれとUK式の中間になる発音をしているようだ。
訛りと方言:
言い出せば限りがないが、英語圏の諸国には言わば「訛り」があるし、それぞれの国独特の発音や方言があるもの。当然のことである。その訛りや方言を聞き分けて、その国のどの英語が正調であるかを知らないと、アメリカ人のダニエル・カールが山形弁を覚えてしまったような結果になる危険性が高いのだ。これは、避けねばならぬと承知して欲しい。
我が国の学校教育だけしか知らないで育てば、そういう判別をすることは不可能だろうと経験的にも考えている。私は「アメリカ西海岸の英語が最も無難である」と薦めてきたが、異論を唱える方もおられるのは確かだ。それは英連合王国(United Kingdom)のQueen’s Englishこそが英語だと思っておられる方々に多いが、そこには異論を唱える必要もない。それは見解の相違でから。
私は育った環境と、長年アメリカ(それも西海岸に本社を置く)会社に勤務したので、西海岸の英語を正調であると唱えているのだ。自らの信じるところを訴えているに過ぎない。何れにせよ、品格と教養が問題にされるような英語を身につけてはならないと認識して頂きたい。
先月だったか「私の英語の勉強法」のようなものを発表する機会があった。そこには文字数の制限があって思うところを全て盛り込めなかったので、その原稿とは関係なしに「私の思う英語論」をあらためて纏めてみた次第。
万人に強制するな:
「私は我が国では英語などを万人に強制すべきではない」と主張し続けてきた。それは「我が国は世界でも希な自国語で世界最新の技術であろうと文献であろうと何であろうとも学べる国であるから、何も英語を徹底的に学ぶかあるいは万人に学ばせる必要はないのでは」という意味である。英語は例えば、それを職業としてかあるいは学術研究の手段として絶対的に必要である人たちが極めていけば良いものだと、私は信じている。ましてや、我が国の人たちが、英語で外国人と本当の意味で意思の疎通を図る必要がある場面に出会う確率などは、極めて低いだろうと事は経験からも保証する。
支配階層の英語:
これは私の英語論を仏文学者のTK博士が批評して指摘して言った事。私は“アメリカでは良く言われる「1%の人たち云々」という層に属する人たちの世界では「文法を間違えてはならない」、「下品な言葉や表現を使ってはならない」というほぼ絶対的な必要性があるので、少なくともそういう水準にある英語を身につける必要がある”と主張するのだ。こういう水準にある人たちの世界でも通用するEnglishを目指さないと、品位と知性に欠けたと言うか下品な英語に成り下がってしまうのである。これは避けなければならない。即ち、英語を突き詰めて勉強しようとする際には「如何なる水準にある英語を目指すべきか」という意味である。
英語の品格:
これは何かおかしくて汚い言葉を使った表現であるとか、文法を誤った英語なり文章であるとか、そういう言葉を話す事等を指している。即ち、良く勉強してどれが下品な言葉かということを弁えよという意味である。最も注意すべきは「汚い言葉」と訳されている”swearword”で、これを使うと「社会的に下層階級」と見なさると知るべきだ。これは屡々”slang”と混同されているが、全く別な範疇にある言葉だ。その例を少しだけ挙げれば”God damn it.”であるとか、“Shit.”や、”Oh, my God.”といった言葉だが、そういう範疇にある言葉であるとは、我が国の教育では知らしめていないようだ。なお、”slang”は「隠語」や「符帳」の類いを指し、下品な言葉とは別物だとは既に別な機会に指摘してきた。
発音:
品格の問題で留意すべきことは「発音を正確にしようと心がける」がある。これは必ずしも綺麗なnative speaker並の発音にすることではなく、明確で相手が聞き取りやすいように発音することを意味する。極端な表現だが、我が国の英語の先生方に多く聞かれる例で、カタカナ語的というかローマ字の悪影響の下にある外国人離れした「英語」であって“English”ではない発音からは出来る限り離れた方が良いとまで考えている。
さらに具体的に言えば、同じEnglishでも英連合王国(UK)、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドにはそれぞれ独自の発音と訛りも方言もあるので、その中のどの国の英語の発音を選ぶかは慎重を期したいと言いたいが、我が国の学校教育だけで学んで英語の知識では「どれがどれだか俄に判断出来ない」のが難しいところだ。私は少なくとも、オーストラリアとニュージーランドの訛りは避けた方が無難だと言って良いと思っている。
しかし、私は全世界で最も広まっているのはアメリカ式の発音だとは考えているが、ヨーロッパでは地理的な条件もあってQueen’s Englishの発音が最も普及している。私はアメリカとの縁が最も深かったので、アメリカ式に準拠しているが、実際にはそれとUK式の中間になる発音をしているようだ。
訛りと方言:
言い出せば限りがないが、英語圏の諸国には言わば「訛り」があるし、それぞれの国独特の発音や方言があるもの。当然のことである。その訛りや方言を聞き分けて、その国のどの英語が正調であるかを知らないと、アメリカ人のダニエル・カールが山形弁を覚えてしまったような結果になる危険性が高いのだ。これは、避けねばならぬと承知して欲しい。
我が国の学校教育だけしか知らないで育てば、そういう判別をすることは不可能だろうと経験的にも考えている。私は「アメリカ西海岸の英語が最も無難である」と薦めてきたが、異論を唱える方もおられるのは確かだ。それは英連合王国(United Kingdom)のQueen’s Englishこそが英語だと思っておられる方々に多いが、そこには異論を唱える必要もない。それは見解の相違でから。
私は育った環境と、長年アメリカ(それも西海岸に本社を置く)会社に勤務したので、西海岸の英語を正調であると唱えているのだ。自らの信じるところを訴えているに過ぎない。何れにせよ、品格と教養が問題にされるような英語を身につけてはならないと認識して頂きたい。