新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月4日 その3 小池百合子は罪深いかも

2016-07-04 18:26:40 | コラム
自民党は党内も統治出来ないのか:

小池百合子の唐突な都知事立候補宣言で都連の会長さんはどうやら力不足だと思わせてしまった。いや、事改めてだったかも知れない。この期に及んで都連なのか区長の有志なのか知らないが、増田元岩手県知事に立候補を要請し「熟慮する」と言わせてしまった。誰が考えても既に小池が名乗りを上げた後に意趣返しのように第三者に持ち込んだのはおかしな話ではないのか。私が増田だったならば、「党内の不統一を如何に処理されるのか。私には小池と競り合って党内の不統一を曝し出す道化役をやれというのか」と問いかけただろう。

何れにせよ、舛添の処分でだらしなさを露呈し、今度は小池に振り回されては岡田や志位にに絶好のチャンスを与えそうだが、敵も余り大したことはなく長島を出そうとか、増田を担ぐかなどと思案していると報じられている始末。この程度の政治屋ばかりしか以内のでは何とも情けない限りだ。ひょっとすると蓮舫が「これならば」と考え直すかも知れないと危惧している。

小池百合子の罪は案外深いのかも知れない、ダッカの余りの不幸な事件で少し影が薄くなっては来たが。ここでは野党に付け込まれないよう万全の措置を講じて貰いたい、石原伸晃君に。

長年の対日輸出の経験から考えれば

2016-07-04 17:04:48 | コラム
「お客様は精々王様」程度の国から見れば我が国は:

私は経験上も貿易というものをこう考えております。素材産業等の原料を長年我が国に向けて販売してきたのです。私はその取引先が他社乃至は他国のサプライヤーに切り替えることが先ず不可能な製品を長年対日輸出しておりましたので、マスコミや実務経験に乏しいとしか思えないエコノミスト様たちのご高説には、疑問を呈したくなります。我が国の市場の特性というべきかも知れぬ感情的な面が顕著な点は、アメリカでは簡単に理解出来ていませんでした。

需要家乃至は最終ユーザーは主たる原料をスポット契約で購入することは先ずあり得ないので、関税がどうしたの、為替が不利な方向に振れたからと言って、輸入を中断するとか、仕入れ先を突如切り替えるとか、その事業乃至は最終製品の製造販売を中止することなどはビジネス上の道義的にもあり得ないのです。彼らはサプライヤーとも長契するのが普通であり、客先とも契約しています。輸入の場合は先ず「コストブレイクダウン」を公開し、商社が介在する場合には最終ユーザーと細部まで了解の上輸入業務を代行します。

為替変動の処理方法も事前に契約し、お互いに損得が発生しないように調整します。この契約の詳細の打ち合わせはそれそれは綿密に行われます。我々には為替変動なる現象を断言すれば、関係がないのですが、中間に立つ商社の苦労は十二分に解っております。商社と我々サプライヤーとの間にも契約はあります。輸入(我が方にとっては輸出)の仕事というものは、売買の約束の成立も重大ですが、こういう細部まで細かく話し合うものであり、銀行や(失礼)官庁の方々には簡単に窺い知れない点が多いと思うのです。その成り立ちを20年以上も言わば当事者の如くに経験した者からすれば「部外者が何をお解りかな」と言いたくもなります。

為替の予想の難しさなどは、理屈ではないことなのですが、予約などを迂闊にするととんでもない損失を生じるし、すべきか否かを最終ユーザーの意向を確かめようにも専門家でもない需要者が確たる意見がない場合もあって、容易ではありません。私は為替変動の影響を受ける当事者ではありませんでしたが、その話し合いに立ち会うこともありましたし、その面での経験豊富な方々の話も聞ける立場にあったので、知ったかぶりをしているのです。

しかし、マスコミが今回のUKのEU離脱の結果となった国民投票のような場合には、如何にも何でも知っているかのように「関税がかかるのなんの」と騒いだのは誠に烏滸がましいことと批判したくなるのです。需要者は為替の変動があろうと、関税がかかろうと買わねばならぬ製品は買い続けます。そこで損失を生じても耐えてしまうのが我が国のビジネスの世界の美しい面ですが、アメリカ人には理解出来ないのです。

結論の如きことを言えば「対日輸出の仕事の中で最も難しいことと言えるのが『何時、どれだけの幅の値上げを打ち出して十分な利益を確保するか』」なのです。それは「アメリカの企業経営には損をしてまで売る」という哲学がないからです。「イヤなら買わなければ良いじゃないか」などと言えば出入り禁止になりかねません。でも、禁止すると肝心要の原材料の供給が途絶えるのです。評論家の方々にも是非ご経験願いたい難しさと苦しさでした。アメリカではお客様は精々「王様」程度ですが、我が国では「お客様は神様だ」の地位におられるのです。この文化の違いを完全に理解したアメリカのサプライヤーはそう多くはいなかったでしょう。


国際化やグロバリぜーションの負の面を考えると

2016-07-04 07:33:32 | コラム
私は国際化を批判してきた:

私は「国際化」だの何のという現象を決して歓迎すべきことばかりではないと、ずっと批判してきた。「ずっと」とは言ったが、それが何年前のことだったかは最早記録がないので断定出来ないが、少なくとも在職中の1993年以前だったと思う。そこで指摘したことは「マスコミや有識者が歓迎する国際化は政治・経済・学問の領域では望むと望まざるとに拘わらず進行していくだろうが、それ以外のところではそのような高度な次元の場では進まず、寧ろ負の面から先に思わざる速度で進行するだろう」だった。

その負の面とは何を言うかだが、私が当時考えていたし現実にアメリカやヨーロッパ等の先進国で進んでいたのは、合法か違法かを問わず流入してくる低開発国(往年はLDCなどと言われていた)でも恵まれざる低層の外国人が著しく増えてきているような現象を指していたのだった。換言すれば、知的にも資産的にも上位にある者たちは大量に流入してこないという見方である。

国際化の良い面では科学と学問が急速に発達する一方で、先進国の経済的発展は目覚ましく進行し、多国間の貿易が拡大して国と国との障壁が嘗てなかったスピードで取り払われていったのだった。人的な交流も進み、我が国からも多くの所謂頭脳が流失し始めたし、商社も製造業も全世界の主要都市に駐在員を送り込むような展開を遂げていった。

しかし、このような展開が進む一方では、アメリカを例に挙げれば解りやすいことで「ヒスパニック」と一括りにされるようなスペイン語族がメキシコ等の南米の諸国から、アジアからは中国と韓国を主体に大量の移住者が雪崩れ込んでいった。そこには当然のように先住者であるアフリカ系との間の職の奪い合いが発生し、あのロスアンジェルスでの暴動にも発展していった。その当時のアメリカの懐の深さの対極にあるのが、現在の共和党の候補者・ドナルド・トランプ氏のメキシコ人排斥論であろうか。彼はそれだけに止まらず「自国さえ良ければ良い」とまで主張する。

私が今でも言いたいことは、「良い意味での国際化やグローバリゼーションよりも、上述のような移民問題や、必ずしも移民だけがもたらす問題ではないにしても、治安問題の類いの次元にある事象は、歓迎すべからざる速度で進行していくものなのであるようだ」である。しかも、21世紀の今日にあっては、ICT化が目覚ましく発展し、先進国の経済発展や治安の状況が、どれほど羨ましいものかを全世界で瞬時に知ることが出来るようになってしまったのだ。それも、移民が急速に移動する要因の一つになったと思えるのだ。

私が1970年代の後半までにアメリカやカナダで経験していた限りでは、我が国は意外なほど「知られざる存在」に過ぎなかった。1972年8月にカナダはBC州のヴァンクーヴァーから8時間も北に向かって走った際に中間地点で昼食に入ったレストランのウエイトレスは、日本人に初めて会ったと言い「何処にあるか知っているか」との同行者の質問に困惑した表情で”Somewhere in the Fareast.”と答えた。また、方々で「日本とは中国の一部」と断定する者にも出会ったものだった。

しかし、時移り人変わって中国と韓国が我が国を非難し貶めることに血道を上げれば上げるほど、我が国ほど優れた良い国はないと望ましくない国々にも知れ渡り、今日のような低次元の国際化とグローバリゼーションが進んでしまった。そんなことはないと言われる方は多いと予想するが、そういう方は一度でも良いから山手線を新大久保で下車され、大久保通りを渡って徒歩1分の場所にある所謂「イスラム横丁」を視察されれば良い。

見事なばかりの低次元の国際化を十分に味わえるだろう。ダッカか何処から来たのか知らないが数多くのバングラデシュ人だと思われる人たちの群れにも遭遇出来るだろう。この一角にはイスラム教徒用の仮設の礼拝所もあると聞いている。「嘗ての」と敢えて書くがKoreatownが衰退し、中国人とイスラム教徒が集う街になってしまった。ハラルフードを売る彼らの店には外交官ナンバーを付けた車が連日のように来ている。私はこのような現象を「負の国際化」だと思ってみている。

良い面での国際化には何ら危険を伴うとは思えないが、この街に起こっている現象だけではなく、アメリカやヨーロッパで起きた現象には、国際化の負の面が多いと思うのでここに採り上げた次第だ。