新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカを考える

2016-07-24 07:28:34 | コラム
アメリカを製造業での経験から分析すると:

先ずはTPPから:
私は基本的にTPPはオバマ大統領が経済と貿易をお解りではなかった為にTPPへの加盟を考え出したのは、極めて未熟というか不適切だと思っています。即ち、輸出国ではなく、国内需要に依存しているアメリカが他の太平洋沿岸の諸国と条約を結んだだけで、相手国が「そうでしたが、輸出ですか。ではお付き合いを」と言って貿易を拡大する訳がないと思うのです。非耐久消費財の対米輸出国である中国向けには輸出実績がありますが、それは一次産品が多いという程度のこと。

ここで、私は敢えてもう一度カーラ・ヒルズ元通商代表部大使が言われた「対日輸出を増やそうと思えば識字率を上げて初等教育を徹底する必要がある」という根本的な問題の所在を挙げて、何故アメリカの製品の質には国際的競争力に乏しいかの説明にします。

私がアメリカに初めて出張した1972年7月に、オハイオ州の畑の中を1時間ほど走って解ったことは「アメリカでは農業は機械化された産業で、我が国は家内産業だった」ということ。長年アメリカの会社で働いて認識出来たことは「たとえ、優れた機械を使って近代化されても、アメリカの労働力の質では我が国のような優れた均質の労働力を持つ国には勝てる訳がない」という無残な事実。「農業だって同じでしょうよ」とは思うのですが、知らない分野のことに口出しする勇気はありません。

アメリカ産米の輸出への疑問:何度か提示した疑問は「アメリカのカリフォルニア米が幾ら近代化された設備で作られていても、国内での需要を捨ててまで、国内市場よりも高く売れるとの保証がない我が国に向けて輸出するでしょうか」です。アメリカのビジネスでは輸出は原則として「国内市場よりも高く売れるから出荷する」となっています。故に、私が抱く疑問は「アメリカの農家が敢えて国内向けよりも安くして日本に輸出するのか」です。以前調べたアメリカの国内価格は決して日本の価格より安くはありませんでした。そこから更に引き下げて国内の需要と利益を捨ててまでに日本に売るのかということ。JAなり農林族なりはこの程度の調査は出来ていると思うのですが。

私はアメリカで我が国の米よりも質が高く尚且つ安価な米を作っているとは思えないのです。あの大雑把な労働力の質で我が国の農業に勝つとは思えません。TPPでアメリカが我が国の農業を滅ぼすというのは、買いかぶりか被害妄想ではありませんか。また紙の例を挙げますと、アメリカ製の紙の質は我が国産紙には遠く及ばない程度でした。例を挙げろと言われればいくらでもあります。我がW社の我が事業部は品質改善の指導を我が国の某大手製紙会社に何度も受けた事実があります。事労働力の質と製品の品質を考える時、自動車産業ではアメリカの劣勢は明らかではなかったかと思いますが。

アメリカの製造業の問題点:
最大の欠陥は敢えて極端な表現を用いれば「自分たちの基準でしかものが考えられず、自分たちの設備を最大限に有効活用して、自分たちの都合を優先したスペックで作れる物しか造る気も無ければ技術もなく、客先の需要(カタカナ語ではニーズ)に合わせて受注生産する気はありません。即ち、古き良き言葉で『少品種大量生産』でコストを下げて、多少の品質のバラツキや製造ロスには目をつぶる」のが彼らの製造の哲学です。スペックも自社の設備が最大限の効率を上げるように設計され、実需が何を要求するかに対する考慮は最低限です。私はこのようなアメリカの製造業界の哲学を”producer’s market”と呼びました。即ち、良く言われる「バイヤーズマーケット」でも「セラーズマーケット」でもないのです。何分にも"America is the greatest!"ですから。

アメリカ国内の市場と需要者は少しくらい好い加減な製品でも目をつぶって、それこそ"America is the greatest!"と信じ込んでいるから嬉々として買います。そんな甘い市場に世界最高の品質を誇る日本 製品が入っていけば、勝てるのは当たり前でした。自動車然りでしょう。反対に我が国の市場にはアメリカの高度工業製品は定着しにくかったのだと思います、ボーイングを除けば。1980年代に入ってからだったか「何故日本に出来てアメリカの出来ないのか」というNBCの番組が大当たりしました。そのアメリカの製造業の先端にあって20年以上も対日輸出をしていた私が言うのです。アメリカの自己過信と世界知らずがも現在の凋落をもたらしたと思っています。


アメリカのどの層と接触か交流するのか:
アメリカはどの層を、どの地方を、誰を見るかで大きく変わります。繰り返して言ってきたことですが「私はアフリカ系アメリカ人と膝つき合わせて語り合う機会はついぞありませんでした。工場には事務系にヒスパニックが何名かいたので、仕事上で話し合ったことはありましたが。そういう社会の構造があるのです。私が知り得たアメリカは、仏文学の黒木博士に言わせれば「支配階層だった」ことのようでした。故に、私が唱えるアメリカ論に異論を唱える人が出やすいのも解ります。思うに、私が接触出来なかったそうとお付き合いがあった方なのだと思います。アメリカの多様性は、我が国のようにバラツキが少ない国にいては到底感じ得ないでしょう。

だから、私は「群もう象を撫でるが如し」だと言うのです。耳を捕まえて「扇のようだ」と思う人もいれば、鼻を捉えて「ホースのようだ」と捉える者がいて、足を触って「太い柱だ」というようなことでしょう。だからこそ、私は敢えて黒木博士の言を引用したのです。W社の事業部長級の者たちは2~3名の子弟を年間の学費が500万円を超える東部のIvy Leagueや西海岸ではStanfordのような私立大学に悠々と進学させられる資産家というか高給取りです。即ち、支配階層の者たちが運営する会社です。

言わば結論的に申し上げたいことは、たとえ私が支配階層にいる者たちしか知り得なかったとしても、私が唱える「日米企業社会の文化の違い論」を聞いて頂きたいのです。我が国の政財界の方々が付き合われるのは、私が言う支配階層の者たちであって、それ以外の層ではあり得ないのですから。