新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我ながら良く動いたものだった

2016-07-22 17:28:14 | コラム
7月20日、21日:

20日:
早朝から始動した。朝9時にはジムに入って先ずは計量してストレッチから。未だに運動部時代の習慣が残っていて同じ運動を同じ手順で休む暇なく繰り返しているのだが、自分でも不思議なほど体が勝手に動いて行く。これで本当の運動になっているのかと疑心暗鬼に陥ることすらある。約20分ほどで終了し一息ついてからと言うか、一寸うがいをして喉を潤して後にウオーキングに向かう。

ウオーキングは壁に掛かった大きな時計を見ながら100 mを約1分5~10秒の早さで、かかとから着地してつま先で蹴るようにして歩く。以前は2~3 kmは歩いていたが、いまや諸条件を考慮して1周100 mのインドアトラックを10周回って終了する。この辺りで汗も出てくるので、水を一口飲んで休養するか手洗いに行ってくる。それからはエアロバイクである。病院でのリハビリテーションではストレッチが20分にこのバイクが20分だったが、ジムではウオーキングを挟んでいるのでバイクは10~13分程度で上がってしまう。余り負荷をかけないで漕いでいるが、それでも2~2.4 kmほどは走行したことになる。

そこでまた一休みしてからマッサージチェアで15分ほど体をほぐす、と言うか、ほぐしたつもりになって終了。それからシャワールームに向かうのだが、そこで忘れてはならないのが運動後の計量。大体300~400 grmほど減っている。そこでまた水分を補給してからシャワー。一度痛めた心臓には浴槽の水圧は好ましくないと聞かされているので、入浴はしてもごく短時間。それでも気分爽快である。

この日は新宿住友ビル内の理髪店に予約を入れてあったので、JR高田馬場駅から新宿駅に向かった。ゆっくりと西口の地下通路を歩いていると、昼食が未だだったと気がついたし、予約時刻には未だ間があったので、経済的であると思ってセンタービルの地下の吉野家に飛び込む。暫くぶりに味わったが、すき家と比べると塩辛い感がある¥380。店内は流石に場所柄勤め人ばかり。「もう少し良いもの食えよ」と言いたい来もする。

理髪店ではもう20年近いつき合いである女性の理容師さんに先ず顔色と皮膚の状態から健康状態を診断して貰う。来る度に好転していると言われて一安心。今回は夏場に入ったことでもあり思い切って短くして貰い、誰の為何の為か知らない美顔術を施して終わり。高齢化したせいか髪の伸びる速度が落ちて2ヶ月に一度ほどしか来ないでも見場は悪くならないと勝手に決めている。ナーに、本心は経費節約だがね。

そこから小田急百貨店のHALCの地下の食料品売り場を見回ってから、小滝橋通りを走るバスをシルバーパス利用で帰宅。14時近かったのでまた家で休憩を取ってから、16:48の新橋行きのバスで平河町二丁目に向かう。なるほど、旧赤坂プリンスホテルの跡地には新たなホテルが完成していたし、西武らしく高いのが特徴だった高級レストランの”Trianon”が入っていた旧館も元通りの場所?にあった。

この日は18時から篠宮良幸君主宰の水曜会が都道府県会館の15階で開催されるので、久しぶりに参加するのだ。当夜の講師は山本優美子さん(なでしこアクション・代表)で、「日韓合意も関係なし!終わらない捏造慰安婦。日本から国連経由で世界に拡散」と題して「如何に慰安婦問題が不当に勝手に世界に広められてしまったかと、我が国の諸外国向けの情報発信量が不足で、正当ななされるべき反論が極めて不十分である事等々」を女性らしい、無駄がない鋭い切れ味で解りやすく語られた。素晴らしい講演だった。この優れた講師を発掘された篠宮君に敬意を表したい。

帰宅すれば21時近く、テレビでは確か井岡一翔のタイトルマッチを中継していた。終わりまで見る気力はあるにはあったが、途中で断念して就寝。It was a long day.

21日:
前日にも劣らぬ活動振りだった。24日の週は都外に出る予定の為動けるのが今日しかないとばかりに、10時前に雨中を出かけて代々木上原駅前の吉田クリニックにプラセンタ・エキスの注射に向かう。近頃は山手線に時間に追われて乗ると不思議に遅れが出るのだが、この日はまさかのことで追い返しで乗るはずだった小田急が7分ほど遅れて新宿駅に到着した。急ぐ旅ではなかったので大目に見たが、何故こういう目に遭うのだろうか。今週が強行軍だったことを考えて、プラセンタ・エキスの他に所謂「ニンニク注射」に似たビタミンの注射も受けて降りしきる雨の中を帰宅。

帰路は家内の用事も兼ねて途中下車して新宿駅西口の銀行の支店2ヵ所立ち寄る。何処かで雨中にも拘わらず誰か演説をしているのが聞こえたが、とても立ち止まって聞く気にはなれなかった。こういう日は午後からもまた出て行かねばならぬ事態となる気がして帰宅。昼食は家で軽くソーメンで済ましたが、水分は十分に補給した。一休みしていると、15日に発注してあった眼鏡が完成したパリミキから電話。矢張りもう一度外出するとの閃きは当たった。

また雨中を出かけた。この眼鏡はずっと使ってきたものが壊れたので修理に出したのだが3週間はかかると聞いて、新たに作らざるをえないかと発注したものだった。ところが、修理は3日程で完了し新規の発注は無駄球になってしまったかの感があった。だが、検眼して貰うとまた更に視力が低下していたようだったので、言わば怪我の功名のような結果になった。新品と修理済みを受け取って帰宅すれば早くも17時。この日もまた良くも動き回ったものだったと、自分を褒めるよりもややすや不安だった。だが、その為に注射を受けてあったのである。83歳、病み上がり、善くぞ無事だった。