失礼しました。同じことを誤って二度掲載してしまいました。お許しを
リサイクルとリユース:
畏友・尾形氏と佐藤氏が交換された議論を拝読して、一寸本筋から離れた議論を思い付きました。それは牛乳の容器の変遷でした。牛乳は「乳等省令」(だったか?)という厚生省(現厚労省)の条例があり、牛乳瓶、ガラスです、に充填されるものと決まっていました。そこに50年代にアメリカから先ず蝋漬けにした紙パックが入ってきました。ご記憶の方は少ないと思いますが、”Blue Seal”という飲料で進駐軍専用でしたが、一部が横流しされて市場に出ていたと記憶します。
その紙パックを蝋漬けした容器を採用しようとした乳業会社は、厚生省に「例外容器」としての紙で作ったパックの採用の申請をして審査を経て「例外」が認められました。即ち、現在では当たり前の紙パックは例外だったのです。そして、例外容器を採用する乳業会社は、その都度厚生省に「例外容器申請」を、そのアメリカ製の紙の見本等を申請書に添付して、厚生省の審査とテストを経て許可されました。
その後、蝋漬けではなくポリエチレンフィルムを両面にラミネートした紙パックが導入されると、その例外だった容器が「例内」を遙かに超える比率となったのですが、それでも入牢省令は変わらず、例外申請が続きました。すると、今度は紙だけではなくアメリカ製のPEのレジンもアメリカからその都度取り寄せて、書類とともに提出して安全性の検査を受けねばならなくなりました。安全に決まっていますが、そこがそれお役所仕事でした。
ガラス瓶が使われなくなった理由を説明すると長くなりますが、ガラス瓶は全部回収して洗瓶の機械にかけて洗うのですが、その牛乳も混じった廃液が下水を汚染するという事態になって忌避されたのです。即ち、ここでは古くから「リユース」はされていました。それに、ガラス瓶は割れたらおしまいですが、紙パック綺麗な印刷も出来るし、一回きりの使用ですが回収の手間がなくその合理性が評価されました。アメリカの紙パックメーカーは”single service division”などと称していたとこもあって、一度使えば終わりを表していました。時代の流れと環境問題があって徐々に且つ急速に紙パックに取って代わられ今日に至ったのです。
次は段ボール箱です。その昔は包装材料は主に木箱でしたが、その容器というか包装材料としての使命を果たした後の処理が非常に手間と費用がかかることで、徐々に段ボール箱に置き換えられました。段ボール箱の紙は古紙として回収された後でリサイクルが可能なので経済性が高くまた環境に優しいのですが、合理的だということで評価され木箱が消えていく運命になったのだそうです。「なったそうです」と言うのは、私はこの分野には関係したことがなく、大筋で受け売りなのです。
既にお解りの方はおられると思いますが、段ボール箱は典型的な「リサイクル」可能製品なのです。牛乳パックだって1980年代には使用後に回収してリサイクルしようという運動が始まっていました。牛乳パックパックの使われている木材繊維は極めて品質が高く、一回で捨てるのは勿体ないと、我が国の主婦の方が起こした運動がありました。
何を言いたいのか解りにくいのでしょうが、時代の流れで環境保護が重要視され、使用後は廃棄される包装容器と包材の合理化が進められ、包装の形態が変化したというお話です。今、段ボール業界が最も恐れているのは、あの箱は一回使ったら終わりという(古紙になるだけ)という経済性に乏しいことと、本来はタダにしたい容器に金を払いたくない需要家が増えて来たので、何時他の包装形態に切り替えられるかと戦々恐々なのです。
事実、市況次第でコストが変動しやすい段ボール箱を嫌う需要家の中にはプラスティックの熱収縮フィルムを採用するところもあるなど、パッケージングのコスト削減は始まっています。また、パレットの上に紙で包装したパックを積み上げてシュリンク・ラップするソフトウエアもずっと以前に開発され実用化の段階にあり、時代の変化の先行きは私のような門外漢にはとても読めません。
畏友・尾形氏と佐藤氏が交換された議論を拝読して、一寸本筋から離れた議論を思い付きました。それは牛乳の容器の変遷でした。牛乳は「乳等省令」(だったか?)という厚生省(現厚労省)の条例があり、牛乳瓶、ガラスです、に充填されるものと決まっていました。そこに50年代にアメリカから先ず蝋漬けにした紙パックが入ってきました。ご記憶の方は少ないと思いますが、”Blue Seal”という飲料で進駐軍専用でしたが、一部が横流しされて市場に出ていたと記憶します。
その紙パックを蝋漬けした容器を採用しようとした乳業会社は、厚生省に「例外容器」としての紙で作ったパックの採用の申請をして審査を経て「例外」が認められました。即ち、現在では当たり前の紙パックは例外だったのです。そして、例外容器を採用する乳業会社は、その都度厚生省に「例外容器申請」を、そのアメリカ製の紙の見本等を申請書に添付して、厚生省の審査とテストを経て許可されました。
その後、蝋漬けではなくポリエチレンフィルムを両面にラミネートした紙パックが導入されると、その例外だった容器が「例内」を遙かに超える比率となったのですが、それでも入牢省令は変わらず、例外申請が続きました。すると、今度は紙だけではなくアメリカ製のPEのレジンもアメリカからその都度取り寄せて、書類とともに提出して安全性の検査を受けねばならなくなりました。安全に決まっていますが、そこがそれお役所仕事でした。
ガラス瓶が使われなくなった理由を説明すると長くなりますが、ガラス瓶は全部回収して洗瓶の機械にかけて洗うのですが、その牛乳も混じった廃液が下水を汚染するという事態になって忌避されたのです。即ち、ここでは古くから「リユース」はされていました。それに、ガラス瓶は割れたらおしまいですが、紙パック綺麗な印刷も出来るし、一回きりの使用ですが回収の手間がなくその合理性が評価されました。アメリカの紙パックメーカーは”single service division”などと称していたとこもあって、一度使えば終わりを表していました。時代の流れと環境問題があって徐々に且つ急速に紙パックに取って代わられ今日に至ったのです。
次は段ボール箱です。その昔は包装材料は主に木箱でしたが、その容器というか包装材料としての使命を果たした後の処理が非常に手間と費用がかかることで、徐々に段ボール箱に置き換えられました。段ボール箱の紙は古紙として回収された後でリサイクルが可能なので経済性が高くまた環境に優しいのですが、合理的だということで評価され木箱が消えていく運命になったのだそうです。「なったそうです」と言うのは、私はこの分野には関係したことがなく、大筋で受け売りなのです。
既にお解りの方はおられると思いますが、段ボール箱は典型的な「リサイクル」可能製品なのです。牛乳パックだって1980年代には使用後に回収してリサイクルしようという運動が始まっていました。牛乳パックパックの使われている木材繊維は極めて品質が高く、一回で捨てるのは勿体ないと、我が国の主婦の方が起こした運動がありました。
何を言いたいのか解りにくいのでしょうが、時代の流れで環境保護が重要視され、使用後は廃棄される包装容器と包材の合理化が進められ、包装の形態が変化したというお話です。今、段ボール業界が最も恐れているのは、あの箱は一回使ったら終わりという(古紙になるだけ)という経済性に乏しいことと、本来はタダにしたい容器に金を払いたくない需要家が増えて来たので、何時他の包装形態に切り替えられるかと戦々恐々なのです。
事実、市況次第でコストが変動しやすい段ボール箱を嫌う需要家の中にはプラスティックの熱収縮フィルムを採用するところもあるなど、パッケージングのコスト削減は始まっています。また、パレットの上に紙で包装したパックを積み上げてシュリンク・ラップするソフトウエアもずっと以前に開発され実用化の段階にあり、時代の変化の先行きは私のような門外漢にはとても読めません。
リサイクルとリユース:
畏友・尾形氏と佐藤氏が交換された議論を拝読して、一寸本筋から離れた議論を思い付きました。それは牛乳の容器の変遷でした。牛乳は「乳等省令」(だったか?)という厚生省(現厚労省)の条例があり、牛乳瓶、ガラスです、に充填されるものと決まっていました。そこに50年代にアメリカから先ず蝋漬けにした紙パックが入ってきました。ご記憶の方は少ないと思いますが、”Blue Seal”という飲料で進駐軍専用でしたが、一部が横流しされて市場に出ていたと記憶します。
その紙パックを蝋漬けした容器を採用しようとした乳業会社は、厚生省に「例外容器」としての紙で作ったパックの採用の申請をして審査を経て「例外」が認められました。即ち、現在では当たり前の紙パックは例外だったのです。そして、例外容器を採用する乳業会社は、その都度厚生省に「例外容器申請」を、そのアメリカ製の紙の見本等を申請書に添付して、厚生省の審査とテストを経て許可されました。
その後、蝋漬けではなくポリエチレンフィルムを両面にラミネートした紙パックが導入されると、その例外だった容器が「例内」を遙かに超える比率となったのですが、それでも入牢省令は変わらず、例外申請が続きました。すると、今度は紙だけではなくアメリカ製のPEのレジンもアメリカからその都度取り寄せて、書類とともに提出して安全性の検査を受けねばならなくなりました。安全に決まっていますが、そこがそれお役所仕事でした。
ガラス瓶が使われなくなった理由を説明すると長くなりますが、ガラス瓶は全部回収して洗瓶の機械にかけて洗うのですが、その牛乳も混じった廃液が下水を汚染するという事態になって忌避されたのです。即ち、ここでは古くから「リユース」はされていました。それに、ガラス瓶は割れたらおしまいですが、紙パック綺麗な印刷も出来るし、一回きりの使用ですが回収の手間がなくその合理性が評価されました。アメリカの紙パックメーカーは”single service division”などと称していたとこもあって、一度使えば終わりを表していました。時代の流れと環境問題があって徐々に且つ急速に紙パックに取って代わられ今日に至ったのです。
次は段ボール箱です。その昔は包装材料は主に木箱でしたが、その容器というか包装材料としての使命を果たした後の処理が非常に手間と費用がかかることで、徐々に段ボール箱に置き換えられました。段ボール箱の紙は古紙として回収された後でリサイクルが可能なので経済性が高くまた環境に優しいのですが、合理的だということで評価され木箱が消えていく運命になったのだそうです。「なったそうです」と言うのは、私はこの分野には関係したことがなく、大筋で受け売りなのです。
既にお解りの方はおられると思いますが、段ボール箱は典型的な「リサイクル」可能製品なのです。牛乳パックだって1980年代には使用後に回収してリサイクルしようという運動が始まっていました。牛乳パックパックの使われている木材繊維は極めて品質が高く、一回で捨てるのは勿体ないと、我が国の主婦の方が起こした運動がありました。
何を言いたいのか解りにくいのでしょうが、時代の流れで環境保護が重要視され、使用後は廃棄される包装容器と包材の合理化が進められ、包装の形態が変化したというお話です。今、段ボール業界が最も恐れているのは、あの箱は一回使ったら終わりという(古紙になるだけ)という経済性に乏しいことと、本来はタダにしたい容器に金を払いたくない需要家が増えて来たので、何時他の包装形態に切り替えられるかと戦々恐々なのです。
事実、市況次第でコストが変動しやすい段ボール箱を嫌う需要家の中にはプラスティックの熱収縮フィルムを採用するところもあるなど、パッケージングのコスト削減は始まっています。また、パレットの上に紙で包装したパックを積み上げてシュリンク・ラップするソフトウエアもずっと以前に開発され実用化の段階にあり、時代の変化の先行きは私のような門外漢にはとても読めません。
畏友・尾形氏と佐藤氏が交換された議論を拝読して、一寸本筋から離れた議論を思い付きました。それは牛乳の容器の変遷でした。牛乳は「乳等省令」(だったか?)という厚生省(現厚労省)の条例があり、牛乳瓶、ガラスです、に充填されるものと決まっていました。そこに50年代にアメリカから先ず蝋漬けにした紙パックが入ってきました。ご記憶の方は少ないと思いますが、”Blue Seal”という飲料で進駐軍専用でしたが、一部が横流しされて市場に出ていたと記憶します。
その紙パックを蝋漬けした容器を採用しようとした乳業会社は、厚生省に「例外容器」としての紙で作ったパックの採用の申請をして審査を経て「例外」が認められました。即ち、現在では当たり前の紙パックは例外だったのです。そして、例外容器を採用する乳業会社は、その都度厚生省に「例外容器申請」を、そのアメリカ製の紙の見本等を申請書に添付して、厚生省の審査とテストを経て許可されました。
その後、蝋漬けではなくポリエチレンフィルムを両面にラミネートした紙パックが導入されると、その例外だった容器が「例内」を遙かに超える比率となったのですが、それでも入牢省令は変わらず、例外申請が続きました。すると、今度は紙だけではなくアメリカ製のPEのレジンもアメリカからその都度取り寄せて、書類とともに提出して安全性の検査を受けねばならなくなりました。安全に決まっていますが、そこがそれお役所仕事でした。
ガラス瓶が使われなくなった理由を説明すると長くなりますが、ガラス瓶は全部回収して洗瓶の機械にかけて洗うのですが、その牛乳も混じった廃液が下水を汚染するという事態になって忌避されたのです。即ち、ここでは古くから「リユース」はされていました。それに、ガラス瓶は割れたらおしまいですが、紙パック綺麗な印刷も出来るし、一回きりの使用ですが回収の手間がなくその合理性が評価されました。アメリカの紙パックメーカーは”single service division”などと称していたとこもあって、一度使えば終わりを表していました。時代の流れと環境問題があって徐々に且つ急速に紙パックに取って代わられ今日に至ったのです。
次は段ボール箱です。その昔は包装材料は主に木箱でしたが、その容器というか包装材料としての使命を果たした後の処理が非常に手間と費用がかかることで、徐々に段ボール箱に置き換えられました。段ボール箱の紙は古紙として回収された後でリサイクルが可能なので経済性が高くまた環境に優しいのですが、合理的だということで評価され木箱が消えていく運命になったのだそうです。「なったそうです」と言うのは、私はこの分野には関係したことがなく、大筋で受け売りなのです。
既にお解りの方はおられると思いますが、段ボール箱は典型的な「リサイクル」可能製品なのです。牛乳パックだって1980年代には使用後に回収してリサイクルしようという運動が始まっていました。牛乳パックパックの使われている木材繊維は極めて品質が高く、一回で捨てるのは勿体ないと、我が国の主婦の方が起こした運動がありました。
何を言いたいのか解りにくいのでしょうが、時代の流れで環境保護が重要視され、使用後は廃棄される包装容器と包材の合理化が進められ、包装の形態が変化したというお話です。今、段ボール業界が最も恐れているのは、あの箱は一回使ったら終わりという(古紙になるだけ)という経済性に乏しいことと、本来はタダにしたい容器に金を払いたくない需要家が増えて来たので、何時他の包装形態に切り替えられるかと戦々恐々なのです。
事実、市況次第でコストが変動しやすい段ボール箱を嫌う需要家の中にはプラスティックの熱収縮フィルムを採用するところもあるなど、パッケージングのコスト削減は始まっています。また、パレットの上に紙で包装したパックを積み上げてシュリンク・ラップするソフトウエアもずっと以前に開発され実用化の段階にあり、時代の変化の先行きは私のような門外漢にはとても読めません。
共和党の大統領候補指名の受託演説を聴いて:
あらためて「トランプ氏が提示する問題」を考えさせられました。一言で言えばキャンペーンの頃と変わっておらず「見当が違うのではないか」でした。大幹部が大会をボイコットしたのも頷けます。テレビのニュースで受託演説は一部しか聞けませんでしたが、問題点は全てあの演説の中にあると思います。そこで、少し細部を考えてみます。
先ずは簡単なところから取り上げますと、"Make America great again"は考えさせられる点が多々あります。即ち「再度偉大にしよう」とは「今は偉大ではない」と言って自分の国の現在の有りようとその弱点をさらけ出しているのは謙虚のようであっても、アメリカ人的ではないと感じます。彼はそこまで意識していないと思わせます。何故、「オバマ大統領の8年間でここまで弱体化したアメリカを建て直そう」とハッキリと言わないのかと疑問にすら思うのです。他の項目ではあれほどあからさまに言っていながら。
弱体化したアメリカの再建が、国境に長城を築くこと、TPPを排除すること、保護貿易体制を採ること、イスラム教徒の入国を禁止することと移民の排除、同盟国の防衛の経費を軽減すること等々にあるのでしょうか。私はオバマ大統領の失政で世界の警察官を辞め、中近東を混乱させ、ロシアに舐められ、イランと親密になってサウジを怒らせ、あまつさえISを蔓延らせてしまった事等々を建て直すことこそが急務であり、"America first"でうちに閉じこもることだとは到底思えないのです。
アメリカは世界最大の経済大国です。それが傾きかけた現在を建て直すことにこそ、全力を挙げるべきだと思うのです。弱体化した製造業の再建には先ず労働力の質の向上があります。その問題は1994年にカーラ・ヒルズ元通商部代表大使が対日輸出を増やすのに必要なことは「識字率の向上」と「初等教育の徹底」を挙げられたのが誠にその通りです。20年経った今ではより移民が増えて識字率も下がったかと懸念しますし、労働力の質が向上したかは疑問でしょう。
これなどはTPPを排除する以前の問題でしょうよ。低い労働力の質で作られた製品は世界の何処に行っても売り負けていました。アメリカ国内市場のユーザーは極めて寛容であの質の低い国産品を余り苦情も言わずに受け入れてきました。それで甘やかされた製造業者は「我こそ世界最高」と誤解し、認識を誤ったのです。上智大学経済学部の緒田原教授は全盛期のW社の輸出品目を聞いて「それではアメリカの輸出は植民地のパタンではないか」と呆れました。
極論を言えば、輸出品がボーイングしかなかった、一次産品の輸出しかなかった産業界をどうやって建て直すのかを論ずべきでしょう。中国からの非耐久消費財の輸入にあれほど依存しながら、中国との関係を如何に維持するかを考えて欲しいと思います。中国からは輸入だけではなく、資源小国であるのでアメリカの一次産品の重要な輸出相手国です。紙パ業界で言えば「中国はアメリカ最大の古紙輸出の得意先」なのです。だが、アメリカはその中国が作る紙の輸入を関税で閉め出したりしています。自己矛盾でしょう。ボーイングしか輸出の花形がない経済をどうするかを考えて然るべきでしょう。
簡単に言えば「質の低い労働力で作られた製品を受け入れてくれる相手国が減っていることをご承知か」なのです。その点では、トランプ氏の「移民制限政策」は正解でしょうが、今既に入ってしまった低質の労働力の改善と改良が急務でしょう。だが、これには即効性は求められません。だが、それに努めなければ「百年河清を待つ」に等しいでしょう。言いたくはありませんが、我が事業部は労働組合員の意識改善に懸命に取り組み、日本という最大の輸出市場での地位を確保しました。製造業と不動産の売買や開発とは、根本的に違うとご認識願わねばなりますまい。
アメリカは基本的に輸出国ではありません。内需に依存した国です。であれば、トランプ氏が主張するように国内市場に閉じこもっていれば良いのかも知れません。また産業の在り方が東海岸に偏重し、その主たる相手先は欧州にあります。その東海岸からアジアへの輸出には地政学的にも隘路が多過ぎます。アジア向けの輸出に適した西海岸にはこれという輸出産業がありませんし、嘗てはエース級だった紙パルプが衰退したので、一次産品の林産物しか残っていません。往年はアイダホ州からのフレンチフライ用のポテトなどというのがありました。
未だ未だ言うべきことはあるかと思いますが、取り敢えずはこの辺りまでが思い浮かびました。
あらためて「トランプ氏が提示する問題」を考えさせられました。一言で言えばキャンペーンの頃と変わっておらず「見当が違うのではないか」でした。大幹部が大会をボイコットしたのも頷けます。テレビのニュースで受託演説は一部しか聞けませんでしたが、問題点は全てあの演説の中にあると思います。そこで、少し細部を考えてみます。
先ずは簡単なところから取り上げますと、"Make America great again"は考えさせられる点が多々あります。即ち「再度偉大にしよう」とは「今は偉大ではない」と言って自分の国の現在の有りようとその弱点をさらけ出しているのは謙虚のようであっても、アメリカ人的ではないと感じます。彼はそこまで意識していないと思わせます。何故、「オバマ大統領の8年間でここまで弱体化したアメリカを建て直そう」とハッキリと言わないのかと疑問にすら思うのです。他の項目ではあれほどあからさまに言っていながら。
弱体化したアメリカの再建が、国境に長城を築くこと、TPPを排除すること、保護貿易体制を採ること、イスラム教徒の入国を禁止することと移民の排除、同盟国の防衛の経費を軽減すること等々にあるのでしょうか。私はオバマ大統領の失政で世界の警察官を辞め、中近東を混乱させ、ロシアに舐められ、イランと親密になってサウジを怒らせ、あまつさえISを蔓延らせてしまった事等々を建て直すことこそが急務であり、"America first"でうちに閉じこもることだとは到底思えないのです。
アメリカは世界最大の経済大国です。それが傾きかけた現在を建て直すことにこそ、全力を挙げるべきだと思うのです。弱体化した製造業の再建には先ず労働力の質の向上があります。その問題は1994年にカーラ・ヒルズ元通商部代表大使が対日輸出を増やすのに必要なことは「識字率の向上」と「初等教育の徹底」を挙げられたのが誠にその通りです。20年経った今ではより移民が増えて識字率も下がったかと懸念しますし、労働力の質が向上したかは疑問でしょう。
これなどはTPPを排除する以前の問題でしょうよ。低い労働力の質で作られた製品は世界の何処に行っても売り負けていました。アメリカ国内市場のユーザーは極めて寛容であの質の低い国産品を余り苦情も言わずに受け入れてきました。それで甘やかされた製造業者は「我こそ世界最高」と誤解し、認識を誤ったのです。上智大学経済学部の緒田原教授は全盛期のW社の輸出品目を聞いて「それではアメリカの輸出は植民地のパタンではないか」と呆れました。
極論を言えば、輸出品がボーイングしかなかった、一次産品の輸出しかなかった産業界をどうやって建て直すのかを論ずべきでしょう。中国からの非耐久消費財の輸入にあれほど依存しながら、中国との関係を如何に維持するかを考えて欲しいと思います。中国からは輸入だけではなく、資源小国であるのでアメリカの一次産品の重要な輸出相手国です。紙パ業界で言えば「中国はアメリカ最大の古紙輸出の得意先」なのです。だが、アメリカはその中国が作る紙の輸入を関税で閉め出したりしています。自己矛盾でしょう。ボーイングしか輸出の花形がない経済をどうするかを考えて然るべきでしょう。
簡単に言えば「質の低い労働力で作られた製品を受け入れてくれる相手国が減っていることをご承知か」なのです。その点では、トランプ氏の「移民制限政策」は正解でしょうが、今既に入ってしまった低質の労働力の改善と改良が急務でしょう。だが、これには即効性は求められません。だが、それに努めなければ「百年河清を待つ」に等しいでしょう。言いたくはありませんが、我が事業部は労働組合員の意識改善に懸命に取り組み、日本という最大の輸出市場での地位を確保しました。製造業と不動産の売買や開発とは、根本的に違うとご認識願わねばなりますまい。
アメリカは基本的に輸出国ではありません。内需に依存した国です。であれば、トランプ氏が主張するように国内市場に閉じこもっていれば良いのかも知れません。また産業の在り方が東海岸に偏重し、その主たる相手先は欧州にあります。その東海岸からアジアへの輸出には地政学的にも隘路が多過ぎます。アジア向けの輸出に適した西海岸にはこれという輸出産業がありませんし、嘗てはエース級だった紙パルプが衰退したので、一次産品の林産物しか残っていません。往年はアイダホ州からのフレンチフライ用のポテトなどというのがありました。
未だ未だ言うべきことはあるかと思いますが、取り敢えずはこの辺りまでが思い浮かびました。