新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月12日 その3 危機迫る?USA対DPRK情勢

2017-08-12 09:25:29 | コラム
辺真一はこの状態に日本は「打つ手はないでしょう」と言った:

12日朝は4時過ぎに目が覚めて何となくテレビを付けると、テレ朝の「朝まで生テレビ」で対北朝鮮問題を大勢で論じていた。確かに、色々な意味でも我が国にとっても大きな危機を論じているのであろうと思って聞いていたが、結論めいたものは聞こえなかった気がする。更に、8時からの辛坊治郎が司会する日テレ(制作は読売テレビ)に登場した辺真一はこの深刻な話題で、我が国が「打つ手はないでしょう」と断じた。

それほどまでに、この度のトランプ大統領が金正恩と展開している売り言葉に買い言葉合戦は、何もアメリカ対DPRKのみならず、我が国にも最新のPresident誌がいみじくも形容した「鵺」の如き文在寅大統領率いる韓国にとっても、国家存亡の危機を招きかねない重大且つ深刻な事態なのだ。それくらいは私にでも解る。

だが、この二つの番組を聴いて考えたことは、我が国にとっては深刻な危機となりかねない事案は、何もUSA対DPRKのみに止まらず、我が国の属国化を狙っていると言われる習近平率いる中国も、途方もない危機となり得る材料ではないのかと思っている。属国化の危機は今日か明日に差し迫った問題ではないが、尖閣諸島周辺に連日公船を差し向けてくるのも目に見えないようで、明らかに見えている危機の前兆ではないのか。

中国は南沙諸島に勝手に進出して軍事基地を作り上げたし、AIIBを設立して最早豊富ではなくなりつつあると報じられている資金を投じて周囲の諸国を支配しようと企んだかと思えば、一帯一路なる構想を編みだして遙か欧州の諸国にまで影響力を及ぼす計画を推し進めている。かと思えば、太平洋をアメリカと折半して支配しようと持ちかけたりもした。このように中国はあらゆる場で覇権を目指す国家である。これが危険材料でなくて何だろう。

しかし、我が国には身も心も中華思想に支配された野党とマスメディアの連合軍が、「ここを先途」とばかりに安倍内閣をあることないことを針小棒大に採り上げ口撃し続けているので、中国に対する危機感は金正恩のmissile攻撃よりも遙かに希薄であると危惧している。尤も、彼ら野党とマスメディア連合はDPRKに対する危機感すら本気で論じる気配を見せていないのだ。それで、江崎某などの新閣僚の失言を奇貨として、安倍総理口撃の材料にする気である。何ともはや度しがたい売国奴の如き連中だ。

8月12日 その2 兎角この世は

2017-08-12 08:05:18 | コラム
天候我に味方せず

何を隠そう、去る7月31日に軽井沢のプリンスショッピングプラザ(アウトレットのことだが)で偶然に発見した、「なるほど、こうやれば簡単にサングラスのレンズに度を付けられるのか」と感心した経済的な価格のサングラスを購入した。しかも、度を付ける加工(なのだろう)に要する時間が90分にも満たなかった。

そこまでは良かったが、今回の静養期間中にサングラスを必要とするような眩しいような快晴の日は約半日しかなかった。それだけではなくて、都内に戻ってからも一日中快晴でサングラスを必要とする日はなく、自分の記録を見ても「晴れと曇り」の日は8月3日以降2日しかなく、折角のサングラスの出番は実質的に半日の日がその2度しかなかったのだ。

私はそういう星の下に生まれたのか、何か希望を託した物を買うとそれを使用できる日が中々巡ってこないという目に遭ってきた。例えば、アメリカ出張には現地で為替差益を活かしてアメリカ製かヨーロッパ製の良質の靴を買っていたものだった。だが、アメリカに滞在していようと帰国した後でも、その新品の靴を履く天候に恵まれなかったことが多かった。天候を恨んだものだった。

シアトルはそもそも雨が多い地域にあるが、それにしても天候は意地悪だった。アメリカで靴を買っていた理由の一つは、私の職務の必要上動き回るので、テレビドラマの警察官のように靴が早く駄目になるし、それ以外ではアメリカの革製品の高い品質に依存すべきだと承知していたからだ。専門家に聞くところでは「皮を鞣す技術が違う」のだそうだし、アメリカ製の靴の出来は誠に堅牢なのである。

但し、車社会の国アメリカ(ヨーロッパも同様だと思うが)では、人は外を歩かないので雨に濡れる危険性が極めて低い。その為に、アメリカ製の靴は我々製紙業界で言う撥水性、耐水性、防水性に欠けているのだ。一方の我が国では、雨というか水に濡れても大丈夫なような加工が施されているという特徴はある。だが、革製品の国内価格は色々な規制もあって、アメリカよりも遙かに高いという不利があるのだ。こういう話は、機会があれば、後刻触れてみたいとは思う。

話が本筋から逸れてしまったが、本日も早朝には雨降りだったし、天気予報では晴れることはない模様で、サングラスの出番がまたもや遠のいた。残念だ。

盂蘭盆と台風

2017-08-12 07:17:28 | コラム
盂蘭盆と台風関連は価値あるニュースか

毎年のように今頃になるとテレビでは、お盆休みの帰省者や旅行に出る人の為に高速道路の大渋滞の様子を、これでもかとばかりに朝から晩まで見せてくれる。帰る故郷がない私はその有様を「お気の毒だな」と思う一方で「解っていて何故車で出掛けるのかな」と不思議な思いで眺めている。それに、あれほど多くの国民の方が解りきっているだろうことに、ニュースとしての価値があるかなと訝っている。正直なところ、私にとっては面白くも何ともない出来事だから。

また、目下の所、我が国では台風襲来の季節でもある。矢張りテレビ局だが、決まり切った行事で雨具に身を固めたリポーターかアナウンサーが勇敢にも海岸線か洪水のようになった市街地に立って「強風で今にも飛ばされそうだ」とか「雨が顔に当たっていたい」と中継放送してくれる。これにしたところで、ご苦労様だとは思うが、相手は台風であれば当たり前の出来事であり、申し訳ないが「あの定番の中継か」と冷めた目で見てしまうのだ。

即ち、何れの場合もニュースとしての価値が何処まであるのかと疑問に感じざるを得ないのだ。私に言わせれば「既に皆様ご存じの渋滞が各高速道路で発生しておりますから、十分にそれに備えてお出かけ下さい」か「台風は何県の何処の海岸では立っていられないほど風と雨ですから、万が一に備えて避難の準備が必要かも」という程度の簡単な報道と警告で十分ではないのか。他にも優先すべきニュースがありはしないか。

あれは「他局が取り上げて報じる以上、我が社でもやらねば」というような意識がさせているのかと疑ってしまう。何となく「他人の苦しみを見て同情せよ」とでも諭しているのかとすら疑いたくなる。ニュースとして価値は低いのではないか。確かに、台風に襲われている地域の方々には心からご同情申し上げるが。

蛇足かも知れないが、我が国では「皆で一緒にやろう」という文化があり、そこに宗教的な要素もあれば民俗的な習慣でもある盂蘭盆があるので、皆一斉に帰郷したり旅に出る習慣というか文化がある。故に何処も混雑するのだと思っている。だが、何でも個人が主体の文化圏にあるアメリカでは、勤め人でも誰も自分の好きな時に休暇を取って出掛ける習慣なので、我が国のような大混雑は発生しがたいようだ。