新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月31日 その2 私のアメリカ

2017-08-31 15:36:13 | コラム
1972年8月に初めてアメリカ本土に渡った:

ここでは「私が長年慣れ親しんだアメリカ」を語って見よう。

先ほど「私が知っているアメリカは、全体を100とすれば精々20程度」と言ったが、その根拠はアメリカに全部で50ある州のうちで20州では空港の外に出た経験がある州を数えたので、それ以上のものではない。アメリカについては、イギリスから渡ってきた人たちが作った国で、その後に欧州からも渡ってきた者が多く、アフリカから連れてこられた奴隷の名残で黒人がいるくらいは承知していた。

しかし、羽田から今はなきパンナムでサンフランシスコに入り、更に飛行機を乗り継いで恐る恐る目的地のジョージア州・アトランタに着いたのは確か真夜中だった。そこまでで出会ったのは白人だけで、南部の都市であるアトランタでも南部訛りには面食らったが、黒人は見かけなかった。空港から不安とスーツケースを抱えて乗ったホテルまでのバスを運転していたのも白人だった。

その何日か後にオハイオ州・デイトンを経て到着したニューヨークでは、道路工事の作業員も白人で皆がチャンと英語を話しているのには、訳も解らずに感動していた。この初めてのアメリカ出張では25日間滞在したが、何処に行っても黒人に出会うことはなかった。当時は余りそういう意識もなく、唯々アメリカとは素晴らしい国だと無邪気に感動していただけだった。

そのアメリカが political correctness だか何だか知らないが、何時の間にか negro も black も禁句となった模様で、「アフリカン・アメリカン」と言わねばならないようだと知ったのだった。しかし、私の勤務先でも取引先でも、アフリカ系アメリカ人の社員が存在することは先ずなかったので、差別があるとかないとか意識する前に「アメリカとはこのように白人の世界だったのだ」と何となく認識するようになっていた。

更に細かく言えば、仕事上ではなくと、シアトルでもアトランタでもシカゴでも何処でも、買い物にも出掛けるし、食事にだって出掛ける。そういう先で、アフリカ系の店員なりウエイターかウエイトレスに出会うことは、ホテルのダイニングルームを除けば先ずないことだった。しかし、ニューヨークでもシカゴでもヒスパニックには当たり前のように出会った。

私が好んでネクタイその他の紳士用品を買いに行った店やバーバリーだのブルックスブラザース、ラルフローレン等々では店員は皆白人だった。馴染みになった化粧品を買っていたデパートの店員も愛想が良い白人男子だった。しかし、シアトルの近辺では、これという人気がる日本料理屋は韓国人の経営でウエイターでも誰でも、韓国語で話しかけて正体を見破って楽しんでいた。

中でも印象に残った出来事が、往年の大統領御用達の紳士用品のアメリカ最高のブランドであるSulka のサンフランシスコの店では、珍しく応対されてしまったアフリカ系の店員が横柄な口調で「Sulkaと知って入ってきたのか」と尋ねるのだ。失礼なと怒って「知らないで入ってくるか。ここのネクタイを何本持っていると思うのか」と切り返すと、手のひらを返すように態度が変わり「是非共当ブランドのカタログを貰って下さい」と言って持ってきた。彼らは東洋人を下の如くに見るのかと一瞬疑っのだった。

また、1980年代までは治安に問題ありとして先ず連れて行かれることは希だったロスアンジェルス(LA)市内では、確かに韓国系もアフリカ系の数多く見かけたものだった。この傾向は明らかに悪化(?)して、2012年にYM氏とSM氏に案内された訪れたLAの近郊でもヒスパニックと韓国人ばかりで「今後カリフォルニア州に出掛ける方は英語よりもスペイン語と韓国語を学んでからの方が現実的で役に立つだろう」と旅行記で皮肉ったほどだった。

1992年4月に起こったロスアンジェルス暴動は、Wikipedia によれば、以下のように解説されているが、表面的にはアフリカ系の人たちの仕事だった下層の労働を韓国人が奪い去っていたことに対するアフリカ系の恨みが現れたと伝えられていたと思う。そうだろうと解る気もするほど、単純反復労働の職場には韓国人が著しく増えたと思っている。

>引用開始
ロサンゼルス暴動はロドニー・キング事件に対する白人警察官への無罪評決をきっかけとして、突如起こったかのような印象で日本では報道されることが多かったが、その潜在的要因として、ロサンゼルスにおける人種間の緊張の高まりが挙げられる。アフリカ系アメリカ人の高い失業率、ロスアンジェルス市警察(以下「LA市警」)による黒人への恒常的な圧力、韓国人による度を超した黒人蔑視、差別に対する不満などが重なり、重層的な怒りがサウスセントラル地区の黒人社会に渦巻いていた。そこにロドニー・キング事件のLA市警警官に対して無罪評決、ラターシャ・ハーリンズ射殺事件における韓国人店主への異例の軽罪判決が引き金となり、黒人社会の怒りが一気に噴出して起きた事件であるといえる。
<引用終わる

このように増え続ける少数だったはずの民族が今や白人の人口を凌駕するのも遠くないだろうと言われている。その非白人やイスラム教徒の流入を食い止めたいとするトランプ大統領の大統領の発令も解る気にはなる。だが、22年半のアメリカの会社勤務の間に一度も話題にならなかったし、誰も語ろうとしなかったほどの微妙な案件に、大統領が触れたのは得策ではなかったようだと思う。

私は自分が少数民族の一員なのか、一部で古くから言われた「名誉白人?」なのか等に思いが及んだことはなかった。だだ、アメリカの会社の一員として職の安全(job security と言うと何度も述べた)の為に、何とかして彼らの中に溶け込んで「一員である」と認識させようと懸命だった。その為には、何とかして対日輸出で成果を上げていくしかないのだった。

では、私か彼らの一員として認められていたかとお尋ねか。ある時「君が話している英語と仕事ぶりと、着ている服や持ち物を見ていれば、てっきり心を許しても良いだろう仲間の一人だと誰しもが思うだろう。だが、君の正体は何処まで行っても骨の髄まで日本人なのだ」と同僚に言われたことがあった。これは果たして褒め言葉か、それとも仲間じゃないと言っているのか。悩んだものだった。だが、何処まで行っても、如何なる場合でも「日本人としての誇り」には徹底的に執着したものだった。

矢張り、最後に英語の講釈をすれば “You are a Japanese to the core.” というのが、「骨の髄まで日本人だ」に当たる英語だった。


アメリカという国

2017-08-31 08:10:30 | コラム
白人至上主義って何:

トランプ大統領のこの件についての失言としか思えないような軽率なTwitterでの意見表明以来、我が国のマスコミも話題として採り上げるるようになった。正直に言って、私はこの問題については何らかの意見が言えるほどにはその性質が解っていない知識もないと思う。

これまでに、私は如何にもアメリカを知り尽くしているのかと取られそうなことを述べてきた。だが、以前にも告白したことで、私のアメリカに対する理解というか認識の度合いは「アメリカを仮に 100 とすれば、私が知っているのは精々20程度だ。それでも、一般の方の知識と比べれば数倍にはなるだろう」と経験からも思っている。

これも以前に採り上げたことで、私が最初に転進したM社の代表だったHM氏はアメリカ留学の経験もある海外経験豊富で博学多識なビジネスマンだった。そのHM氏が1973年だったかに「私も長い間のアメリカ人との付き合いで彼らの考えることの70%は読めるようになったが、未だ30%も解らない部分が残っている」と述懐された。

それを聞いたUKの大手製紙会社の日本代表者だった日系カナダ人のGN氏はHM氏が帰った後で「HM氏はおかしい。この俺だってイギリス人やアメリカ人というものの精々30%くらいしか解っていないのだ」と批判したのだった。未だ外国に慣れていない私は「そんなものかな」と思って経験豊富な大先輩方のご意見を承っていた。

私は少しはアメリカの建国の歴史を学んだこともあれば、南北戦争(何で Civil War がこういう訳語になるのだろうか)があったことも承知しているし、アフリカ系アメリカ人たちがどのような存在か程度は心得ていた。だが、22年半も務めた2社では周囲にアフリカ系の人がいたこともなく、会社の外でもアフリカ系の人と語り合ったことすらなかった。そこに今回の一件である。何が問題か直ちに理解できなかった。

少しはこの件を理解できるかと、30日夜のPrime Newsをある程度の期待を持って見ていた。確かに登場された自民党の辻代議士、山口真由弁護士、モーリー・ロバートソン氏等は詳細に解説され、アメリカにおける人種問題の難しさを教えてくれたと思う。だが、彼らが語ったアメリカは勉学のために渡ったアメリカであり、そこで吸収された知識を元に客観的に解説されただけで、アメリカ人の中で働くか生活された経験から見たアメリカ論ではないと聞こえた。その意味では非常に論理的だが、頭でっかちかなとも思えたのは一寸残念だった。

今にして思えば、私がお世話になったアメリカの紙パルプ産業界の大手メーカーでは白人優位も何も会社側と言うべきか本社機構には、白人以外の誰がいるのかという世界だった。出会ったアフリカ系の人は22年半でメールボーイ等を除けば片手にも満たない数だった。また、良識ある?エリート社員たちがアフリカ系の人たちのことを話題にすることすらなかった。そういう人たちの世界だと受け止めていた。私は理論でも何でもなく、白人だけの世界がアメリカのビジネスの世界のようだと実感し、これがアメリカだろうと認識する以外なかったのだ。

確かに、私的な場というか個人的な会話ではアフリカ系を酷評する人に出会ったことはあった。また、同僚には「あのマネージャーはお嬢さんがアフリカ系の人と結婚してしまったので、彼の前では間違ってもアフリカ系アメリカ人を話題にするな」と予め知らされたこともあった。記憶が正しければ、常に接触せざるを得なかった現場の組合員にもアフリカ系はいなかった。

要するに、私が入っていった世界は白人の為のものだったようだし、アフリカ系アメリカ人は如何なる場合でも話題に上ることはなかった。これを白人優位というのか、差別というのかなどは全くあずかり知らぬ事だと思う。確かに、大学入学の選考などで逆差別の話などは聞いてはいた。だが、アフリカ系は急激に増えてくるヒスパニックや中国や韓国を中心にする少数民族(minorities)の一部なのかとすら考えるようになっていた。

私はこのままアメリカに合法・非合法を問わずに外国人の流入が続けば、喧伝されているように白人が少数民族になってしまう事態が生じるだろうと危惧する。だからこそ、トランプ様は立ち上がられたのだと解釈した。そうでもなれば、分断どころではなく、白人と非白人の二つの国に分かれてしまうのではないかなどと危惧している。その非白人国では、アフリカ系アメリカ人がアジア系やヒスパニックと融合するのだろうか。私は大いに疑問だと思う。

私には良く解らないとは言ったが、私はこういう込み入った人種構成とその間での反感と諍いがある国で、トランプ様の発言は矢張り軽率ではなかったのかと思う。何れにせよ、彼は答えがないような、寝た子を起こすような難問に自ら望んで取り組んでしまったのではないだろうか。