河野外相に刺激されて「通訳とは」を考えてみました:
経験から言えば、通訳の面白さ、難しさ、恐ろしさはやってみないことには解らないものだと思います。私は仕事上で何万回!?と通訳をしてきましたが、その分は給与の対象ではありません。残念。
思い返せばあの作業は一種の自己陶酔ですから、無心になって頭の中を空にして、どちらかの人が言ったことを何にも考えずに(異論を挟もうとか、そんなアホなことを言うなよなどと感情を導入せずに)自然に耳から入ったものを別な言語に直して間を置かずに口から出していく作業です。慣れれば何でもなくそのように出来るのが自分ながら不思議でした。
一時は話し手(アメリカ側)に「そんな不味いことを言わないように」と窘めた時期がありました。だが、W社の日本人代表者に「どれほど馬鹿ことか無意味と思わせることでも、彼が言いたいことは全部忠実に訳して上げることが必要ではないか。その馬鹿な発言で何か困った事態が生じても、それが彼の失言だと認識させることが肝腎では」と意見されました。尤もだと解り、以後は、時と場合にもよりますが、極力どんなに面倒でも逐語訳を心掛けました。
だが、最も肝腎なことは「今、彼らは何の為の会談をしているのか」を間違いなく認識していることです。自分の考えを差し挟まないことです。それと、重複しますが、通訳はどれほど言いたい衝動に駆られても、自分の意見を入れ込まないことです。だが、私は時と場合によっては「通訳もする当事者」として介入しました、相互に誤解や誤認識が生じない為に。
最も困るのは「私はそんなことを言っていない」と苦情を言われる日本側の、英語に自信をお持ちの方でした。偉そうに言えば、私は我が国の学校教育の英語とは異なった表現をするので、解って頂けないことがあるのです。
私は何時まで経っても同じことばかり繰り返し言っておられる日本側の方の長広舌を、”He has been repeatedly making the same point over and over again.”と訳した(?)ところ、「あんなに長くしゃべったのがそれ一言か?」と、上司に私の通訳に不信感を持たれたこともありました。
済みません、回顧談で。要するに、通訳を巧みに使うことをことを心得ておられる偉い方は大歓迎でした。我が国の大手製紙の社長さんは通訳の方がやりやすいように配慮され、精々一文節くらいしか語られず、語り終われば通訳に合図を送っておられました。流石でした。余談ですが、この通訳の方は後に専務取締役におなりでした。
通訳については、別の機会にあらためて語って見たいと思っております。
経験から言えば、通訳の面白さ、難しさ、恐ろしさはやってみないことには解らないものだと思います。私は仕事上で何万回!?と通訳をしてきましたが、その分は給与の対象ではありません。残念。
思い返せばあの作業は一種の自己陶酔ですから、無心になって頭の中を空にして、どちらかの人が言ったことを何にも考えずに(異論を挟もうとか、そんなアホなことを言うなよなどと感情を導入せずに)自然に耳から入ったものを別な言語に直して間を置かずに口から出していく作業です。慣れれば何でもなくそのように出来るのが自分ながら不思議でした。
一時は話し手(アメリカ側)に「そんな不味いことを言わないように」と窘めた時期がありました。だが、W社の日本人代表者に「どれほど馬鹿ことか無意味と思わせることでも、彼が言いたいことは全部忠実に訳して上げることが必要ではないか。その馬鹿な発言で何か困った事態が生じても、それが彼の失言だと認識させることが肝腎では」と意見されました。尤もだと解り、以後は、時と場合にもよりますが、極力どんなに面倒でも逐語訳を心掛けました。
だが、最も肝腎なことは「今、彼らは何の為の会談をしているのか」を間違いなく認識していることです。自分の考えを差し挟まないことです。それと、重複しますが、通訳はどれほど言いたい衝動に駆られても、自分の意見を入れ込まないことです。だが、私は時と場合によっては「通訳もする当事者」として介入しました、相互に誤解や誤認識が生じない為に。
最も困るのは「私はそんなことを言っていない」と苦情を言われる日本側の、英語に自信をお持ちの方でした。偉そうに言えば、私は我が国の学校教育の英語とは異なった表現をするので、解って頂けないことがあるのです。
私は何時まで経っても同じことばかり繰り返し言っておられる日本側の方の長広舌を、”He has been repeatedly making the same point over and over again.”と訳した(?)ところ、「あんなに長くしゃべったのがそれ一言か?」と、上司に私の通訳に不信感を持たれたこともありました。
済みません、回顧談で。要するに、通訳を巧みに使うことをことを心得ておられる偉い方は大歓迎でした。我が国の大手製紙の社長さんは通訳の方がやりやすいように配慮され、精々一文節くらいしか語られず、語り終われば通訳に合図を送っておられました。流石でした。余談ですが、この通訳の方は後に専務取締役におなりでした。
通訳については、別の機会にあらためて語って見たいと思っております。