単語を記憶させる英語教育の成果か:
私は以前から「カタカナで表す野球用語はおかしなカタカナ語の宝庫である」と皮肉を言っていた。野球用語は戦時中には敵性語として英語のカタカナ表記が禁じられていたが、今やほとんどの用語は英語とほとんど何ら関係がないカタカナ語になってしまっている。
先週辺りから不順な天候に外出を禁じられて?家に籠もっているので、甲子園の野球中継も見ている。そこで、アナウンサーも解説者も挙って使いまくる好ましいとは思えないカタカナ語も聞いている次第だ。そこで、この際、あらためて野球用語を考えてみようと思い立ったのだ。
特に頻繁に聞こえてくるのが「ストレート」である。これは、その昔は「直球」乃至は「速球」と呼ばれていた真っ直ぐな投球のことだ。これを曲げて「ストレート」と解説中に言い始めたのは間違っていたらご免なさいで、中畑清だと思い込んでいる。
この語源は恐らく“straight”という単語が「直線の、直進する、曲がっていない」を意味するので、英単語の知識が豊富なことを見せたくて使い始めたと善意で解釈することにした。アメリカでの野球用語は“fast ball”だが、ストレート・ボールという表現は聞いたことはない。因みに、何事も大雑把なアメリカでは変化球全て“breaking ball”で括ってしまう。これは心臓系の病を全て“heart attack”と総称するのにも似ている。「心筋梗塞」には“myocardial infarction”という難しい名称があり、救急隊では“AMI”の略語がある。
次に気になるのが、何も甲子園野球だけに限ったことではないが、「インコース」だの「アウトコース」だのと言うのは、如何に英単語の意味を正しく理解していないかを思いっきり表している。学校教育の至らなさである。
理屈を言えば“in”とは前置詞で「~の中に」と位置を示す単語である。打者に近い内側に寄った球筋を示すためには全く不適当な単語である。英語にはこれと似た表現を聞くことはないが、“high on inside”のような言い方を聞くことがある。「内角高め」だ。
「コース」も不思議である。これは名詞で「ある方向への進行または推移」か「方向または進路」とジーニアス英和には出ている。これと「イン」または「アウト」と組み合わせた知恵は素晴らしいが、英語をどう学べばこういう発想になるかと思う時、理解に苦しむのだ。
以上の他にカタカナ語は多々あるが、敬遠の四球(intentional walk)、牽制球(pick-off throw (attempt)、サヨナラホームラン(walk-off home run)、前進守備(draw-in infield)、バックホーム(throw to the plate)等をこのように和訳した知恵は皮肉でも何でもなく、先人は偉いと思うのだ。
畏メル友・O氏は<ええーつ、という感じがします。逆に言えば、「上手く訳したものだ」という気持ちにもなりますね。>との感想を寄せられた。私も同感である。兎に角、唸らせられるほど上手い訳というか、意訳だろう。
上記以外では「エンタイトルド・ツーベース」というのが凄いと思う。これの元の英語は“ground rule double”だから、これを先ず日本の感覚で"entitled two base (hit)"という英語にして、カタカナ語の「エンタイトルド・ツーベース(略してエンツー)」にしたと解釈している。何度か述べてきたが、私は"entitle"等という堅苦しい単語を使って話した記憶がないほど所謂「難しい単語」をこのように使った英語力に正直なところ感心している。
これは決して皮肉っているのではなく、それだけ「単語の知識」のみを与える英語教育の成果がこういう形で表れたのだと思っている。後難を恐れずに言えば、こういう形でしか結果が現れないような教育をしてきたと考えている。
余談の部類だが、私の大好きなカタカナ語の悪影響を示す挿話にこういうのがある。それは
試合を決めるホームランを打った元MLBのアフリカ系の選手がヒーロー・インタビュー(これも純粋なカタカナ語)で「ホームランを打った球は何でした」と訊かれた。球団の通訳は躊躇うことなく“What kind of ball did you hit homerun?”と訳したのだった。
そこで彼は皮肉な微笑を浮かべて「あれは確か野球のボールでフットボールではなかった」と答えたのだった。この話はロバート・ホワイティングという人がその著書に載せたので私は当時書いていたコラムではそのことを断って書くしかなかったのが残念だった。
投球は今では一般的に「球」と言われているが、英語では"pitch"か"delivery"なのだ。私はこれを最初は「投球」と訳し、後に「球」(タマ)に短縮したのだと思っている。だから、通訳さんは“ball”にしたのだろう。
野球用語は言い出せば切りがないほど全部が巧みに意訳されたカタカナ語と言えるだろうと思う。しかし、「ストライク」と「ボール」は意訳しようがなかったようで、戦時中は「よし」と「駄目」(または悪球)だったかと記憶している。
私は以前から「カタカナで表す野球用語はおかしなカタカナ語の宝庫である」と皮肉を言っていた。野球用語は戦時中には敵性語として英語のカタカナ表記が禁じられていたが、今やほとんどの用語は英語とほとんど何ら関係がないカタカナ語になってしまっている。
先週辺りから不順な天候に外出を禁じられて?家に籠もっているので、甲子園の野球中継も見ている。そこで、アナウンサーも解説者も挙って使いまくる好ましいとは思えないカタカナ語も聞いている次第だ。そこで、この際、あらためて野球用語を考えてみようと思い立ったのだ。
特に頻繁に聞こえてくるのが「ストレート」である。これは、その昔は「直球」乃至は「速球」と呼ばれていた真っ直ぐな投球のことだ。これを曲げて「ストレート」と解説中に言い始めたのは間違っていたらご免なさいで、中畑清だと思い込んでいる。
この語源は恐らく“straight”という単語が「直線の、直進する、曲がっていない」を意味するので、英単語の知識が豊富なことを見せたくて使い始めたと善意で解釈することにした。アメリカでの野球用語は“fast ball”だが、ストレート・ボールという表現は聞いたことはない。因みに、何事も大雑把なアメリカでは変化球全て“breaking ball”で括ってしまう。これは心臓系の病を全て“heart attack”と総称するのにも似ている。「心筋梗塞」には“myocardial infarction”という難しい名称があり、救急隊では“AMI”の略語がある。
次に気になるのが、何も甲子園野球だけに限ったことではないが、「インコース」だの「アウトコース」だのと言うのは、如何に英単語の意味を正しく理解していないかを思いっきり表している。学校教育の至らなさである。
理屈を言えば“in”とは前置詞で「~の中に」と位置を示す単語である。打者に近い内側に寄った球筋を示すためには全く不適当な単語である。英語にはこれと似た表現を聞くことはないが、“high on inside”のような言い方を聞くことがある。「内角高め」だ。
「コース」も不思議である。これは名詞で「ある方向への進行または推移」か「方向または進路」とジーニアス英和には出ている。これと「イン」または「アウト」と組み合わせた知恵は素晴らしいが、英語をどう学べばこういう発想になるかと思う時、理解に苦しむのだ。
以上の他にカタカナ語は多々あるが、敬遠の四球(intentional walk)、牽制球(pick-off throw (attempt)、サヨナラホームラン(walk-off home run)、前進守備(draw-in infield)、バックホーム(throw to the plate)等をこのように和訳した知恵は皮肉でも何でもなく、先人は偉いと思うのだ。
畏メル友・O氏は<ええーつ、という感じがします。逆に言えば、「上手く訳したものだ」という気持ちにもなりますね。>との感想を寄せられた。私も同感である。兎に角、唸らせられるほど上手い訳というか、意訳だろう。
上記以外では「エンタイトルド・ツーベース」というのが凄いと思う。これの元の英語は“ground rule double”だから、これを先ず日本の感覚で"entitled two base (hit)"という英語にして、カタカナ語の「エンタイトルド・ツーベース(略してエンツー)」にしたと解釈している。何度か述べてきたが、私は"entitle"等という堅苦しい単語を使って話した記憶がないほど所謂「難しい単語」をこのように使った英語力に正直なところ感心している。
これは決して皮肉っているのではなく、それだけ「単語の知識」のみを与える英語教育の成果がこういう形で表れたのだと思っている。後難を恐れずに言えば、こういう形でしか結果が現れないような教育をしてきたと考えている。
余談の部類だが、私の大好きなカタカナ語の悪影響を示す挿話にこういうのがある。それは
試合を決めるホームランを打った元MLBのアフリカ系の選手がヒーロー・インタビュー(これも純粋なカタカナ語)で「ホームランを打った球は何でした」と訊かれた。球団の通訳は躊躇うことなく“What kind of ball did you hit homerun?”と訳したのだった。
そこで彼は皮肉な微笑を浮かべて「あれは確か野球のボールでフットボールではなかった」と答えたのだった。この話はロバート・ホワイティングという人がその著書に載せたので私は当時書いていたコラムではそのことを断って書くしかなかったのが残念だった。
投球は今では一般的に「球」と言われているが、英語では"pitch"か"delivery"なのだ。私はこれを最初は「投球」と訳し、後に「球」(タマ)に短縮したのだと思っている。だから、通訳さんは“ball”にしたのだろう。
野球用語は言い出せば切りがないほど全部が巧みに意訳されたカタカナ語と言えるだろうと思う。しかし、「ストライク」と「ボール」は意訳しようがなかったようで、戦時中は「よし」と「駄目」(または悪球)だったかと記憶している。