新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月16日 その4 kazk様

2017-08-16 15:05:24 | コラム
kazk様

有り難う御座いました。

お恥ずかしながら、私の軽率な勘違いがありました。稲田朋美さんは一旦辞任して岸田外相が兼務したことを完全に忘れておりました。

これが全く不適切な例でして、私が言いたかったのは「マスメディアは前と元の混同がある」との点でした。言うなれば、日頃から論っている偏向した彼らを批判したかったのでした。誤って記述を反省しております。今度ともよろしくご指導ください。

真一文字拝

8月16日 その3 「私の英語勉強法」の補完

2017-08-16 15:02:16 | コラム
英語の嫌らしさの考察:

これは先日の「私の英語勉強法」を補うもので、日本語にはない考え方というか観念が多い英語という言葉を、あらためて分析しようとする試みである。このイヤらしさに付いていけない方が多いので、「どうにか通じた」とか「こっちからは何とか単語を並べて解らせたが、相手の言うことはサッパリ理解できなかった」などという結果になってしまうのだと思っている。

いや、後難を恐れて言えば、かかる違いがあることを良く理解できるように教えていないらしい、我が国の英語教育の問題点を論っているのかも知れない。こういう違いがあることを如何にも学問的に教えておられるようなので、教えられた方が懸命に理屈で考えようとするから、余計に混乱するようである。大体からして「語学」などと称するのは誤りで、英語なんて学問でも何でもないのだ。

そういう思い違いの指導の悪い結果というか例として、先日「ペラペラ風の英会話」の例文を挙げておいたので、出来ることならば思い出して頂けると有り難い。言うなれば、あの例は「面倒くささに負けて、易きに付いた結果である」と言いたい。

最初に名詞の複雑さを挙げよう:
日本語にない観念で我が同胞を悩ましている例に名詞に「可算名詞」(countable noun)と「不可算名詞」(uncountable noun)があることを挙げて良いだろう。前者を簡単に言えば「後に複数を表す”s”が付けられる名詞」のことで、”book”、”boy”、”house”等がある。だが、中には”paper”のように1枚の紙を表していながら”two sheets of paper”のようにsを付けない使い方があるのがイヤらしい。

不可算名詞には”service”、 ”water”、”help”、”bread”、”information”のような例がある。だが、困ったことに”service”などは”financial services”のように複数形でも使える例があるのだ。私が音読・暗記・暗唱を強調して勧める根拠に「こういう例がある以上、その場になってどっちだったかと迷わないように例文を暗記しておけば、イザという時に間違えないで済む」とお考え願いたいのだ。

次なるイヤらしさは「集合名詞」(collective noun)である。辞書には例として”committee”、”herd”(群れ)、”team”という単語が出てくる。本格的なイヤらしさはこれから先のことである。即ち、British Englishでは後に来る動詞を単数と複数の何れで受けても良いようだが、アメリカ語では動詞は単数形でなければならぬようである。現に私は単数形でしか考えていなかったのだ。だが、British系の人たちに「文法が間違っている」と指摘された経験はなかった。

更に「単複同形」などという例がある。そうは言ったが中々適当な例をも出せずに悩んだ。”Japanese”もそうだと思うし、”Chinese”もそうだろう。他には陳腐な例には”fish”もあるし、”deer”、”cattle”なんていうのもある。”people”なんていうのは常に複数扱いになっているので、この範疇には入らないのだろう。兎に角、こういう嫌らしさへの対応は理屈ではなく、例文で暗記しようと言っているのだ。兎に角、こういうイヤらしさの克服は「音読・暗記・暗唱」で例文を徹底的に記憶しておくことにあると申し上げておきたい。

動詞の変化:
名詞だけを考えてもこれほどややこしいのだから、こういう違いと後に付く動詞の変わり方を理論的に教えられ、しかも「試験に出すよ」などと言われては「何でこんな面倒なことを覚えなければならないのか」と英語嫌いが増えるだろうと容易に想像できる。私はこういう理屈を覚えることを一切無視して「音読・暗記・暗唱」に徹底しても、何故か文法はほぼ間違うことなく身に付いたのだった。しかも、先日例を挙げたように少なくとも、私を含めて4名の「音読・暗記・暗唱」での成功例があったのだ。

その他のイヤらしさ:
これら以外にある英語の嫌らしさの例には「定冠詞」と「不定冠詞」んの使い分け、「間接話法等における時制の一致」、即ち、現在形・過去形・現在完了・過去完了の使い分けなどという頭が痛くなるような面倒なことが皆の行く手に立ち塞がるのだ。特に「定冠詞不定冠詞の使い方」は多くのアメリカの知識階級の連中でも、”Don’t ask me.”と拒否反応だった。これらの詳細はここでは遠慮して置くが、その他には英語にはないと思われている「敬語的な使い方」だってあるのだ。

繰り返して申し上げておくが、私はこれらの難関を全て「音読・暗記・暗唱」で何とか乗り越えられたのだが、その背景には湘南中学から高校に書けての優れた英語教育と上智大学での千葉勉教授の厳しい授業のお陰で、何とか裏付けることが出来ていたのだった。更に、生まれて初めて敵性語であった英語を学び始めて間もなく終戦となって、GHQの秘書の方に厳格に話し方を訓練されたという幸運もあったので、何とか解るようになったのだと自覚している。

結び:
そう言って振り返ってみれば、矢張り七面倒くさい理屈を教えられることと同時進行で「話すこと」を優れた教え方で学べば、何もアメリカまで「語学?」などを勉強にに行かずとも、何とかなるものだという事実だ。即ち、これも繰り返して主張したことで「13歳の中学校1年から英語を学び始めても十分に間に合う(何に?)」ということだ。


8月16日 その2 山中慎介が負けた

2017-08-16 08:29:31 | コラム
悪い予感があった敗戦だった:

昨日までで8月に入ってから都内では16日連続で雨が降っているそうだ。兎に角憂鬱な天候で、折角買い求めた新兵器である度付きのサングラスの出番が一向に巡ってこないのは残念だ。その鬱憤を晴らすべく滅多にないことでブログを5回も更新してしまった。その気分晴らしの最後の手段として期待したのが、山中慎介による13回目の世界タイトルの防衛戦で、スカッとするノックアウト勝ちを期待したかった。

だが、テレビカメラ映しだした試合前の控え室での彼の姿を見て何となく不吉なものを感じてしまったのだった。この中継の前までは広島が2位の阪神を相手にして4回までに11点も取ってしまったので、その勢いが山中にも乗り移れば良いのだと密かに期待していた。

だが、試合が始まってみると、どうも山中の旗色が芳しくなかったのだ。そこで悪い予感が当たってしまうらしいと、あらためて閃いてきたのだった。山中は過去にダウンさせられた後でも挽回してノックアウト勝ちして事があったかななどと思いながら観戦していた。そこで、あの4回のタオル投入だが、私はレフェリーが止めに入るかと思わせられたほど、打ちまくられていた。あの打たれ方では、仮令ダウンさせられても、立ち直ってノックアウト出来そうだとは見えなかった。

私はボクシングは余りよく知らないし、プロの試合を見たことは今までに一回しかないので多くを語れないと思う。だが、あの局面でセコンドがタオルを投げ入れたのも止むを得ない措置かと思っていた。だが、山中当人は「それほど(パンチが)効いていなかった」と言うし、帝拳の本田会長は早すぎたタオル投入を怒っていたと報じられていた。

そうであれば、「あのまま行くところまでやらせてみれば」とも言えるのだろうが、あのように打たれ続けては山中の健康問題にもなってしまうのではないかとも思わせてくれた。それならば、山中を良く知るセコンドの判断は正しかったのではなかろうか。ボクシングのような生命の危険を伴いかねまいような競技は、難しいものだと思わせられた敗戦だった。

あそこで残念にも負けたからと言って、山中の偉大な記録が消滅する訳ではない。彼は凄いボクサーだと私でさえ思っているのだから。


稲田朋美元防衛大臣

2017-08-16 07:53:36 | コラム
私は前防衛大臣だと思うのだが:

稲田朋美さんが昨年は果たせなかった靖国神社参拝を行ったと報じられた。しかし、中には「元防衛大臣」の肩書きにしてあったメディアもあった。私はこれまで現職の大臣(でも社長でも)の前任者は前大臣か前社長と呼び、その更に前の方は「元大臣」か「元社長」として区別してきた。だが、近頃は前任者だろうと誰だろうと、過去にその地位にあった方は全て「元何々」と元が付けられているように思えてならない。

この流れを見て少し自信がなくなってきたのだが、「前大臣」や「元大臣」という仕分けは最早必要がないのかと思うに到った。だが、稲田朋美さんはどう考えても「前防衛大臣」であって、中谷元氏が「元防衛大臣」だと思う。大体からして名前だって元さんだし。