アフリカ系の人たちの大会の如きだ:
正直なところ陸上競技のトラック種目には余り興味も関心もないので、偶々TBSにチャンネルが合った時にだけ見ていた。それが先ず男子の10,000 mだった。何十人走っていたかなど数えてもいなかったが、確か白人が1人いたと見た。その走者も何時の間にか画面から消え、後はアフリカ系の人たちの抜きつ抜かれつの熾烈な争いとなっていた。感想は「矢張りそういうことだったか」だった。
近年はあらゆる競技にアフリカ系の優れた選手が圧倒的に増えてきたのは間違いないところだ。アメリカで大リーグ(MLB)最初の黒人選手とされているジャッキー・ロビンソンが加入したのが1945年だったかだが、1976年だったかに私が初めて見たMLBはアフリカ系がかなり多くなっていた。1980年代に入って初めて見る機会があったプロバスケットボールのNBAでは最早白人は少数派だった。
フットボールにしたところで、かなり長い間クオーターバック(QB)は白人のポジションだったが、今やアフリカ系のQBが珍しくない状態だ。その他のポジションについては云々する必要はないだろう。トラック種目でも、近年はオリンピックに出てくるアメリカ代表には白人の選手はついぞ見かけなくなっている。テニスでもヴィーナス姉妹の存在は忘れられないだろう。
そこで、昨日の男女のマラソンである。私はこれまでに何度も「箱根駅伝を続けている限り、我が国の男子マラソンに明日はない」と批判してきた。だが、昨日の競技を見てこの批判を止めるべきではないかと思うに到った。それは、産経新聞でさえ「惨敗」と書いていたが、川内君の9位と中本君の10位は立派な成績で賞賛に値するのではないかと思ったのだ。
即ち、川内君の前を走っていたのは全てアフリカ系の走者ばかりであり、彼は日本人1位だっただけではなく「非アフリカ系の第1位」だったのである。素晴らしいではないか。この筆法では中本君ですら川内君に次ぐ第2位なのだ。こじつけ的な論法だが、最早マラソンはアフリカ系の人たちの運動神経と身体能力にお任せすべき時になり、我が国と白人の諸国の選手たちは別途その優劣を争うしかないのではないかと思うようになってしまった。
男子の100 m走でも、(決勝戦は見ていなかった)ウサイン・ボルト君は3位に終わったが、あの種目は明らかにアフリカ系の走者の争いだった。その中にあって我が国の代表3名が準決勝にまで残ったのは立派な成績だと褒めて上げても良いのではないか、などと考えさせられた。その3名のうち2名は父親がアフリカ系というか外国人である。
私はアフリカ系の人たちにどのような天賦の才能があるのかなどは知らない。だが、彼らは水泳や体操等の例外を除けば実に凄い活躍振りだ。私が見る彼らの体格の特徴は、足が長く(重心が高く)しなやかで、スラッとしており、肥満体の者は極めて希であることだ。換言すれば、均整が取れていて、BMIの数値などは15にもなっていないだろうかということ。だが、ウサイン・ボルト君などは9秒台を出すのに必要な体重と鍛え抜かれた筋肉がついていると見た。
マスコミは相変わらず何のかんのと批判するが、世界的な大会で3位以内(私はメダルメダルと言い募るのは気に入らないのだが)に入れる選手を養成しようと思えば、一部の中近東の国のようにアフリカ系を帰化させるか、国内でこれと思う才能を持つ選手たちを国家の予算で(韓国の女子のプロゴルファーのようにか?)鍛え上げる他ないのではないかなどと、思うに到った。
私が根本的に疑問だと思うことは「偏向報道のマスコミが何かといえば、世界で活躍することをさも素晴らしいことのように褒め称えること」だ。「世界に出ていくことがそんなに有り難いのか」と言いたくなる。スポーツはさて措き、「我が国ほど工業的にも文化・文明の面でも優れている国はないのだ」という誇りを大切にすべきだと言いたい。諸外国を歩いてみれば、そういう紛れもない事実が見えてくるはずだ。
私は何度も「我が国ほど素晴らしい国はない」と言ってきたはずだ。簡単な例を挙げれば、目下休暇中の某国の大統領様よりも安倍晋三総理大臣の方が遙かに安定していて、ご信頼申し上げて良い指導者であると思えるではないか。
正直なところ陸上競技のトラック種目には余り興味も関心もないので、偶々TBSにチャンネルが合った時にだけ見ていた。それが先ず男子の10,000 mだった。何十人走っていたかなど数えてもいなかったが、確か白人が1人いたと見た。その走者も何時の間にか画面から消え、後はアフリカ系の人たちの抜きつ抜かれつの熾烈な争いとなっていた。感想は「矢張りそういうことだったか」だった。
近年はあらゆる競技にアフリカ系の優れた選手が圧倒的に増えてきたのは間違いないところだ。アメリカで大リーグ(MLB)最初の黒人選手とされているジャッキー・ロビンソンが加入したのが1945年だったかだが、1976年だったかに私が初めて見たMLBはアフリカ系がかなり多くなっていた。1980年代に入って初めて見る機会があったプロバスケットボールのNBAでは最早白人は少数派だった。
フットボールにしたところで、かなり長い間クオーターバック(QB)は白人のポジションだったが、今やアフリカ系のQBが珍しくない状態だ。その他のポジションについては云々する必要はないだろう。トラック種目でも、近年はオリンピックに出てくるアメリカ代表には白人の選手はついぞ見かけなくなっている。テニスでもヴィーナス姉妹の存在は忘れられないだろう。
そこで、昨日の男女のマラソンである。私はこれまでに何度も「箱根駅伝を続けている限り、我が国の男子マラソンに明日はない」と批判してきた。だが、昨日の競技を見てこの批判を止めるべきではないかと思うに到った。それは、産経新聞でさえ「惨敗」と書いていたが、川内君の9位と中本君の10位は立派な成績で賞賛に値するのではないかと思ったのだ。
即ち、川内君の前を走っていたのは全てアフリカ系の走者ばかりであり、彼は日本人1位だっただけではなく「非アフリカ系の第1位」だったのである。素晴らしいではないか。この筆法では中本君ですら川内君に次ぐ第2位なのだ。こじつけ的な論法だが、最早マラソンはアフリカ系の人たちの運動神経と身体能力にお任せすべき時になり、我が国と白人の諸国の選手たちは別途その優劣を争うしかないのではないかと思うようになってしまった。
男子の100 m走でも、(決勝戦は見ていなかった)ウサイン・ボルト君は3位に終わったが、あの種目は明らかにアフリカ系の走者の争いだった。その中にあって我が国の代表3名が準決勝にまで残ったのは立派な成績だと褒めて上げても良いのではないか、などと考えさせられた。その3名のうち2名は父親がアフリカ系というか外国人である。
私はアフリカ系の人たちにどのような天賦の才能があるのかなどは知らない。だが、彼らは水泳や体操等の例外を除けば実に凄い活躍振りだ。私が見る彼らの体格の特徴は、足が長く(重心が高く)しなやかで、スラッとしており、肥満体の者は極めて希であることだ。換言すれば、均整が取れていて、BMIの数値などは15にもなっていないだろうかということ。だが、ウサイン・ボルト君などは9秒台を出すのに必要な体重と鍛え抜かれた筋肉がついていると見た。
マスコミは相変わらず何のかんのと批判するが、世界的な大会で3位以内(私はメダルメダルと言い募るのは気に入らないのだが)に入れる選手を養成しようと思えば、一部の中近東の国のようにアフリカ系を帰化させるか、国内でこれと思う才能を持つ選手たちを国家の予算で(韓国の女子のプロゴルファーのようにか?)鍛え上げる他ないのではないかなどと、思うに到った。
私が根本的に疑問だと思うことは「偏向報道のマスコミが何かといえば、世界で活躍することをさも素晴らしいことのように褒め称えること」だ。「世界に出ていくことがそんなに有り難いのか」と言いたくなる。スポーツはさて措き、「我が国ほど工業的にも文化・文明の面でも優れている国はないのだ」という誇りを大切にすべきだと言いたい。諸外国を歩いてみれば、そういう紛れもない事実が見えてくるはずだ。
私は何度も「我が国ほど素晴らしい国はない」と言ってきたはずだ。簡単な例を挙げれば、目下休暇中の某国の大統領様よりも安倍晋三総理大臣の方が遙かに安定していて、ご信頼申し上げて良い指導者であると思えるではないか。