海ほど危険なところはないと思うが:
題名を「海ほど」ではなく「海水浴」としても良かったかも知れない。テレビなどでは著名な海水浴場の賑わいや、はた迷惑な海水浴客の酷い礼儀作法などを報じている。だが、彼らは中々海水浴の危険性を採り上げて報道することはないようだ。私は昭和16年から37年まで鵠沼海岸(これは小田急の駅名で、住所は鵠沼だったが)に近いところに住んでいたので、あの海岸(江ノ島の西浜海水浴場の更に西側になる)の仮令油断しなくても命に関わる危険性があることを良く知っていた。
要するに「如何に海を楽しむか」である。少なくとも飲酒の場ではない。従って、マスメディアが海水浴を無闇に採り上げて騒ぎ立てるのは好ましくないと思っているし、一般論としても海水浴は要注意であると言いたいのだ。
それは何故かと言えば、海はろくに泳ぐことも出来ない人に配慮して波を立てたり、海面下で沖の方に強く引いている潮の流れを管理したりしてはくれないからである。江ノ島の東浜辺りは言わば入り江のような作りなので比較的安全だとは思うが、それとても相手は自然である海なので、「自分は大丈夫」などと思い込んではならず、絶対に油断は出来ない。
この鵠沼海岸では海面下の引き潮はまっすぐに沖の方に向かっているのではなく、かなりな勢いで西に向かっているのだ。その為に「俺は水泳が上手いのだ」などと錯覚を起こして沖に向かっていると、何時の間にか遙か西の辻堂海岸の方に寄っており、一寸くらい足掻いても元来た方向には戻れないようになるのだ。忘れてならぬことは、引き潮が強いということは沖の方に向かっては快調に進むという点だ。実際に、往年の鵠沼海岸では何人もの溺死者を見ていた。
私は1974年4月に本当に風光明媚な白い砂浜が綺麗なフロリダの海岸で「折角来たのだから」と一寸泳いでみて、その鵠沼海岸以上の引きの強さを関知して直ちに引き上げたのだった。それ以前にも、海水浴は避けていたし、子供たちを連れていこうなどとは考えていなかった。それだけではなく、私はあの海水で体がベトベトになるのがイヤだったので、海の直ぐそこにある市営だったかのプールには行っていたが。
少し長すぎる導入部になってしまったが、私は海岸に浩然の気を養いに行くとか、何処まで続いているのかも知れない海を見て楽しむのは良いことだとは思う。だが、生命の危機を招くような危険な遊び方をしに行く場所ではないと思っている。ましてや、遊び回って直射日光に当たって脱水症状に近い体で、水分を奪ってしまうような飲酒をするのは論外であると思っている。だが、今やそういう認識がある海水浴客は少ないようである。
戦前か戦時中を回顧すれば、あの広い鵠沼海岸にはいくつかのパラソルが立っていて、精々20~30人程度の地元民が砂浜で寛いでいるだけの長閑な場所だった。先週だったか、テレ東で現在の鵠沼海岸の特集を流していたが、良い意味では近代的に開発され、昔を知る者にとっては限りなく俗化されていた。あそこに群がっている若者たちは「引きが強く西に流される」と承知なのだろうか。
フロリダの海岸でも、所謂甲羅干しをしていた女性は見かけたが、泳いでいる人はほとんどいなかった。何となく、この辺りにも日米間の文化というか習慣の違いがあるように思える。私は海は遠くからでも近くからも眺めているのが無難だと思っている。私は江ノ島電鉄で片瀬から鎌倉に向かう車中から眺める海の美しさが素晴らしいと思う。海は眺めるもので、泳ぐ場所ではないと思う。それくらいで十分だ。
題名を「海ほど」ではなく「海水浴」としても良かったかも知れない。テレビなどでは著名な海水浴場の賑わいや、はた迷惑な海水浴客の酷い礼儀作法などを報じている。だが、彼らは中々海水浴の危険性を採り上げて報道することはないようだ。私は昭和16年から37年まで鵠沼海岸(これは小田急の駅名で、住所は鵠沼だったが)に近いところに住んでいたので、あの海岸(江ノ島の西浜海水浴場の更に西側になる)の仮令油断しなくても命に関わる危険性があることを良く知っていた。
要するに「如何に海を楽しむか」である。少なくとも飲酒の場ではない。従って、マスメディアが海水浴を無闇に採り上げて騒ぎ立てるのは好ましくないと思っているし、一般論としても海水浴は要注意であると言いたいのだ。
それは何故かと言えば、海はろくに泳ぐことも出来ない人に配慮して波を立てたり、海面下で沖の方に強く引いている潮の流れを管理したりしてはくれないからである。江ノ島の東浜辺りは言わば入り江のような作りなので比較的安全だとは思うが、それとても相手は自然である海なので、「自分は大丈夫」などと思い込んではならず、絶対に油断は出来ない。
この鵠沼海岸では海面下の引き潮はまっすぐに沖の方に向かっているのではなく、かなりな勢いで西に向かっているのだ。その為に「俺は水泳が上手いのだ」などと錯覚を起こして沖に向かっていると、何時の間にか遙か西の辻堂海岸の方に寄っており、一寸くらい足掻いても元来た方向には戻れないようになるのだ。忘れてならぬことは、引き潮が強いということは沖の方に向かっては快調に進むという点だ。実際に、往年の鵠沼海岸では何人もの溺死者を見ていた。
私は1974年4月に本当に風光明媚な白い砂浜が綺麗なフロリダの海岸で「折角来たのだから」と一寸泳いでみて、その鵠沼海岸以上の引きの強さを関知して直ちに引き上げたのだった。それ以前にも、海水浴は避けていたし、子供たちを連れていこうなどとは考えていなかった。それだけではなく、私はあの海水で体がベトベトになるのがイヤだったので、海の直ぐそこにある市営だったかのプールには行っていたが。
少し長すぎる導入部になってしまったが、私は海岸に浩然の気を養いに行くとか、何処まで続いているのかも知れない海を見て楽しむのは良いことだとは思う。だが、生命の危機を招くような危険な遊び方をしに行く場所ではないと思っている。ましてや、遊び回って直射日光に当たって脱水症状に近い体で、水分を奪ってしまうような飲酒をするのは論外であると思っている。だが、今やそういう認識がある海水浴客は少ないようである。
戦前か戦時中を回顧すれば、あの広い鵠沼海岸にはいくつかのパラソルが立っていて、精々20~30人程度の地元民が砂浜で寛いでいるだけの長閑な場所だった。先週だったか、テレ東で現在の鵠沼海岸の特集を流していたが、良い意味では近代的に開発され、昔を知る者にとっては限りなく俗化されていた。あそこに群がっている若者たちは「引きが強く西に流される」と承知なのだろうか。
フロリダの海岸でも、所謂甲羅干しをしていた女性は見かけたが、泳いでいる人はほとんどいなかった。何となく、この辺りにも日米間の文化というか習慣の違いがあるように思える。私は海は遠くからでも近くからも眺めているのが無難だと思っている。私は江ノ島電鉄で片瀬から鎌倉に向かう車中から眺める海の美しさが素晴らしいと思う。海は眺めるもので、泳ぐ場所ではないと思う。それくらいで十分だ。