新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月26日 その2 W杯サッカーのアジア最終予選

2017-08-26 16:56:09 | コラム
日本代表が不安だ:

このところ連日のようにテレ朝で、来たる30日に埼玉で開催される最強で最悪の相手であるオーストラリア戦の番組の宣伝が放送されている。私にはあれほど繰り返して流されると、かえって不安感を増幅されているような気がしてならないのだ。しかも、ハリルホジッチ監督は何を迷ったのか、交替可能な3名を加えても14名しか出られないサッカーなのに、27人も選んでいた。あれでは監督自身の選手を信じていない心の中を問わず語りしているようではないのか。

選んだ顔触れを見て主将だった長谷部が戻ってきたのは結構だと思う。だが、何分にも何度もW杯に続けて出ていた本田、香川、岡崎、長友、(私は評価しない)川島等が選ばれておいるのは、世代交代の遅れを思い切り見せてくれている気がしてなおさら不安だ。少し意外に思えたのはドイツに行ってから怪我で碌な実績を残していない武藤が入っていたこと辺りか。

現在までJリーグの得点王争いをしているセレッソ大阪の杉本を選んだのは大抜擢かも知れないが、いきなり国際試合、それもW杯出場が決定される試合に出す気で選んだのだろうか。古顔の岡崎や本田等は頼むに足らずと見たのだろうか。何れにせよ、つい先頃までは私が韓国とともにアジアで最も乱暴な当たりをしてくる危険なサッカーをするオーストラリアを相手に、フェアープレーの美しい精神を忘れずに、思い切り当たって「最終予選で勝てたことがない」という不名誉な歴史を塗り替えて貰いたい。

その為には、オーストラリアがパス回しを尊重するかの如きサッカーに変身してきたので、我が方も監督が指向する縦一発式に拘泥するか、相手と対抗してそもそもの我が国のサッカーの本領だったパス回しで対抗するのか、その辺りの戦術の選択に大いなる関心がある。

私はいくらパスを回しても構わないが、責任逃れのパスをすることなく「俺が決めてやろう」という強い意志を見せて欲しいと願っている。これまでには余りにも思い切りの悪さばかりが目立っていたとしか思えなかった。オーストラリア勢とは身長を含めた体格、当たり方の乱暴さに違いがある以上、我が国の特色である敏捷さと器用さを当たり負けせずに如何に発揮するかが鍵のように思える。

だが、正直に言って不安が残る。しかも更なる不安は、もしも2位以内に残れないとなると、アジア予選のプレーオフの相手が何と韓国となる危険性(可能性などという言葉は不適切だ)が高いようだということ。乱暴だという激しく当たってくる点では、今やアジアでは最悪のサッカーをするのが韓国だ。しかも「恨」に徹してくるのは明らかだ。何としても、オーストラリアに勝って欲しい。

英会話の勉強法

2017-08-26 10:46:33 | コラム
英会話は易しい言葉で:

会話などと言うと、何かよほど格好が良い言葉を散りばめて語らねばならないかのように思うかも知れない。だが、所謂「日常会話」では中学校(現代では、もしかして小学校のか?)1年の教科書に出てくるような易しい言葉(口語か慣用句にもなっているような単語)で出来るものなのだ。要するに、難しく考えたり、気取る必要などないということだ。

経験上も思うことは、このような簡単な言葉を使っている日常会話のこれというような文例を習得する機会はそう滅多には訪れないと思う。私は嘗て海外経験豊かな商社マンから「外国人と話し合っている時にその手の耳慣れない表現に出会って『今何と言われましたか』と尋ねては不躾だろうと思ったのが悩みだった」と聞かされたことがあった。

私はそういう意味では、経験豊かな同胞に教えて貰う方が有効打と主張してきた。この点を詳細に解説すれば長くなるので別の機会に譲るが、一見良いことのようである native speakerに学ぶことの問題点は「彼らは日本人がどういうことで悩むか、どういうことが解らないのか」が容易に理解できないので、かゆいところにまで手が届くようには中々教えられないので、私は積極的には勧めないのだ。

それだけではなく、誰でもその外国人が話している英語の品位や訛りを判定できないこともある。更に、後難を恐れずに言えば「その外国人の強要に度合いは出自をどうやって判断するのかも問題だろう。

その点では、私は支配階層のアメリカ人の中にあっては外国人(“gaijin”?)だったので、寧ろ気楽に“What do you mean by saying I will take a rain check?” のように尋ねることが出来た。いきなり余談かも知れないが、我が国では普通に「もう一度言って下さい」を “I beg your pardon.”と教えているようだが、私は寡聞にして彼らnative speakerたちがこういう表現を使ったのを聞いた記憶がない。

なお、“take a rain check”は「今回はご招待を辞退して次回は」と言いたい時に使える。“rain check”は「雨天順延の試合に再入場できる半券」のこと。

多くの場合は仲間内では“What’s that?” と簡単に言うか “Excuse me.” を語尾を上げて言うか、“What did you say now?” か“I'm sorry.”の”sorry”にアクセントを置いて語尾を上げるか、”Please say that again?”とズバリと来る場合もあるが、ここでは前に“Could you”と付ければ、より丁寧になる。一寸ひねった言い方では“Would you please rephrase rain check for me?”のように解説を求める言い方をしてくこともある。

以上、難しい単語など一つも出てきていない点に注目されたい。ここで更に強調しておきたいことは、こういう文例を黙読するのではなく、何回も音読して覚えてしまおうとする姿勢が必要なのだという点だ。換言すれば、英語は目から入れようとせずに耳から入れることが肝腎なのだ。

私の経験の例を挙げれば、1970年代前半に、あるカナダ人の青年とどうしても面談してフランス語と英語の日本語への通訳を依頼せねばならないことがあった。そして知り合いのカナダ大使館の商務官に彼の連絡先を教えていただきたいと電話でお願いした。

その時に電話の向こうで聞こえたのが誰かに向かって言った“Do you know his whereabouts?” だった。「彼の所在を知っているか?」をこう言うのかと知った。更に “Can you get hold of him?” が聞こえた。「彼に連絡がつくかい」はこのように言えば良いのかと知った。私は“Can you reach him?”は承知していたので、表現集が増えた次第。

これらの表現は言わば口語体での会話にはごく普通に出てくるのだが、私の現場での経験では我が国の学校教育ではここまでの表現に踏み込んで教えられていないようだと思った次第だ。実は、この種類の表現を覚えていても、現実にはなかなか使える機会は訪れないだろうと思っている。だから敢えて教えないのかとも考えた。だが、現実の会話ではこのような表現の洪水である事が多いので大変だ。

それも、「何時始まって何処で切れるのかサッパリ解らない早さで話されるので“rain check”のような言葉が出てきたところで集中力が切れてしまうようだ。対策はどうすれば良いのかと尋ねられれば、結局は「習うよりは馴れろしかないのでは」と突き放したような言い方になるのだが、悪しからず。

英語で話す時には「今、何と仰いましたか?私には聞き取れませんでした。もう一度言って下さい」というような
「訊くは一時の恥、知らぬは末代の恥」
の勇気も必要だろう。

これを英語にすれば “What did you say now? I could not hear you. So, would you be kind enough to say that again (rephrase it) for me?” 辺りでも良いかな。