ニートは50万人以上もいるそうだが:
労働力不足解消の為に34万人もの外国人労働者を入れる法案が成立した。私には喜ぶべき事か否かは未だ解らない。だが、確実に時代が変わって行きつつあるようだとは解る。私が解らないという理由の一つに「近頃の若者は折角就職しても『これは自分がやりたいことではなかった』などと平然と言ってのけて辞めていく」というではないか。そういう理由で辞めたのではなく、ニート(NEET)なる者たちは50万以上もいると言われているではないか。その数が外国から導入すると政府が標榜する数を超えているのは何とも皮肉ではないか。安倍さんは彼らの活用をお考えになったことはなかったのかと思うのだ、見当違いか?
私は何もその50万人超を労働力不足の現場に当て嵌めようとは言わないが、何とも言えない矛盾のように思えてならないのだ。昔話をすれば「我々(で悪ければ私でも良いか)が就職活動をした昭和29年(1944年)はとんでもない難しい時期で『採用して頂ければ何でも喜んで致しますから、宜しくお願いします』と言っていたものだった。「そこで採用されて与えられた職務が『自分がやりたいことではなかった』などと言えるものではなく、何としてもやってみせねばならないのだった」のである。単純に(カタカナ語ならばシンプルにか)言えば、将に時代が変わったのだと痛感する。
時代が変わったといえば「スマートフォン」の万遍なき普及などはその最たるものだろうと痛感する。つい先頃中国で露天でもAlipayのQRコードを表示していて、スマホで決済できると報道されたばかりだ。だが、我が国でも何処かの大借金会社がPayPayという新手を産み出していると言うではないか。それだけではない、我々(≠私)のようなスマホを持たない者は何れはタクシーにも乗れず、少額でも現金だけを持ち歩いていれば買い物も出来ない時代が直ぐそこに来ているのだ。PCを何とか操っているからスマホは要らないなどと負け惜しみを言っていられない時代が来るという意味だ。
スマートフォンを持とうと思わない理由を述べておけば、①今更新種の器機に投資する気はないほど寿命の先が見えている。②最早そんなに緊急を要する連絡や情報を検索する必要がない暮らしをしている。③あれほど多くの「アプリ」なるものを覚えて冥土の土産にする気はない。④あんな端末を持ち歩いてところ嫌わずに没頭するのはみっともない。辺りになると思う。タクシーやUberを利用できないではないかと言われるかも知れないが、シルバーパスで行ける範囲くらいしか移動しない生活権で暮らしているのだ。
という具合で、新入国管理法の批判から少し話がずれてしまったが、私はこの種の時代の変化と進歩は益々増加する一方のデイジタルデバイド世代の後期高齢者を除け者にして時代から取り残していくだけではないかと独り密かに怖れている。自動車会社の世界には“CASE”という大変革の波が押し寄せているとも聞かされているC=Connected、A=Autonomous、S=Shared、E=Electricだそうである。私は時代の変化と進歩を知り得て、その有様を眺めていられるだけで十分だと思っているのだが。
労働力不足解消の為に34万人もの外国人労働者を入れる法案が成立した。私には喜ぶべき事か否かは未だ解らない。だが、確実に時代が変わって行きつつあるようだとは解る。私が解らないという理由の一つに「近頃の若者は折角就職しても『これは自分がやりたいことではなかった』などと平然と言ってのけて辞めていく」というではないか。そういう理由で辞めたのではなく、ニート(NEET)なる者たちは50万以上もいると言われているではないか。その数が外国から導入すると政府が標榜する数を超えているのは何とも皮肉ではないか。安倍さんは彼らの活用をお考えになったことはなかったのかと思うのだ、見当違いか?
私は何もその50万人超を労働力不足の現場に当て嵌めようとは言わないが、何とも言えない矛盾のように思えてならないのだ。昔話をすれば「我々(で悪ければ私でも良いか)が就職活動をした昭和29年(1944年)はとんでもない難しい時期で『採用して頂ければ何でも喜んで致しますから、宜しくお願いします』と言っていたものだった。「そこで採用されて与えられた職務が『自分がやりたいことではなかった』などと言えるものではなく、何としてもやってみせねばならないのだった」のである。単純に(カタカナ語ならばシンプルにか)言えば、将に時代が変わったのだと痛感する。
時代が変わったといえば「スマートフォン」の万遍なき普及などはその最たるものだろうと痛感する。つい先頃中国で露天でもAlipayのQRコードを表示していて、スマホで決済できると報道されたばかりだ。だが、我が国でも何処かの大借金会社がPayPayという新手を産み出していると言うではないか。それだけではない、我々(≠私)のようなスマホを持たない者は何れはタクシーにも乗れず、少額でも現金だけを持ち歩いていれば買い物も出来ない時代が直ぐそこに来ているのだ。PCを何とか操っているからスマホは要らないなどと負け惜しみを言っていられない時代が来るという意味だ。
スマートフォンを持とうと思わない理由を述べておけば、①今更新種の器機に投資する気はないほど寿命の先が見えている。②最早そんなに緊急を要する連絡や情報を検索する必要がない暮らしをしている。③あれほど多くの「アプリ」なるものを覚えて冥土の土産にする気はない。④あんな端末を持ち歩いてところ嫌わずに没頭するのはみっともない。辺りになると思う。タクシーやUberを利用できないではないかと言われるかも知れないが、シルバーパスで行ける範囲くらいしか移動しない生活権で暮らしているのだ。
という具合で、新入国管理法の批判から少し話がずれてしまったが、私はこの種の時代の変化と進歩は益々増加する一方のデイジタルデバイド世代の後期高齢者を除け者にして時代から取り残していくだけではないかと独り密かに怖れている。自動車会社の世界には“CASE”という大変革の波が押し寄せているとも聞かされているC=Connected、A=Autonomous、S=Shared、E=Electricだそうである。私は時代の変化と進歩を知り得て、その有様を眺めていられるだけで十分だと思っているのだが。