新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月17日 その2 組織を統治・運営する能力

2018-12-17 17:07:05 | コラム
社会的常識の欠如した団体を蘇生させるには:

この件名をカタカナ語にすれば「ガバナンス」辺りになってしまうかも知れない。実は、近頃色々と問題にされたというか話題になった、相撲界の貴の岩騒ぎと体操協会の「パワハラとは認定できない」問題のことを言いたいのだ。

私は1950年代末期から「相撲界は江戸時代からの歴史と伝統に輝く独自の(興行の)世界であり、彼ら独特の文化(言語・風俗・習慣を指す)を持った集団であるので、我々が住む一般社会の常識から彼らを批判したり、彼らの言動のおかしさを云々しても意味がないのである」と唱えてきた。それだけに止まらず、あの興行の世界を「スポーツ扱いするのも誤りである」と主張してきた。

だが、この主張も意見も一向にマスコミに採り入れられることも、また大きく採り上げられることなく60年以上も経ってしまった。私が指摘してきたことは、「その世界に中学を出た頃に弟子入りし、大人になるまでその文化だけに接し来て成長し、大力士になった者たちの成れの果てが協会の理事等の幹部なのだから、一般人の常識とはかけ離れた感覚しか備わっていない」ということだ。その世界では、現在では「暴力」という範疇に入れられて社会的にも「悪」とされてしまった「殴ること」は教え方の手法として存在してきたようなのだ。

そういう独自の文化を持つ歴史と伝統の世界で起きた「殴打事案」を地上最悪の暴挙の如くに捉えて、貴の岩の「「殴打事件」を連日採り上げてマスコミは騒ぎ、結局は引退せざるを得ないように追い込んでしまった。即ち、彼ら独自の文化の中で起こった日常茶飯事のようなものかも知れぬ、彼らが言う「可愛がり」的な行為を刑事犯罪のように一般社会の常識から断じていたのは、私には滑稽に見えたし、相撲界から言わせればもしかすると「要らざる介入」だったかも知れないのだ。

この辺りに私が近頃推奨しているスポーツ界の上部団体の運営担当者には「その競技の世界だけしか知らない過去の名選手を当てるのではなく、何もアメリカの有名私立大学のビジネススクールでMBAを取得してきた秀才を起用するまでの必要もないだろうが、せめて元はスポーツ選手であっても大企業で組織の長としての経験を積んできた者を起用すべきではないか」をあらためて推薦したいのだ。とは言っても、この高尚なる理想論は相撲協会には通用することはないと思っている。

そこで、提案したいのは「体操協会の組織を運営する幹部にこそ上記のような人物を当てるべきだ」ということだ。あの第三者委員会が「塚原夫妻にはパワーハラスメントに該当する行為も言動もなかったと結論を出した」という文章を自信なさげに読み上げていただけの専務理事は漫画以上に滑稽だったし醜態だった。何処にも彼というか協会の意見も判断もなくなく、どれだけ体操界に通じているかも解らないような第三者という名の弁護士の出した結論を朗読しただけだった。解りやすく言えば「無能」だった。

ここでも「だから言ったじゃないか」と言ってやりたいのだ。営利事業である株式会社という組織の中で実務を担当したことも、組織の長として部下を指揮した経験もない者たちを、過去の実績だけで理事だの常務に任命するから、あのような事態を引き起こすのである。繰り返し指摘して来たことだが、サッカー協会の優れた点は運営の責任者たちは皆一部上場会社で管理職を経験してきた者ばかりで、「人と組織の使い方」を経験してきている点である。

そういう管理職経験者が必要なのは何も体操協会だけではないようだ。「辞任している私を除名するとは何事か」と喚くような会長を戴いていたボクシング連盟だって同様な欠陥団体ではないか。私は何故マスコミは何時まで経ってもそういう問題点を衝かないのかと、まだるっこいと思っている。もしかすると迂闊にそんなことを論じたら協会から「出入りか取材禁止」にでもなるかと怖れているのかと疑っている。

私はこういう説を畏友のYM氏に「アメリカのビジネススクールには何もビジネスの運営のマスターだけではなく、病院や学校を運営する責任者を教育するコースもある」と聞かされていたから唱えるのである。競技そのものの運営と上部団体の統治と運営では、知識と経験が全く異なる性質であるから、分離している辺りに如何にもアメリカ的な合理主義があると思って受け止めた。だから、失態ばかりの我が国の多くの上部団体にもお薦めしたくなっただけのこと。だが、重ねて言うが「この理想論は相撲協会にだけは通用しない」と危惧するのである。

2020オリンピックとパラリンピックも迫ったことでもあり、陸上競技連盟などはこのように考えても良い頃のような気もするし、外国にも広く普及した為に規則まで外国人向けにねじ曲げられ且つ改悪されてしまった柔道だって、外国人と外国語で渡り合える人材を幹部に登用した方が良くはないかなどと勝手に考えているのだが、暴論だろうか?


18年度甲子園ボウル観戦記

2018-12-17 07:48:44 | コラム
気が付けば今年最初の大学フットボールの試合観戦だった:

何分にも、長年支持してきた日本大学フェニックスが出場しない関東大学リーグ戦を見に行く意欲もなかったし、未だにマイナースポーツの域を脱し切れていないフットボールでは、甲子園ボウルまでテレビ中継もないのでは観戦がなかったのは当然だったかも知れない。昨16日はNHKがラグビーを優先した結果なのだろうかBSになってしまった甲子園ボウルを見ていた。試合が始まって気が付いたのだが、何処で何に注目すべきかが思い出せずにボンヤリと関西学院大学ファイターズの最初のオフェンスを眺めていた。

試合の結果を言っておけば、37体20で関学の勝利だったが、タッチダウンの数では4対3で僅差だったのは面白い。

この辺りで気付いたのだが、今では関東ではなく東日本の大学を代表して出てきたのが、早稲田大学ビッグベアーズだったことだった。後難を恐れて忌憚のないことを言えば、フェニックスがいないリーグ戦をかなり苦しんで勝ち上がってきた早稲田では、立命館大学パンサーズを相手にして例年のような激戦を切り抜けてきたファイターズに分があるのだろうと考えていた。と言うか、両校とも見たこともなかったにも拘わらず「ファイターズの勝ち」と閃いていた。

昨日の内から多くの新聞とテレビが「悪質タックルの被害者の奥野選手がMVP」と騒ぎ立てていたが、確かに2年生QBの奥野は如何にも関学らしい巧みなクオーターバッキングを見せていた。ここで本筋を離れたことを言っておくと「あれは奥野は既にボールを持っていなかったし、プレーも終わっていたので『悪質タックル』と言うよりも『レイト・ヒット』と言うか『遅れたクオーターバックへのチャージ』と称する方が正確だろうし、責任は悪質だったあのプレーを指示した監督とコーチにある」と思っている。

本論に戻ろう。関学は最初のシリーズで綺麗なタッチダウン(TD)を獲って奥野を中心にした攻撃力を見せて、関学の優勢を見せつけた。早稲田も負けずに直ぐに綺麗に一本獲って同点に持ち込んだが、前半はこの一本に終わって実力差を見せつけられてしまった。私は矢張り「西高東低」の流れは変わっていないと感じていた。特に目立ったのが、早稲田は解説者の元立命館大学監督の米倉が再三指摘していた関学オフェンスの定番的なランプレーを止め切れていなかった辺りは、スカウティング不足か準備の不足かと疑わせてくれた。

残念ながら、所詮は早稲田は関学の敵ではなかったようで、アナウンサーがしきりに強調したハワイ出身の優秀な日系人(なのだろう)レシーバーも結局は関学の準備万端のデイフェンスに勝てなかった。早稲田の主将は率直に「実力差」を認めていたが、遺憾ながらその通りだと思う。私には早稲田のベンチは最後まで「どれが出るプレー(ヤードを獲得できるという意味)かを見極めていなかったようだし、デイフェンスでは関学の変幻自在のプレーコールに対応できていなかったように見えた。

それもこれも、早稲田は強敵がいなくて緩い関東のリーグ戦での王者に過ぎなかったのだという気がしてならない。こんな事を言っているのは、矢張りフェニックスが出場停止となったことに対する繰り言に過ぎないと解っている。そのフェニックスは2019年には甲子園ボウルには出られることがない往年の2部からの再出発になるのだ。それにしても、早稲田は何で左投げのQBばかりを養成してくるのだろう。