新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月12日 その2 11日も苦難の日だった

2018-12-12 19:40:06 | コラム
連日の激寒に体が対応できなかった:

11日は国立国際医療研究センター病院(NCGM)の循環器内科での定期診察の日だった。予約は10時30分だったが、早めに受付を終えておけば少しは待ち時間が短縮されるかも知れないという儚い希望を抱いて、新大久保駅前を9時25分のバスに乗ろうと家を出た。だが余りの寒さに心身共に震え上がっていた。そこに運良くか悪くが知らないが珍しくタクシーが来たので、気象病に苛まれている高齢者としては御身大事にとばかりに乗ってしまった。

しかしながら、9時半一寸過ぎに病院に到着してしまったのでは、最悪1時間半待ちかという危険性もあったが、何とか腰掛ける場所を確保してジッと待っていた。するとどうだろう、掲示板に何時まで経っても次に呼ばれる患者の受付番号が出ないで5分ほど経った後の10時15分過ぎに、当方の番号が表示されたのだった。「夢か!」と感動して診察室に入った。タクシー代の730円だったかは無駄な投資ではなかったのだった。

当方の外来での主治医である循環器内科の医長先生の診断では「昨日の検査も結果には従来のデータと特に変動がな勝ったし、心電図にも問題がなく、近頃悩まされている微熱や悪寒の原因となるような数値は血液検査の結果もないので、安心してこれまで通りに慎重に過ごしていれば良い」のだそうで、将に一安心だった。私の方から質問した時々悩まされている頻尿、特に夜間に発生する事については、「日常生活でカフェインを遠ざけている結果であり、案じることはあるまい」と言われた。「通常からデイキャフェではないコーヒー等を大量に飲んでいれば頻尿を生じないだろうが、矢張り紅茶や日本茶は避けた方が良い」とも言われた。

ところがである、NCGMを想定していた時刻よりも遙かに早く出られたので、帰路に我が家の近所の調剤薬局に到着した時点で家内と相談して久しぶりにご贔屓の回転圖師に寄ることにしたのだった。これが主治医に言われたカフェインを遠ざけろに違反する行為で、何気なくと言うか当然というか、寿司と共にお茶も飲んでしまったのだった。気が付いた時は既に手遅れだったが、それほど重大な失敗とまでは考えていなかった。

ところが、矢張り大チョンボで昨夜は数えていただけで就寝から翌朝5時過ぎに起きるまでに6回も手洗いに通う目に遭ってしまった。と言うことは、ほとんど熟睡していた時間がなく、妙な夢ばかり見ていた結果に終わった。実に恐ろしいカフェインの影響だった。その前には、考えて見れば回転寿司を含めて朝9時過ぎから3箇所も回った疲れが出たらしく、20時過ぎには疲労感と眠気に襲われて早めに就寝していたのだった。矢張り、あの寒さではUNIQLOの下着を着て更にダウンジャケットを着用していた程度では、寒さに高齢化した体がついていけなかったようだった。

そこで、本12日の朝には30年間診て頂いている掛かりつけのSクリニックに駆けつけたが、矢張りというか何というか、何処にも問題がなく血圧も正常値で安定しているとの診断で、何時もの通りに「体力回復」の注射をして頂いて意気揚々と帰宅したのだった。思うに、このように気温と湿度が大幅に変動すれば体は対応しかねるのだとあらためて立証したに過ぎないようだった。NCGMの医長先生も「高齢化すれば仕方がない現象」と言われていたのだった。あーあ、情けない。
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12月12日 憲法改正に思うこと

2018-12-12 12:37:59 | コラム
自民党は改正案を上程できずに終わった:

先頃終わってしまった国会ではとうとう憲法改正は論じられることなかった。私はそもそも現行憲法は改正する以外なしと考えているので、これまでに憲法について何か論じたことはなかった。だが、安倍内閣は後2年ほどで終わってしまうのであれば、次の通常国会まで待っても結果は同じであるような気がしてならない。勿論、“Better late than never”である以上、来年でも良いと言えるかも知れないが。

私は上程できずに終わったことは何でも反対の野党の姿勢も一つの大きな原因かと思っているが、かの長谷部恭男東大名誉教授を筆頭とする大学教授たちの中に憲法改正の反対勢力が数多くいることが一般市民に(悪)影響を与えていると思っている。そこには、マスコミと言うかニュースメディアが「大学教授」を必要以上に崇め奉る報道の仕方をしている事が大きな負の影響を与えているとも思って見てきた。

私はリタイア後には予期していなかった大学の先生方との付き合いが増えたので、多くの先生方の実態と言うか「如何なる方々か」という点にはある程度以上触れる機会が与えられた。そこで知り得たことは中には「そのご専門とされる分野には常人では考えられないほど深く且つ広く研究されていたと解る先生がおられる」という点だった。長年学問の世界の中だけに閉じこもって勉強してこられた「コインの裏側」には「アレッと思うほど一般社会の常識」には疎いと思わせられた方もおられたのも、また事実かと思う。

だが、広い世間には大学で学ばれていても、そういうコインの裏側まで触れてこられなかった大卒の方もおられるだろうし、大学教授という社会的に身分が高い(と言うか、カタカナ語にすれば「ステータスが高い」となるか)方と話し合われたり意見交換をされる機会がない一般市民は、マスコミが敬意を表する以上、大学の先生方が言われることこそ信ずべきだと思われて不思議はあるまい。ましてや憲法の権威の先生が国会でまで「改正反対」と主張されれば「そういうことか」と信じても不思議ではあるまいと思う。

その意味では、これまでに何度か引用してきた某有名私立大学法学部のST教授が私に個人的な席で反省をこめて述懐された「私の社会人年齢は大学院に進んだ22歳で止まっています」が当て嵌まる方がおられるのではないかと、独り密かに考えている次第なのだ。重ねて言えば、日頃先生方と交流がない一般市民が大学の偉い先生方に所謂「社会的常識」が十分ではないとは考えられないだろうと思っているということ。

以上は私の限られた経験の範囲内からの「象牙の塔の中の研究分野の権威である先生方とは」の極めて個人的な見方である。大学の先生方と親交がなかった一般市民には「意外だ」となるか「そんなことはないだろう」の何れかになってしまうのではないかとも考えている。何れにせよ、日頃現行憲法とその改正について確固たる意見や見解の持ち合わせがない市民が、憲法学者の教授の方々の否定的な意見を良い参考にされるのではないかと考えているのだが、見当違いだろうか。

ここに、大学の先生方には今のうちに「妄言多謝」とお詫びしておくべきかと反省して終わる。