新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月19に日 その2 Rice Bowlの予想

2018-12-19 15:48:28 | コラム
関学のトラショーン・ニクソン対策が鍵か:

これは来年の1月3日開催されるフットボールの日本選手権の試合のことである。対戦するのは(一寸英語の講釈を言えば、“Two opponents are ~.”となる)関西学院ファイターズと富士通フロンテイアーズである。だが、遺憾ながら本日の産経新聞に早くもこの試合の予想を載せられてしまった。普段は関東大学フットボールリーグの報道をしないくせに「良いとこ取り」をするとは怪しからんと嘆いている。そこで遅ればせながら負けてはいられないとばかりに私の予想を。

結論的には、私はあの関学の多彩な戦略としぶとさを以てしても、社会人テイームの優勝者を食い止めきれないのではと懸念している。特に関学にとって最大の問題点は富士通にはアメリカ人のQBとあの対IBMとのXボウルで縦横無尽に駆け回ったアフリカ系のRB・トラショーン・ニクソンを如何にして抑えるかだと思っている。そこは関学のことであるから、十分なスカウティングから多彩なデイフェンスのフォーメーションとマークの仕方を編み出してくると予測するが、それが何処まで通用するかだろう。

この辺りが最大の興味と関心を呼ぶところだが、次は(マスコミが悲劇の悪質タックルを乗り越えて甲子園ボウルで大活躍をしたと一気に英雄にしてしまった)QBの奥野耕世が何処まで富士通に通用するかだと思っている。確かに奥野は典型的な関学のQBで、パスも上手いし、レシーバーが空いていないと見るや即スクランブルに切り替えて自分で走っていく辺りの抜け目なさは素晴らしいと評価はする。だが、彼の170 cm台と見える身長では、富士通の大きなラインメンにはパスがはたき落とされるのではと懸念せざるを得ないという問題があるだろう。

私が見たところの要点では、「早稲田大学ビッグベアーズ(大隈をもじったとか)との甲子園ボウルでは、持っているオフェンスのフォーメーションの全部を使っていなかったようで、関西のリーグ戦で使ってきた基本的な戦法である普通のランとパスだけだったので、富士通のスカウティング・テイームと雖も関学オフェンスの正体を掴みきっていなかったのだろう」というところにある。一方の富士通はIBM戦ではニクソンに依存していたので、パスプレーは温存していたかの感が濃厚だった。

何れにせよ、名匠鳥内監督率いる関学がその持てる力としぶとさを何処まで発揮できるかが鍵を握っていると思う。富士通には智将藤田智(京大出身)がヘッドコーチをしている以上、関学と如何に戦うかは十分に心得ていることだと予想する。言わば、鳥内対藤田の知恵比べがどのくらい続き、関学が社会人の優れた体力に何処まで対抗できるかに興味の焦点が当たると思う。私はトラショーン・ニクソンがいる富士通に分がある気もするが、それは当日になってみなければ解らないこと。


我が国は女性を不当に扱っている?

2018-12-19 08:14:45 | コラム
世界で110位がそれほど卑下することか:

世界経済フォーラム(WEF)は「2018男女平等ランキング」で我が国は120ヶ国中だったかの110位とし、G7の中では圧倒的な最下位と評価したと報じられていた。敢えて言うが、これはWEFが我が国と欧州やアメリカ等の諸国と我が国との文化と歴史の違いを全く認識していなかった為に生じた不当な扱いだと思っている。調査した連中がどれほど我が国の2,000年を超える歴史と文化を正当に理解しているとは、経験上も考えられないから言うのだ。

私は以前に「アメリカにおける女性の地位」を発表して、我が国で喧伝されてる「レイデイース・ファースト」、「男女平等」、「男女同権」、「男女同一労働・同一賃金」が如何に誤解され誤認識されているかを述べた。それと同様に、この調査を行った機関は「表面的に浮かんでいる女性管理職や国会議員が少ないこと」を以て不平等としたのだろうと推理している。そこには我が国の女性は嘗ては「男尊女卑」が疎まれたように「男を正当に評価して立てる」文化を守ってきたのであると思っている。

既に指摘したことで、私は「アメリカ人の世界にいれば、女性が如何に男性に対して対抗意識が強く、我が国とは全く異なる精神構造から『男を男とも思わずに対等である事』を示すべく、激しく当たってくるもの」であると痛感させられたものだった。彼女たちの言葉遣いの文化には、亭主を「主人」と呼ぶような習慣はないのである、対等なのだから。それは意識しているかしないかは別にして、亭主を立てる奥ゆかしさと優しさがある事など、数字だけを見ている連中に理解できるはずはないのである。

もしかすると、繰り言の部類に入るかも知れないが、我が国には「女房が怖い」とか「我が家で一番偉いのは家内」といったようなことを真顔で述べている男性がそれほどいるかも考えて見れば良いのだ。WEFにはそこまで踏み込めるほど「文化の違い」に通暁しているとは到底思えないのだ。

私は偶々戦後間もなくからGHQの秘書の方や海外留学が長かったと聞く父親から「レイデイース・ファースト」を徹底的に仕込まれた母親の影響を十分に受けて、アメリカにおける女性の扱い方を学ばせられていたので、アメリカ人の会社の中でもそれほど女性の扱いというか「マナー」には不自由はしなかった。だが、彼女らの対抗意識というか厳しさと激しさをあらためて現場で体験させられたので、認識できたのである。

とは言うが、アメリカの全ての女性が上に掲げた諸項目のような対抗意識に凝り固まっている訳ではなく、中には我が国の女性と同様かそれ以上に「しっとりとした」女性だっているのだと理解しておいて貰いたいのだ。決して全女性が男を男とも思わずに対抗してくる訳ではないのだ。それに加えて、嘗てのW社の本社800人余りの中で、女性の事業部長兼副社長は皆無だったが、マネージャーの肩書きを与えられていた者もいたという程度の「平等」振りだったのだ。

私はこの程度の文化と歴史の違いすらも弁えず、具体的な数字だけから低評価をするWEFもWEFだが、それを如何にも我が国が女性を不当に使っているかの如くに自虐的に報道するマスコミも「不勉強だ」と厳しく批判したい。言わせて貰えば、私は22年半もそのようなアメリカ人の世界で過ごしたので、アメリカにおける本当の女性の地位と、如何に扱われているかというような文化の違いを実体験したので、WEFの調査結果を批判できるのだと思っている。