新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月14日 その2 The Divided States of America

2020-12-14 16:37:05 | コラム
大前研一氏は言う:

President氏の21年1月1日号に大前氏が「選挙結果でわかるアメリカ人の本音」と題して先頃のアメリカ大統領選挙の結果を分析しておられる。そこにアメリカの屡々言われている分断の状況を件名のように“The Divided States of America”と形容しておられたのだった。「なるほど」と思わせられる感はあると思って読んだ。その選挙結果の分析は大いに興味深いと思うので、以下に引用してみようと思う。

>引用開始
人種別の投票行動(11月10日時点でのCNNの出口調査)を見ると、白人は41%がバイデン支持で58%がトランプ支持。黒人は87%がバイデン支持で12%がトランプ支持。以下、ラテン系は65:32,アジア系は61:34、その他は55:41でバイデン支持が多い。(中略)一方で「対立候補を支持したくない」という理由でバイデンを支持した人は68%、トランプ支持は30%。反トランプでバイデン氏を支持した人が7割近くで、積極的なバイデン支持者はそう多くない。

以上のような属性別の投票行動にも修復不能なアメリカ社会の分断ぶりがよく表れている。移民国家としてスタートし,連邦制や奴隷制度の是非を巡って対立し、南北戦争や世界恐慌を経てアメリカの二大政党制は形作られた。つまり、「分断」自体はずっと以前から内包していた訳だが、それを極端に煽り立てて、亀裂を深めたのがトランプ大統領である。一方、新型コロナ対策で明らかに失敗したと、と言われるトランプ大統領だが、その結果は投票結果には驚くほど表れていない。

<引用終わる

私のようにアメリカの問題点について専門的な知識を持つていない者にとっては,仮令反トランプ派のCNNが報じた投票結果の分析であっても、かかる数字に初めて接したので、興味を惹かれた次第だ。それにしても、意外なものだと感じたのは「私の知り合いの白人の知識階層に属する方々が少数派だった」という点だった。


第75回甲子園ボウル観戦記

2020-12-14 12:44:18 | コラム
フェニックス対ファイターズ因縁の対決ではない:

私は昨13日の甲子園ボウルのマスメディアの報じ方には、疑問を感じざるを得ない。それは、やれ「因縁の対決である」とか「悪質タックル問題を乗り越えてフェニックスが甲子園の舞台」といったような極めて情緒的であったり、「フェニックスが苦難を乗り越えて」といったような美談に仕上げてしまっていたから言うのだ。あの試合はそんな底が浅い性質ではなかったので、私には極めて皮相的な捉え方だと思って寧ろ憤慨している。

テレ朝では橋詰功監督が甲子園ボウルを3回制覇した立命館大学パンサーズの元コーチであり、オクラホマステート大学にコーチ留学を経験された人物であると紹介していたが、この点を語らずしては昨日の甲子園ボウルの意味も見所も解らないのである。NHKは解説者にその冬当時の立命館大学パンサーズの監督だった米倉氏を呼んでいた。だが、その米倉氏でさえ「エニックスはあのプレーを試合で使えるまでには何百回も練習してきたのだろう」と語ったが、橋詰監督の指導法は最早そういう日本式の猛練習とは対極的なところにあった。米倉氏がそれを知らないとは思えない。

ここで強調しておきたいことは「我が国とアメリカの練習法の違い」である。我が国では屡々マスコミが採り上げる野球における千本ノックであるとか、長嶋監督が不振だったシーズンの終了後に伊東だか何処だかにキャンプを張って後世の語り草になるような猛練習で選手を鍛え上げた事が持て囃されている。フェニックスに於いても、かの故篠竹幹夫監督が「侍フットボール」を標榜され「犠牲・協同・敢闘」の精神で学生たちを鍛え上げられ、言うなれば精神面を厳しく叩き込まれていた。

その篠竹監督に鍛え上げられた選手たちの中から、アメリカの強豪であるワシントン州のワシントン大学(University of Washington)のHuskiesにコーチとして参加された経験があるOBがおられた。彼が現場で見たものは「如何にもアメリカらしい合理的且つ学生たちの自主性を尊重する合理的な練習法」だった。「そこでは学生たちはトレーニングのコーチにそのポジションに必要な筋肉を強化すべくウエイトトレーニングのメニューを渡され、それに従って徹底的に自分自身を鍛え上げ、体調を整えて1日精々3時間程度の全体練習に参加する方式だった」そうだ。

そこには精神主義の欠片もなく、言うなれば合理性と部員たちの主体性が尊重されているし、コーチたちの仕事の重要な部分の一つには「部員たちに常にキチンと授業に出席せよ。成績が低下すればレギュラーメンバーから外す」と、それこそ口が酸っぱくなるほど督励することなのだそうだ。それだけの練習でハスキーズはアメリカ中でも上位に入る強豪校なのだ。橋詰監督の指導法も強豪大学のオクラホマステート大学方式に基づいており、外部で聞いていても「フェニックスの体質の根本的な改革か」と思わせられるに十分だった。

日本大学の卒業生ではない単なる永年の熱心なフェニックスのファンとしては「橋詰監督のアメリカ式の合理的であり、部員たちの自主性を尊重する指導方式がフェニックスの土壌に短期間に上手く根付くものだろうか」という懸念はあった。だが、問題は根付くか否かではなく、根付かせる以外にはなかったのだろうと思って見てきた。だが、どう考えても、あの反則であるQBサック(私は絶対に「悪質タックル」という表現を認めない)を指示した旧指導陣が残した体質を、3年で入れ替えて甲子園ボウル制覇にまで持っていくのは至難の業ではないかと懸念していた。

正直に言えば、06年以降大病を続けてきた私の体力の老化というか衰えは「橋詰監督率いるフェニックスの試合をスタンドで見ること」を許さず、昨年は1試合のみで今年は辛うじてインターネットであの桜美林大学の試合を見ただけだった。そこで見たものは、当たり前のことだと思っているが「橋詰監督が目指すフットボールは道半ばではないのか」だった。そこには、日本大学側に如何なる方針があったか知る由もないが、コーチ陣にしたところで監督の理想とする態勢は整っていなかったようだし、その点を除外しても3年は短すぎたの恨みは残った気がする。

ここまで長々と述べてきたことを勘案すれば、因縁がどうの、関学のチャージを受けたQBの奥野君がどうのという視点から、昨日の甲子園ボウルにおける日本大学フェニックス対関西学院大学ファイターズの一戦を語るべきではないと思う。私は橋詰監督のアメリカ式というか合理的な指導法がどう考えても、かなり猛練習を積んできたとしか見えなかったファイターズに何処まで通じるのかという一点で観戦していた。結果としてはタッチダウンの数にして6対3の負けだった。私は監督は無念だっただろうが、諸々の条件を克服された立派な結果であり胸を張って良いと思っている。

永年のフェニックスのファンとしては、甲子園ボウルでフェニックスが負けたのを見たのは、1983年に京都大学に敗れて以来のことだった。私は昨日は持てる力は十分に発揮されたと思っている。だが、残念ながらファイターズは新監督との下にあったが、これまでの関学式フットボールの継続だった点が有利だっただけだと思う。来年のフェニックスを指揮を執るのが橋詰功氏になるのかどうかは知る由もないが、3年間のアメリカ式を継続されるのかどうかが大きな焦点になってくると思っている。

橋詰監督と学生たちを「貴方方は立派だった」と賞賛して終わる。