新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「誤解」の考察

2020-12-18 08:25:18 | コラム
政治家は何故「誤解だ」と言うのだろう:

菅首相は先日の8人での会食について記者たちに取り囲まれて「誤解されないように、これからは真摯に取り組む」というような釈明をされた。政治家は何か発言や行動について問い詰められると「誤解である」とか「今後は誤解されないように言動を慎む」のような説明というか釈明して謝罪の意を表する場合が多い。私にとって最も印象深いのが加藤勝信厚労相(当時)がPCR検査の基準である37.5度等々の矛盾を問い詰められて「誤解だ」との一言を残して、記者団に背を向けていったことだった。私には「屁理屈」以外の何物ではないと聞こえた。

私は先頃の菅首相の「誤解されないように」は、何としたことか言葉の誤用であると思って聞いた。股肱の臣であるはずの西村康稔大臣が「会食は5人以下で」と言ってしまった後のことだから、8人の会食が宜しくないことは誤解のしようもなく、不味いことだったのではないか。私はあれは「批判されないように、今後は云々」であるべきだったのではないかと思う。そうでなくても反政権の記者たちは鬼の首を取ったような高揚感で、菅首相を責め立てたのだと思う。

私は8人が宜しくなかったということを問題にする前に、菅首相が一国の総理大臣としての過密の予定の中から多くの業種というか分野の中から多くの人を選んで、会談や会食をしておられることは立派なことだと見ている。その根拠は、私の持論には「如何なる分野に於いても、最高責任者は常に全体特に下情にも通じていなければならない」という項目がある。それは最高指導者にはややもすると「良い話」ばかりが上がってきて、悪いことは滅多に上聞に達しない傾向があるから言うのだ。これでは責任者は不十分な情報だけに基づいて組織を動かすことになってしまう。

私の勝手な推測では、菅首相は官房長官時代に恐らく経験されたのであろう「情報網は須く広くまた深く」が肝要であると学習され、総理大臣就任後も情報源をより一層拡大しようと計られているのだと思っている。不肖私の現職時代を振り返れば、常に自分独自の情報網を広く浅く且つ深くも構築して、あらゆる種類の情報を蒐集して営業活動の役に立てていた。即ち、「彼に会えば色々な情報が入手できる」のような存在足ろうとしていたのだ。菅首相はあれほど広範囲の人に会われれば、時には聞きたくない話も聞こえてくるだろうが、それも立派な情報なのだと思う。

野党とマスコミの連合軍は例によって例のごとく揚げ足を取ろう、菅内閣を貶めようと下らない批判をしているが、無駄なことだと思う。私は一国の総理大臣が幅広く情報を収集されて,下情にまで(だと思うが)通じておられるのは、大変結構なことだと思っている。そこを読まずして揚げ足ばかり取っている彼らこそ「誤解しないように努力すべき」ではないのか。もしかして、彼らは菅首相の広範囲の情報網に彼らの弱点まで捉まっているのを恐れて、「誤解」した報道をしようとしているのかすら疑いたくなる。

総理は何も多くの人たちと会われることを遠慮されることはないと思うが、如何なものだろう。政治家は「誤解されること」を恐れずに堂々と所信を披瀝して良いと思う。マスコミに対しては「君等が曲解しているのだ」と言ってやれば良いとともう。