新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月17日 その2 アメリカ社会の考察

2020-12-17 10:57:22 | コラム
内側から見たアメリカの社会:

日本の会社の頃から仕事の場というか外部との会合の場では、「政治と宗教を話題にしてはならない」と厳しく教え込まれていた。また、アメリカの会社に転進した後でも、如何なる場面でもこの二つが話題に上ったことがなかった。故に、私は政治関連の話題を採り上げることには馴れていないし、決して得手とは言えないと思っている。だからと言うべきか、最近方々で大きく採り上げられている政治的としか思えない「アメリカの分断」についても、「如何なる場合の何処を捉えて分断というのか」が良く解っていない。

そこで、20年以上もアメリカ人(白人)の会社に在籍してアメリカという国の社会がどのように見えていたかを、そこを離れて間もなく27年も経つ私が、あらためて見直してみることにしよう。念の為に確認しておくと、私が見てきたアメリカは飽くまでも「そうとは知らずに入って行ってしまった、支配階層にある者たちが運営する大手企業という視点から経験した事柄である」という点だ。そこにある実態を外から乃至は批評家の目で見れば「差別」もあれば「分断」にもなるだろうし、“affirmative action”などという逆差別もあるのだろう。

白人が支配する白人の会社内で見たことは「それこそ支配階層に属する者たちが一流私立大学の修士号や博士号を引っ提げてオフィサーになり、そこから順当に(とはいうが人並み以上の研鑽と努力を重ねて)経営陣に加わっていくのだ。即ち、選ばれていない者たちは何処まで行っても中間層であって、年俸は上がっていっても身分の垂直上昇はないのである。現に本社採用だった私は採用と決まった日に「将来、君の地位は一切上がらないのだが、それで良いのだな」と念を押された。これは今にして思えば、明らかに経営陣との分断の宣告である。

その本社機構に採用された者たちは、地方の工場や営業所で「現地(地方)採用」された者たちよりもかけ離れた良い身分なのだ。それは現地採用者たちは、先ず本部に余程優秀であると認められるか、抜群に輝かしい実績を挙げる以外には本部の機構に組み込まれることはないのである。この点も分断というか一種の差別と見えるかも知れない。兎に角、支配階層の企業の自分が目指す事業部に即戦力として採用される為には,然るべき大学を卒業し、然るべき企業で実力を付けていないことには中途採用されず、前途は開けてこない世界なのだ。

ここで、少し早めに結論めいたことを言ってしまえば「アッパーミドル以上の親の下か、名家で資産家の子供に産まれ、頭脳明晰でIvy League等の私立大学で修士号を持っていなければ出世の階段である「スピードトラック」には乗れないのだということ。それでも、仮令中間層(多くは州立大学の4年制の出身)に属していても、本社機構にいる者たちは恵まれか環境にいると言って良いだろう。気が付かれた方がおられると思うが、我が国などでは及びもつかない学歴社会なのである。

今や大手企業で生き残る為にはMBA乃至は修士号が必須であるとまで言われている。これは差別か分断ではないのか。一流の私立大学では授業料だけで7万ドルというところまで現れている。話は元に戻るが、余程裕福な家でない限り、年間の学費が軽く1,000万円を超える大学に子供を送り込めなくなっている。何度でも言うが、そういう家柄の者たちとその子弟がアメリカの支配階層に入って行けるのだ。私が見聞した限りでも「ここで被支配階層とそれ以下がハッキリと分かれている」のである。何を以て今更アメリカが分断されているなどと批判するのか。

企業の中での分断はこれくらいで十分だろう。だが、念の為に付記しておけば企業内には人種による差別は発生しているとは言えると思う。だが、そこには言語による差はあると思っている。解りやすくする為に極端な表現をすれば「MBAやPh.D.たちが居並ぶ会議の中で、英語で自由自在に発表が出来て討論をしても負けない英語力を備える」のはそう簡単なことではない。しかも、そこまでに達していないと、お仲間には入れて貰えなくなる」と危惧する。

アメリカに滞在してプロのスポーツなり映画でも数多く見てみると良い。スポーツの場合にはMLB、NFL,NBAでは主力の選手たちは圧倒的にアフリカ系かヒスパニックである。かれらが企業社会で経営者とは言わないまでも管理職にまで上り詰めるよりも、その優れた身体能力を活かしてプロの世界を選んだ(選ぶしかなかった?)と、私は見ている。そこで彼等は何十億ドルもの年俸を稼ぎ出してカリフォルニア州等で豪邸に暮らしているのだ。

映画や演劇や音楽の世界でもアフリカ系の大成功を収めている著名な俳優も歌手も多い。芸名になっていて解らないが、映画俳優や音楽家にはJewishが多いのも公知の事実である。Jewishの場合にはその明晰な頭脳を活かしたビジネスマンも多いし、過去の大統領も含めて政治家も輩出している。要するに人種によって活躍の場が別れているというのが、アメリカ社会である。私はこのような現象を称して「人種差別」だの「格差」と言っているのだと思うが、これらの現象は階層と人種間を分断しているとは言わないのは何故だろう。

何故、今になってトランプ大統領が出てきた為に、投票の結果を捉えて「アメリカは分断された」と、如何にもアメリカを危機が襲っているかのように声高に言うのだろう。私は僅か20数年であるが内部からメリカを見てきて、分断したのではなく、それぞれの階層がそれに適した生業の道を見出して社会を構成しているのかと思っていた。

但し、韓国人のように今や合計600万人も移住してきて、それまではヒスパニックやアフリカ系の職場であった所を奪っていったのは、問題にしても良いのではと思っている。2010年の1月1日に、LAのだだっ広いKoreatownの中の料理屋に入った。そこでは、ヒスパニックが韓国人に雑役夫として雇われて、客席で賄いなのだろう残飯を食べている様を見て「これはヒョッとして彼らアジア系の流入人口がアメリカの社会を変えつつある現象か」と思わせられた。即ち、アジア系以外に「韓国系」という分断した塊が出来つつあるのかということ。

間もなく、バイデン大統領率いる民主党政権が誕生するのだが、新政権が如何なる、更なる新階層をと言うか、新たな者たちの塊を作るようになるかには興味も関心もある。トランプ大統領はオバマ時代とは一転して、南アメリカからの合法非合法の移民に対しては強硬な姿勢で当たられたが、その後は中国に対しての姿勢も強化された。2007年には私がシアトルが余りに多民族化してしまったのに驚愕させられた。私は「シアトルが劣化した」と嘆いた。バイデン政権はこの辺りの多民族化に如何に対処する気なのだろうか。


感染者の経験談を聞こう

2020-12-17 08:20:29 | コラム
何故、感染者の経験談が報道されないのだろう?:

昨16日だったか、新型コロナウイルスの感染を経験された立憲民主党の小川淳也氏が、その経験をテレビで語っておられた。何故か我が国もマスメディアは挙って新型コロナウイルスの脅威というか恐ろしさだけを、連日連夜全都道府県での新規感染者の数を速報で採り上げて強調する。だが、実際に罹患した場合にどのような辛さと苦しさがあるかという経験談を採り上げない。故に、一般人としては近親者か知り合いが感染し生還したような場合にのみからしか、罹病の実態を知ることが出来ないのだ。私はそれを知ることこそが「真の脅威の実態」を学習する機会だと思っている。

私は既にある経験者の経験談を採り上げたが、正直に言って意外なほど何処からも反応がなかった。だが、感染した場合の実態は何処かの国の大統領が繰り返して指摘されていたような、「風邪のようなもの」ではないようである。勿論、そういう軽症や無症状の場合がある事は、その類いの患者を自宅療養か、指定されたホテルに収容していることからも解る。

私は小川淳也議員の経験談を聞いて、あらためてその恐ろしさを学んだと同時に、この経験談はもっと広範囲に拡散されて然るべきだと痛感した。即ち、より多くの人たち(就中若者たち)が知ることによって「新型コロナウイルスを軽視することなく、自ら身を守らねばならない」と自覚することを期待しているのだ。昨日中川医師会長が「我が国ではあれほどマスク着用が遍く普及し手洗いの確実な実行があっても、あれほど感染者が増えていくと見た方が」と回顧されたのが印象的だった。

小川淳也氏は保健所と何とかいうセンターに繰り返して電話をされたのだそうだが一向に繋がらず、繋がった時には既に37.5度等という程度の体温ではなく、指定されたPCR検査を受けられる機関まで僅か1 kmの距離を、30分かけて徒歩で行かれたそうだ。即ち、タクシーも公共交通機関も利用しなかったという正当な手段である。しかも検査を受ける場合でも何処で、一切国会議員であるとは名乗らなかったそうだ。私はここまででも普通というか、議員のあるべき立派な姿勢を採られたと評価すべきだと思って聞いていた。

私はこのウイルスの感染が始まった頃には「ワクチンは言うに及ばず特効薬もなく、確立された治療法はなく、ただ単にジッとして寝ているだけ」と聞かされていた。これ即ち「自然治癒」のことである。私は一昨年末から散々自然治癒しかないという病を数多く経験してきたので、その辛さと不自由さをイヤと言うほど味わってきた。小川氏は40度近い高熱で5日間をただ寝ているだけで過ごされてから、熱が下がって何日後か聞き漏らしたが無事に退院され、その後の静養期間を経て現場に復帰されたそうだ。

私が何となく「そういうものかな」と気になった点は、退院の前後には最早PCR検査がないと言う点が、私が聞いた先頃の経験談と同じだった辺りだ。この感染症の難しいところは特効薬がないということであり、かのアビガンにせよ何にせよ解熱剤的な効果しか期待されていない点だ。それに繰り返して言えば、小川氏が40度近い高熱で5日間も病床におられた点だ。自分自身が発熱に弱いから言えるのだが、あの熱で5日も過ごせば体力の低下は著しいものがあると思う。巷間、後遺症が取り沙汰され始めたが、高熱による体力の低下こそ明らかにされるべきではないか。

私はテレビであそこまで語られた小川淳也氏の勇気というか、正当にあの感染症の実態を伝えようとされた姿勢を評価しようと思う。あの経験談を聞かれて、更に本稿を読まれた方が「新型コロナウイルスの脅威を正しく認識されて、自分の身を守ると共に他人様への心遣いをされるようになってくれれば良いのだが」と願うのだ。