新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月26日 その2 「入管での面会報告」と言う番組

2020-12-26 16:45:37 | コラム
このテレ朝の早朝の番組で考えさせられた:

いきなり「何を考えさせられたか」を述べてみれば「我が国の生真面目な法の執行」と「出入国管理の厳格さ」と「入管の人手不足」辺りになるだろうか。近頃は何となく早寝早起きになってしまったので、午前4時過ぎには所在なくテレビを見て新聞が来るのを待っているようになった。今朝も例外ではなく、土曜日だったので何時もは見ないテレ朝にチャンネルを合わせていた。そこには名古屋で入管に収容されている在留資格がない外国人の面倒を見ておられる高齢の婦人が活動される話が展開されていた。滅多に知り得ない実態というか、現実が取り上げられていた。

途中から見たので良く理解できない点もあったが、先ずはトルコ人の男性が在留資格を失って仮釈放されていた話だった。何故資格を失ったかと言えば、どうやら大学を卒業した為に留学生ヴィザが失効したようだった。その為に入管に収容された後で仮釈放されて滞在しているのだ。だが、その無資格では就労は出来ず、在学中に呼び寄せた家族と暮らし、奥方がアルバイトで何とか生計を立てていたという話だった。仮釈放の場合には毎月入管に出頭して延期を申請するようだが、この一家は出頭した途端に再度収容され,強制送還となってしまった。

この扱いを如何にも厳しすぎると言いたいような音声が流されていた。私は厳密に言えば「それは感情論であり、我が国は普通に法律の建前に従ってるだけだ」と言えると思って聞いていた。きついことを言えば「学業が終了した時点で資格を失う事」はヴィザを取得した時に告知されていたと思うから言うのだ。私は20年以上もの間、アメリカ側の一員として我が国の貿易管理令に接してきた。そこで感じられたことは「我が国の法規制では輸出も輸入も禁じられているが、例外としてこの輸入(輸入)は承認するなっている」と思えば、解りやすいという厳格さがあった点だ。

その対極にあるのがアメリカの法規制で「輸出でも輸入でも何でも行って宜しい。但し、例外としてこれとあれは禁止する」といったような立て付けだと感じ取っていた。アメリカ以外の国がこの我が国とは対極にあるような法律の建前になっているか否かなどは知る由もない。だが、我が国の法律の在り方などを自国民を外国の送り出すブローカーなどが研究しているというか、文化の相違を承知しているとは思えない。そこで、我が国に憧れて留学生ヴィザも取れて家族の呼び寄せまで可能となって一家で来て見れば、ヴィザの失効と同時に不法滞在となってしまうのだ。

私は1975年にW社に転進して液体容器用(牛乳や果汁)の原紙の輸出を担当して先ず驚かされた事があった。それは、厚生省(当時)の規定では牛乳の容器はガラス瓶と定められていて、紙容器を使用する乳業会社は「例外容器」として申請せねばならなかったのだ。この規定は例外容器が80%を超えても続いた。換言すればガラス瓶以外は認められていなかったということ。このように厳格且つ生真面目に法を執行するのが我が国なのである。恐らく、日本国民でもその厳格さに触れるまでは知り得ないことだろう。

トルコ人の次に採り上げていた例は中国の一家だった。矢張り父親の在留資格が切れて収容されてしまった為に、妻が(何故労働資格があったか知らないが)働いて、長女を高校を卒業させ,県立大学にも合格してした。ところがその入学金を工面できずに、入管に面会に行っては収容された人たちの面倒を見ておられたご婦人が募金をしていた。そして、その一家が入管に仮釈放延長の申請に行くと収容されて、強制送還になってしまうのだった。そこで、その面会者と弁護士さんが訴訟を起こして勝訴となり、長女だけが再入国の許可がでたのだった。

私は一応世界の20ヶ国ほどを回ってきた経験がある。言うまでもなくアメリカの滞在日数が最も多いのだが、何処の国に行って不法滞在者というか在留資格を失っても帰国しない者が多数いる。その不法滞在者,就中南アメリカからの不法移民に非常に厳しく当たられたのがトランプ大統領である。我が国も上述のように厳しいが、その厳しさの質が違うと思う。その上に、この番組に登場されたご婦人のようにやや感情的に「可哀想だ」と同情されて、何とか滞在できるように骨を折っておられる方もおられるのだ。

考えようによっては「もっと入管に人を増やして、個別に合法・非合法の在留者の状況というか実情を調査して、在留資格を与えても良い者には与えるように出来れば理想的だ。だが、現状ではそこまで面倒を見られるほどの人員はいないようだ。私はこのような見方をするよりも「留学生であれ何であれ、在留資格を与える場合の規定をより明解にして、如何なる場合に資格が失効するかを予め周知徹底しておく必要があると思う。同時に、可能ならば我が国の法律の厳格さと文化の違いまでを理解させておく必要があると見ている。日本語が解れば良しとするのでは単純すぎる。

安倍内閣では所謂「インバウンド」なるものを推進され、観光客の誘致に努力された。それはそれで結構だったかも知れない。だが、一方では若年労働者の不足を補うべく技能実習生を何十万人と導入した。外国人が先ずぶつかる困難な問題には、言葉以外に文化の相違と法規制の違いがある。「留学生ヴィザが切れると在留資格を失う」とか「仮釈放の延長の申請に行って有無を言わさずに収容で強制送還がある」等々を予め告知しておけば、安易にやって来ないのではないのかなと思いながら、早朝の番組を見ていた。


東京都の感染者が増える訳だ

2020-12-26 15:16:13 | コラム
東京の中心部のあの人出は問題ではないか:

本26日は主治医の指示に従って公共交通機関を避けて、愚息の車でここ新宿区から巣鴨の染井霊園に亡父の祥月命日の墓参りに行った。その後に愚息の発案で年末の買い物が出来るかと築地の場外市場に行ってみた。築地には有楽町から晴海通り経由で行った。銀座に入ってからは家内が感心するほど多くの人の波が動いていた。築地の場外市場近辺では交通整理が出ているほどの混雑で、駐車場の入場待ちの車が列をなしていた。そこで築地はキッパリと諦めて帰って来た。

その前には、巣鴨では私が必要とする衣料品の補給があったので、永年買いに行っているUNIQLOよりも安いと思っている赤パンツで有名なマルジまで地蔵通りを歩いて見た。この通りにはこれまでは父の本当の祥月命日である12月24日に来ていた。だが、この日は「四の日」の縁日で多数の屋台が出て混雑するので、時節柄「密」を避けて、愚息の時間が取れる26日に延期した次第だった。屋台が出ていないこの通りを歩いて事がないので、その様変わり振りをゆっくりと観察できたのだった。

そこに展開されていた景色は、意外と言うべきか矢張りとすべきか判断出来なかったが、大袈裟に言えば様変わりだった。即ち、更地になっていた所が2~3箇所あったし、閉店して板張りになっていた店舗もあれば、イオンのマイバスケットや新規のコンビニ出ていたりしていた。それは「老人の原宿」などではなく、ごくありきたりの商店街に近い雰囲気だったのだ。歩いている人たちも高齢者よりも若者の方が多いのではないかと思わせられた。私は取りも直さず「高齢者は人混みを避けている」と見たが、私も含めて彼らは散財する余裕がなくなったのではないかと疑った。

銀座から築地に話を戻そう。私は如何に年末で正月の備えをせねばならない時期であるとは言っても、連日のように曜日毎の感染者の記録的増加が報じられている最中に、あれほど多くの人が敢えて密集の中に何も恐れずに中に入って行けば、感染者が増えていくのは当然であろうと思わずにはいられなかった。こちらは万全の防御態勢でしかも車の中にいたのだから安全地帯だと思うが、密でありソーシャル・デイスタンスとやらも取れていないのでは、来年の1月第2週辺りの感染者の数が思いやれる。

昨25日には菅首相も記者会見をされて懸命に自粛を訴えておられたし、小池都知事も厳しい表情で「ステイホーム」と得意のカタカナ語を駆使して在宅を呼びかけていたではないか。私が危惧することは「多くの都民や近県の人たちには英語は通じなかったのではないか」なのである。お二方の呼びかけは、彼らの心には響いていなかったようだ。何れにせよ、「これでは仕方がないな」と思わせられた、一時の東京都心の旅だった。