新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月16日 その2 新型コロナウイルスの感染から身を守る為には

2020-12-16 14:53:43 | コラム
今後とも万全の警戒態勢を採るように:

昨15日は1ヶ月置きのNCGMの循環器内科での検査と診断の日だった。検査の結果は「前回の10月から特筆すべきほどの変化は無し」と診断された。そこで折角機会なので主治医の先生に「新型コロナウイルスの感染が再々度勢いを増しているようなので、基礎疾患を抱える超後期高齢者の私は如何に対処すべきか」を伺って見た。先生の告知は厳しかった。

新型コロナウイルスの感染の蔓延の状況は短期間に収束するとは見ていない。故に貴方は一層の厳戒態勢を採って感染しないように備えていて欲しい。それは、「日頃の行動範囲を逸脱して出歩かないこと、公共交通機関の利用を極力控え、人混みは避けること、とは言っても1日に最低でも1 kmは歩いて脚力の衰えを避けるよう努力すること、理髪店も危険性なきにしも非ず故、見てくれの悪化などを恐れずに可能ならば自分で切ってしまいなさい、長距離の外出は車の利用に徹すること」という具合だった。マスク着用や手洗いはこれ以前の問題であろう。

私はこの指示が尤もであるとかないという議論ではなく、これを守ることがCOVID-19から身を守る当然の自衛策なのだと解釈しているし、今日までも極力遵守してきた。だが、理髪店までがその指示の項目の中に入ったのは今回が初めてだ。先生がここまで言われるのであれば「Go to 何とか」の一時停止は当然なのだと思うが、28日からでは遅くはないのかなとついつい思ってしまう。


渋野日向子さんと新庄剛志氏の考察

2020-12-16 09:04:48 | コラム
最近のスポーツ分野での話題の主:

少し時期的に遅れてしまったが、冷静なる評論家としては、この話題性に富んだお二方を採り上げて見よう。

渋野日向子さん:
私はこの突然世界の檜舞台に飛び出してしまった若きプロゴルファーの評価を、つい先日まで留保していたテニスの大坂なおみさんと同様に見ている。即ち、「素晴らしい」であるとか「本当に凄い」と評価するのを留保しているという意味だ。その理由は簡単明瞭で、成績が未だに不安定であるということと、永年の持論である「マスコミに過剰に持て囃され褒め上げられたスポーツ選手が、真の意味での実力が容易には備わってこないで、屡々徒花に終わることがある」が適用できる範囲内に止まっていると見ているのだから。

今回のUS女子オープンは結果として4位に終わったことは、善戦健闘だったと褒めても良いだろう。だが、彼女自身が「これが現在の私の実力」と認めていたのは非常に正確であると共に、正直な回顧だったと評価したい。私が言いたいことは「ブリティッシュオープンの優勝は(大坂さんの優勝と同様に)出会い頭であって、故野村克也氏の至言『勝ちに不思議あり』の範疇に入れても良い出来事だろう」と評価していた。

USオープンは2日目に長いパッテイングが面白いように入って、一躍して1位に躍り出たのは良かった。だが、その様子は何十年も前に読売カントリーで見たカナダカップでジャック・ニクラウスやアーノルド・パーマーやゲアリー・プレーヤーのアプローチショットがピタリピタリとピンそばに寄ってバーでを取っていくのとはその質が大いに異なっていた。彼女のゴルフの技術はその域にはほど遠いので、あのトーナメントでの優勝を期待して騒いだのが、無用な心理的負担になっていたと思う。静かに見て入れやれば良かったのだ。

彼らビッグスリーは狙ってピタリと寄せて行く技術を持っていたと見えたが、渋野さんの場合は僥倖に近いような事で、アプローチショットがカップに吸い込まれるというような次元に止まっていた。簡単に言えば「未だUSオープンを取れる次元には達していない」と見たいう意味だ。年齢とその素質から考えても将来性は十分にあるのだから、来年以降に期待しよう。

新庄剛志氏:
NPBにいた当時から素質もあったし身体能力もある程度備わっていたし、何と言ってもあの独得の個性が売りだった一風替わった選手だった。無理だと言われたMLBに行っても予想以上の成績を残したの立派だった。だが、48歳になってからNPB復帰を目指すと公言する辺りには、その可能性は措くとしても、話題性は十分にあったし、相当以上にマスコミを騒がせた。私は偶然にテレビで復帰に備えた練習と、トライアウトでの真剣な真摯敢闘振りを観た。だが、「無理だろう」と一瞬で決めつけた。

理由は簡単で、トライアウトで彼とは縁の深いスカウトが「あれほどのブランクがあって、48歳にもなってプロの投手が投げる140 km台の速球に合わせられる適用性は流石」と賞賛された。しかしながら、私は「その新庄氏のすウイングのスピードは往年の新庄のそれではなく、48歳の元野球選手が何とかバットに当てて前に飛ばした程度」と極めて冷めた感覚で捉えていた。きついことを言えば「トライアウトに来る程度の投手の投球だから当たったのだ」なのだ。スリルがないバッテイングだった。故に、話題性を狙ってでも取ろうとする球団はないと見た。

自分のことを回顧してみると、42歳の頃に当時住んでいた藤沢市で高校時代の仲間に誘われてサッカーの「四十雀クラブ」(40歳以上が集まるクラブ)に加入したことがあった。ここでは48歳までリクリエーションとしてのサッカーを、中には関東大学一部リーグの名手もいたクラブで、十分に楽しんだ。ここでは時たま往年の名手が技術や走力や体力を見せる事もあったが、彼らとても40歳を過ぎればたたの小父さんだと証明していたが、楽しい遊びにはなっていた。新庄君もあの年齢ではプロを目指すよりも、リクリエーションの方が敵しているのではないのかと見えた。

私の旧制中学から高校にかけての監督は「スポーツを(高校としては)全国優勝を目指して真摯に練習に励むか、飽くまでも将来リクリエーションとして楽しめるような基礎を作ることを目指しかに別けて考えよ」と、常に我々に説き聞かせておられた。新庄君にもこの教えは当て嵌まると思う。野球を楽しみの為にやってこそ面白みが出てくるのであり、生業とするべき年齢ではないと考えて欲しかったと思う。