新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

IOCは何を考えているのだろう

2020-12-13 10:50:59 | コラム
ブレイクダンスをオリンピックの正式種目に採用:

お気付きの方がおられると有り難いのだが、私はIOC不信論者である。理由は数々あるが、何と言ってもあの組織がヨーロッパの上流階級の人たちの社交クラブのような気にさせられる辺りに、問題を見出すのだ。別に僻んで言っている訳でなく、彼らの世界に彼らの言語を自由自在に操らずして対等にお付き合いしましょうと入って行くのは、ご存じかも知れないが、それほど簡単な技ではないのだ。同時に「彼らを何か一段高いところにおられるのかというような鄭重な姿勢でお付き合い願う必要があるのか」とすら思うこともあった。

それはそれとして、今回ここに述べたいことは「ブレイクダンス(breakdanceまたはbreaking)を正式種目に採用して、野球とソフトボール(と空手)を外すという決定をしたことに疑義を感じている」という点だ。私は1993年末までは1年の3割以上の時間をアメリカで過ごしていたが、このダンスを街頭で見かけたことは2回しかなかった。それも、大都会の何処かにある広場のような場所で、アフリカ系の少年たちが踊って見せているのだった。そこには帽子をひっくり返して置き、投げ銭を求めている仕掛けだった。要するにそういう階層の者たちの生業の如き遊戯なのだ。

私はサンフランシスコのハイヤットリージェンシーホテルの裏手にある広場で、偶々彼らが入れ替わり立ち替わり踊って見せているのを見て、周囲の声で初めてあれが「ブレイクダンス」というものだと知り得た次第だった。確かに、その古い表現を使えば「軽業」のような踊りに、彼らの身体能力の素晴らしさは十分に読み取れたが、2~3歩動いて帽子の中に幾ばくかの見物料を払う気にはなれなかった。ここから先はBLMの時代にあっては表現が難しいと危惧するが、彼ら独得の遊戯であり、その身体能力の見せ場としての価値は認識できた。

後難を恐れて言えば、その「踊り」を野球やソフトボールや空手の代わりに採用する意図が何処にあるのかと考え込まされた。政治的な目論見がなければ、産経新聞が指摘したように「若者世代に阿っているのか」とも考えられる気がする。私にIOCの内部の雰囲気など解る訳がないが、我が国のIOCの委員やJOC等からはもっとハッキリと我が国の考え方であるとか、何故野球の代替がブレイクダンスなのか等を議論する場は与えられないのかなどと考えてしまう。「それくらいのことを通訳を介さずに彼らの言語で主張できないのか」と伺いたくなってしまう。

我が国はアジアの諸国を代表して正々堂々とIOCに加盟しているのではないのだろうか。私は何時ももどかしい思いで眺めているのだが、これくらいのことを言ってもバチは当たらないと思っているのだが。